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名文家として知られる153センチの映画監督が木製の踏み台に乗って眺めた景色とは?

文春オンライン / 2024年6月28日 6時0分

名文家として知られる153センチの映画監督が木製の踏み台に乗って眺めた景色とは?

『ハコウマに乗って』(西川美和著)文藝春秋

 ハコウマとは、「箱馬」と書いて、演劇や映画の撮影現場で使われる木製の箱のことを言うらしい。「馬」は踏み台のことを指すようだ。

 著者の西川美和さんは映画監督で、現場の作業上153センチの身長で足りない場面を補うのにハコウマを使っている。

 ハコウマという飾り気のない名前から、ちょっとした工夫から生まれた道具で、様々な場面で使っていくうちに呼び名が必要で名づけられたのだろうな、と想像する。足をのせれば、目線が高くなって、少し遠くまで見渡すことができる。ハコウマに乗るときは、足をのせる前にまず足元に目をやり、目線が徐々に上がって見通しが広くなる。

 私にとって、西川美和さんの文章はそんな存在だ。

 本書は西川さんが2018年から2023年まで雑誌に発表したエッセイを一冊にしたものだ。

 この5年間色々あった。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というけれど、公私ともに問題はあとからあとから起こり続けて一向に喉元を過ぎる様子がない。それなのに、刺激を受け続けると麻痺してしまうのか、ちょっと時間がたつと記憶の輪郭がぼやけてしまう。

 そんなとき、本書のページをめくればぼやけた輪郭がまたはっきりしてくる。

コロナ禍での日々、違和感を流さずに立ち止まって考えてみる

「スーパーボランティア」と言われた尾畠春夫さんに発奮してランニングを始める西川さん。東日本大震災から未解決の問題を「アンダーコントロール」という欺瞞で覆い隠して招致した東京オリンピックに対するスポーツ観戦好きとして感じる違和感。

 連載中にコロナ禍に突入し、不安が募るなか、政府の方針で緊急事態宣言となった日々。あらゆることがストップし、周りとの兼ね合いで決断を迫られながらの映画人としての活動。一年の延期を経て聖域とばかりに進められるオリンピック開催に対する不公平感とジレンマ。アスリートたちの精進はそれとして、おおきなものに利用されることで付いてしまった意味合いや、不自由ながらも支配はうけていないという映画人としての矜持。映画業界での「長年の慣習」として膠着した思考を変えていかなければという反省。

 西川さんの文章には強引な誘導や断定は出てこない。日々のなかで感じた違和感を「そういうもの」として流さず立ち止まって考えてみるのだ。

 答えの出ないことは多いが、ためつすがめつしたうえで、答えが出ないことは答えの出ないこととしていったん棚に上げてみる。強引な結論は出さない。そのかわり機会があればどんどん自分以外の意見も聞いてみる。

 そんな著者の姿を見ていると、明日もとりあえず生きてみようと思えるから不思議だ。皆が本書というハコウマに乗ってみれば、ちょっと世界がよくなるかもと思ってしまう。

こかいゆみ/ジュンク堂書店池袋本店勤務。現在「本屋大賞」実行委員を務めている。「WEB本の雑誌」などでも活躍。

(小海 裕美)

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