1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 映画

「柴咲コウさんは相当な努力をされた」26年前に哀川翔が演じた役をフランス語で…黒沢清監督が語る“主人公を女性にした理由”

文春オンライン / 2024年6月16日 6時0分

写真

黒沢清監督

 殺された娘の復讐に燃える男と、それを手助けする謎の人物。二人は犯人と思われる者達を次々に誘拐し、拷問するが、やがて驚くべき秘密が明かされる。『ダゲレオタイプの女』(16)に続くオールフランスロケ作品となった黒沢清監督の新作『蛇の道』は、1998年製作の同名作品を監督自らリメイクした異色作。

 オリジナルでは、娘の復讐をする男を香川照之が、彼の協力者となる謎の塾講師を哀川翔が演じた。本作では、フランスの俳優ダミアン・ボナールが、8歳の娘を殺されたジャーナリストのアルベール・バシュレ役を、彼と偶然出会い復讐に手を貸すパリ在住の心療内科医・新島小夜子役を柴咲コウが演じ、事件の鍵を握るある財団の存在を追及していく。

 90年代の日本を舞台にした不気味な復讐譚は、現代のパリを舞台に新たな物語としてどのように蘇ったのか。オリジナル版との相違点から、主人公の性別の変化がもたらしたものなど、黒沢監督にお話をうかがった。

それなら『蛇の道』をやりたいと即答しました

――『蛇の道』のセルフリメイクという企画は、どのような経緯で進んでいったのでしょうか?

黒沢 フランスのプロダクションから、僕の過去作で何かリメイクしたいものはないかと言われ、それなら『蛇の道』をやりたいと即答しました。おそらく映画監督の多くは、もし自作でもう一度撮るならこれだという一本を持っているはず。自分にとってはそれが『蛇の道』だったんですね。強い欲望として「絶対にいつかリメイクしたい」と思っていたわけではありませんが、高橋洋が書いた脚本は、実はとても普遍性のある物語で、あの構造のままいろんな別のものに変化できるんだよな、ということは常々思っていました。

――前半部分は、ちょっとしたセリフのやりとりまで、かなりオリジナルの脚本に忠実ですよね。

黒沢 後半になり謎が段々解けていくにしたがって、違う要素がいろいろ入ってきますが、基本的な部分はほとんどそのままやっています。オリジナルに忠実にやろうと意識したわけではないんですが、まあ揺るぎなかったですね。

――あえて変える必要がない、ということだったんでしょうか?

黒沢 日本で撮っていたらもっと変えていたかもしれませんね。フランスを舞台にフランス語で撮るなら、オリジナルのままの構造でもまったく同じものには見えないだろう、という安心感がどこかであったのだと思います。

実はとても具体的な要素から偶然生まれたにすぎない

――おっしゃるように、後半になるにつれてオリジナル版との大きな違いが出てきます。なかでも興味深く感じたのは、今回主人公の性別を女性に変えたことで、母親の存在や夫婦関係という新たなテーマが登場したことです。前回描かれなかった存在を組み込もうという意識があったんでしょうか。

黒沢 結果的にそうなりましたが、最初から母親や妻の存在を入れたかったというわけではありません。主人公を男性から女性に変えたのは、もっと単純な理由からです。フランスで撮るなら、構造はオリジナルと一緒でも同じ話にはならないだろうとは思いましたが、やはり大きく異なる点は何か作っておいた方がいい。そう考えていたときに主人公を女性にしてみようと思いついたんです。さらにこの人物を(舞台となるフランスでは)外国人である日本人にしたらどうなるのか。この二点の変更を加えるだけで、最初こそ同じ流れでも段々と違う展開になっていくのではないか。そう思い元々の脚本を再考し始めました。

――最近の黒沢監督の映画は、『岸辺の旅』(15)、『散歩する侵略者』(17)、『スパイの妻』(20)と、夫婦を描いた作品が続いていたので、今回『蛇の道』をリメイクしたかったのは、オリジナル版では扱わなかった男女の関係性を新たに描きたかったからなのかな、と思ったのですが……。

黒沢 そこは自然な流れでした。ダミアン・ボナール演じる男が娘の復讐に動き出す、となると当然娘の母親もいるはず、それなら小夜子にも夫がいるんじゃないかと段々と物語が変わっていったんです。

――最初からこういう話に変えようと決めていたのではなく、ひとつ変更点を決めたことで話が変わっていったんですね。

黒沢 今回に限らず、僕の場合は大体そうなんです。できた映画を見ると、さも最初からテーマとして考えていたかに見える。けれど実は自然とそこに行き着いただけで、最初はとても具体的ないくつかの要素から発想していったにすぎない。そういうことが往々にしてあるんです。最近つくった映画では、『Chime』(24)もまさにそうでした。

使用言語をどうするかもかなり悩みました

――前回、フランスで撮影された『ダゲレオタイプの女』では、ほぼすべての役をフランス人俳優が演じたのに対し、今回柴咲コウさんという日本人俳優を主演にしたのは、あくまで脚本上の理由ですか? フランス側からの要望もあったのでしょうか?

