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「章男ちゃんは、複雑な子なんだよ。章一郎の育て方が…」豊田章男の元側近が明かす、“トヨタ御曹司の弱点”とは

文春オンライン / 2024年6月27日 6時0分

「章男ちゃんは、複雑な子なんだよ。章一郎の育て方が…」豊田章男の元側近が明かす、“トヨタ御曹司の弱点”とは

トヨタ自動車の11代目社長(現会長)の豊田章男氏 ©時事通信社

〈 トヨタ名誉会長の“許しがたい裏切り”とは…“豊田章男を社長にした男”が「サラリーマンの人生は空しい」と嘆いたワケ 〉から続く

 1972年にトヨタ自動車に入社、のちに中国事務所総代表を務めた服部悦雄氏は、人呼んで「低迷していたトヨタの中国市場を大転換させた立役者」であり、「トヨタを世界一にした社長、奥田碩を誰よりも知る男」。そして何より「豊田家の御曹司、豊田章男を社長にした男」なのだという。2018年に同社を去った服部氏は今、何を思うのか。

 ここでは『 トヨタ 中国の怪物 』(児玉博 著、文藝春秋)を一部抜粋して紹介。豊田章男に側近として仕えた男が語る“御曹司の素顔”とは――。(全3回の3回目/ 最初 から読む)

◆◆◆

「実はね、名古屋でOB会があってね……、僕も行ってきたんですよ。まだ、指がポキッてなる前だったんだよ」

 服部はこう言って、微かに笑った。「うん、少しは大丈夫かな」と頷いてウエイトレスを呼ぶや、

「焼酎の水割りを少し頂戴」

 と注文して、こちらに顔を向けると、

「調子出さないとね……」

 と、笑顔を見せた。運ばれてきた焼酎に口をつけると、

「美味いね、やっぱり本物のお酒は」

 服部は、とたんに上機嫌になっていった。

「実はトヨタのOB会があってね。それで名古屋に行ってたんだ」

100人以上の元トヨタマンが集結

 服部によればOB会というのは、トヨタの中国の現地法人、つまりトヨタが合弁事業を行っていた、「第一汽車」、「広州汽車」に出向していたトヨタ社員によるもので、名古屋市内のホテルに100名以上が集まり、大盛況だったという。

「トヨタ起死回生の合併劇は、服部さんがやったんだから、服部さんがOB会の中心なんでしょうね」

「皆が驚いてるんだよ、僕が姿を見せたんでね」

「なんでですか? 服部さんは、トヨタ中国のスターみたいなものでしょう?」

 服部はスターという言葉に、苦笑いを浮かべた。

「僕は、スターなんかじゃないよ。ただ、今まで出席したことがなかったから」

 失意の内に帰国してからは、とてもOB会に出るような心境ではなかったという。それが一転、2019年に限っては出席したのだ。

「なぜかっていえば、特に理由はないけど……、昨年から児玉さんに会ったり新しい刺激も受けたし、話していて昔のことを振り返ることもできた。まあ、そんな具合かな……」

 100人以上の元トヨタマンが集まったOB会は、和気あいあいとしていた。特に、第一汽車との合弁前から中国事業に投入されていた者たちは、「天津汽車」との合弁で苦楽を共にしただけに、そんな苦労話もあちこちで聞こえてきた。

 社長の章男は、この会にメッセージは寄せていたものの、会場に姿を見せることはなかった。

章男氏が語った“感謝の言葉”

 2005年、アジア本部本部長を離任する時、挨拶に立った章男は、

「自分は中国のことなど、まったく知りませんでした」

 と切り出した後、感謝したい人物として、

「まずは服部さん。なんといっても服部さん」

 と、万感の思いを込めて名前を上げ、会場にいた服部に視線を移し、

「本当にありがとうございました」

 と、万座の中、深々と頭を下げたほどだった。こうした経緯を知る、中国合弁事業に携わった者たちの間から、

「章男さんはどうしたんだろう? やっぱり忙しいんだろうな」

 という声が上がるのも、不思議ではなかった。気兼ねのない集まりだっただけに、会場には笑い声が絶えなかった。そんななか、挨拶に立ったのが服部だった。

「服部さん、瘦せたね!」

 こう声が飛ぶと、服部は声の主に視線を移し、

「苦労が多いんだよ、日本は」

 と言って、ニヤリとしてみせた。会場は爆笑に包まれた。

「今日は久しぶりに懐かしい顔を見られて、うれしい思いです」

 そしてこう続けた。

「皆さん、幸せになりましたか? 僕は…」

「トヨタと第一汽車、トヨタと広州汽車、この合弁はすべて僕が決めて、僕がやってきた。ここに来ている人たちの、人生を変えてしまった張本人は僕ですから、とてもね、責任を感じておるんですよ。そうは見えないかもしれないけど……」

 会場から、また笑いが起きた。

「第一汽車、広州汽車と、僕が合弁をやったけれど、果たしてそれで皆さんが幸福になったか、不幸になったかはわかりません。でもね」。服部はここで言葉を切り、息を溜めた。

「だけどね、トヨタという会社は幸せになった。これだけは間違いない。僕らが苦しめられていた、天津汽車との関係を終わらせて、第一汽車、広州汽車と組んで、間違いなくトヨタは幸せになった」

 そして悪戯っ子のような表情を浮かべ、こんな言葉を投げかけて挨拶を終えた。

「皆さん、幸せになりましたか? 僕はそうでもないです。こんなもんです」

「僕はそうでもないです」という挨拶は、服部の本音でもあるのだろう。

 服部はまた一口、焼酎の水割りを飲み込んだ。いつもの酒席で見せる服部の表情、仕草に戻っていた。声も愉快に笑う時のような、やや甲高いものになり始めていた。

「章男ちゃんは複雑なんだよ」

「章男さんがアジア本部本部長を離れる時に、幹部社員の前で、僕へのお礼を言ってくれた。『すべて服部さんのおかげ』と言ってくれたよ」

「嬉しかった?」

「そりゃ、嬉しいよ……当たり前じゃないか」

 服部は少しムッとしたような表情で、大きな声を出した。

「でも章男さんは、テレビや雑誌などでも、中国の時のことはほとんど喋らないですよね。それって、自分がやった手柄じゃないからなんじゃないですか? 本当に感謝しているのかな」

「児玉さんね、章男ちゃんはね……」

 いつの間にか“章男さん”から、“章男ちゃん”に呼び方が変わっていた。服部の年齢から、また経験してきた出来事の数からするならば、服部にとっては“章男ちゃん”なのだろう。

「章男ちゃんは章男ちゃんで、複雑なんだよ。奥田さんは章男ちゃんのことを、『章男はコンプレックスの塊だ』と話していたけれど……。まあ、章男ちゃんはね……複雑な子なんだよ。章一郎の育て方が問題だったんじゃないのかな」

 章男に話が及ぶと、服部の歯切れがとたんに鈍った。それは、章男を一方的に擁護するわけでもなく、一方的に批判するわけでもなかった。その声には、どちらかといえば哀れみの響きがあった。

 服部は、こんなエピソードを教えてくれた。

豊田家の親子関係

 中国で親しい関係となった服部と章男。ある日のこと、章男は、こんな話を服部に聞かせた。章男によれば、自分は父の章一郎から、常々こう言われ続けたという。

「お前に近寄ってくる者は、お前が好きで寄ってくるんじゃないぞ。お前の後ろに控えている、“トヨタの看板”に引き寄せられるんだ。だから、簡単に人を信用してはいけない」

 章男は、“お前の後ろにあるトヨタ”という表現を、別のところでも披露しているようだ。父親は一人息子に、こうした言葉を投げかけ続けたのだろう。

 章男は入社した直後、研修を兼ねて配属された組み立て工場で、“ブルーワーカー”の工員たちから苛められ、弱ってしまい、出社できなくなった経験があることも、服部に打ち明けていた。服部はかつて奥田から、こんなエピソードを聞かされたこともあった。

 奥田は豊田家の親子、章一郎と章男との諍(いさか)いを、こんな風に服部に伝えていた。それは、章一郎の「米国自動車殿堂」入りを、章男が邪魔していたというものだ。章男の横槍で中々殿堂入りができず、章一郎が苛立っていたという。

 米国自動車殿堂入りは、世界の自動車マンの憧れだ。創設された1967年には、世界初の自動車を量産製造・販売した「フォード」創設者、ヘンリー・フォードや、「クライスラー」創業者のウォルター・クライスラーらが選ばれた。日本人で最も早く選出されたのは、「本田技研工業」を創業し、ホンダを世界のトップブランドに育て上げた本田宗一郎だった。1989年のことだ。それから5年後の1994年には、トヨタの5代目社長を務めた豊田英二が選ばれている。選出された理由は、トヨタを世界第3位の自動車メーカーに育て上げた功績だった。

 自動車メーカーの創業家一族や、幹部の名誉の証である“殿堂入り”。その殿堂入りを目指す章一郎の邪魔を、息子の章男がしていると、奥田は服部に囁いたのだった。

本人に聞いてみると…

 服部は直接、章男に聞いた。

「章男さん、奥田さんから聞いたんだけど、章男さんが章一郎さんの“殿堂入り”の邪魔をしていたって、本当なの?」

 章男は最初キョトンとしていたが、事情を理解すると突然笑い出して、

「そんな馬鹿なことする訳ありませんよ。なんで僕が、そんなことをする必要があるんですか?」

 笑っている章男に、服部はこう言った。

「奥田さんは、章男さんの嫉妬だと言ってたけど」

 章男は苦笑いして、

「嫉妬? 僕は嫉妬はするけれど、父に嫉妬したことなんか一度もないですよ」

 そしてこう続けて、苦い顔をした。

「奥田さんは、いつも根も葉もない事を言いふらすから、困っているんですよ。本当にあの人は……」

 章男ちゃん……。章男を思い浮かべる時、服部はどうしても章男ちゃんと呼びたくなってしまう。最近も章男の風聞は服部の耳に入るが、中には芳しくないものも多い。

「好き嫌いが激しい」、「イエスマンしかそばに置かない」、「芸能人との遊びが激しい」。

 こうした風聞に、服部も思い当たる節があった。章男が、アジア本部本部長時代のことだ。

章男氏の弱点とは

 ある時章男は、「服部さん、こいつは将来、俺の番頭になる男ですよ」と言って古谷俊男を紹介した。後に、「東京トヨペット社長」となる男だった。ところが数カ月後、古谷のことを聞くと、「服部さん、あの男はダメですよ」と言ったきり、章男が名前を挙げることは二度となかった。

 しばらくして、「これはいいですよ。一番、中国に合う」と紹介してくれたのが、牛山雄造(後にトヨタ自動車常務)だった。けれど、この牛山も数カ月後、「もう牛山の顔も見たくない」と切られた。一事が万事、こんな調子だった。服部は、章男の好き嫌いだけで人を判断してしまうところを危惧し、一度こんな言葉でやんわりと注意を促したことがあった。

「章男さん、英二さんはね、厳しい人で人の好き嫌いはもの凄くはっきりしていた。だけど、人事では徹底して能力で評価していた。だから、章男さんも好き嫌いじゃなくて、英二さんを見習ってください」

 章一郎が、役員登用の約束を反故にした時、章男は何も進言してくれなかった。「父はそういう人ですよ」と笑っただけだった。だがそうした章男に対して、服部の視線は柔らかい。

服部氏が感じた“皮肉”

「章男ちゃんは、本当に複雑な人だよ。明るいか暗いかと言われれば、そりゃ暗いよ。コンプレックスは強いし。けどね、彼は僕を信用してくれて、すべてを任せてくれた。これは本当にありがたいことだったし、嬉しいことだった。僕に対しては、色々と言う人が多いんだよ。トヨタの中で僕を信用して任せてくれたのは、章男ちゃんと奥田さん。皮肉だけれど、この2人なんだよな」

 そして、最後にこう言って、苦笑いを浮かべるのだった。

「そうなんだよ、犬と猿の2人が、僕を信用してくれた2人なんだから……、これって皮肉だよね、児玉さん」

(児玉 博/ノンフィクション出版)

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