黒沢 主役を日本人にするというのは僕のほうで思いついたことです。ただ、フランス側の助成金をとるためには、あまり多くのスタッフ・キャストを日本人で固めるわけにいかなかったので、その調整をどうするかは色々考える必要がありました。あとは使用言語をどうするかも悩みましたね。全部英語にするのもありかな、と考えたこともありましたが、「フランス人は、フランスの俳優が英語を喋っている映画は絶対に見ないよ」と言われてしまい断念しました。正直、リュック・ベッソンの映画とか、フランスでも全編英語の映画があった気がするんですが、まあそれならフランス語でいこうと。

 日本人の俳優にフランス語を喋ってもらうこと自体に関しては、どの方であろうとまあ大丈夫だろうと楽天的に考えていました。訓練を積んだ俳優は、ネイティブのように話すことは無理でも、それなりに外国語で演技ができるはずだと確信していましたので。もちろん実際フランス語で演じるにあたっては、柴咲さんは相当な努力をされたわけですが。

――フランス語をどういうふうに喋ってもらうか、黒沢さんから指示などはされたんですか?

黒沢 いえ、フランス語に関して僕は何ひとつ言えないので。ただ、10年近くフランスに住んでいてそれなりにフランス語を話せる日本人だとわかるようなセリフにしてほしい、ということは、脚本に協力してくれたフランス人の方に伝えていました。ですから小夜子の使うフランス語は、ネイティブの人が話すよりも、少し古めかしく丁寧なフランス語になっていると思います。

 日本でもそうですよね。流暢に日本語を話す外国人の方は、ちょっとした会話でも、「~だと思います」「~ではないですか」というような、より丁寧な言い方をすることが多い。小夜子のフランス語の台詞もそういう少し改まった口調にしたい、ということは考えていました。

この映画の主人公は哀川翔ではない

――オリジナル版で哀川翔さん演じる新島という男は、何があろうと動じない、どこか超越した雰囲気の人物です。それが、今回柴咲さんが演じた新島小夜子という女性は、最初こそ同じようにつねに冷静な人に見えますが、段々とそれが揺らいでいきます。途中、彼女が敵に反撃され窮地に陥ってしまい、ダミアン・ボナール演じるアルベールに助けられる場面では、彼女は決して無敵な人ではないんだとわかり、ハッとしました。

黒沢 劇的にそれを表現しようと思ったわけではないんですが、本来、小夜子やアルベールがやっているのは非常に危うい行為なのだ、ということは、しかるべきタイミングで見せた方がいいなと考えていました。おっしゃるように、この映画の主人公は哀川翔ではないので、丸腰で向かえば当然自分たちの身も危険に晒される。そこはしっかり見せたかった。

 付け加えていうと、哀川さん演じる新島と同じように、小夜子もまた何を考えているのかわからず機械的に物事を進めていく怪しい人物ですが、ごくたまに、すごく憎しみに満ちた表情を見せます。何か内側から湧き上がってくるものをぐっと抑えている瞬間が時々あり、ナイフを握って刺そうとしたりする。今回はそういう彼女の内面の何かからくるものを表現したいなとは思っていました。それが前回との違いにもなるだろうと。

――それは、演じる俳優が変わったことで生じた違いなんでしょうか?

黒沢 やはりせっかくリメイクをするのだから、前回まったく手をつけなかったところにも踏み出して広げていきたい、という欲望があったように思います。それが、柴咲さんという女性に主人公を演じてもらう試みであり、時々垣間見える主人公の人間臭さ、ということにつながっていったんだと思います。

――オリジナルと同じ部分とまったく違う部分とが奇妙に同居し合っているのがおもしろいですね。

黒沢 そもそもセルフリメイク自体にあまり例がないですしね。こう言っていいのかわかりませんが、オリジナルが大好きな方は見ないほうがいいかもしれません(笑)。「なんで哀川翔じゃないの!?」「あそこがああなっちゃうの??」といろいろ文句のある人もいるでしょうが、基本的には、オリジナルのことを何も知らない人に見せるつもりでつくっていますから。

一歩外に出れば、そこには否定しがたくパリの街が映る

――先ほど、フランスで撮れば当然オリジナルとは別のものになる、とおっしゃっていましたが、冒頭、柴咲さんが道の真ん中に佇む場面を見た瞬間、ああここは日本とはまったく違う場所だとハッとしました。

黒沢 それが映画という表現のおもしろさですよね。室内に入ってしまうとどこだかわからないような場所になりますが、一歩外に出れば、そこには否定しがたくパリの街が映る。他のスタッフはみなフランス人ですから何も気にせず撮っていましたが、僕と柴咲さんは、普通の街角に立つだけでも、「ああ、これパリだよね」と密かに興奮している、という現場でした。

――パリの街を、暗く不穏な場所として映すのは難しかったんじゃないでしょうか?

黒沢 撮影監督のアレクシ・カヴィルシーヌの存在はとても大きかったですね。前回僕がフランスで撮った『ダゲレオタイプの女』も一緒にやって気心が知れた人なので、この作品の雰囲気や僕の好みをよく理解して、パリのなんでもないような場所でもミステリアスな感じに撮ってくれました。

――オリジナル版を彷彿とさせる場所もたくさん出てきます。ロケーション場所を見つけてきたスタッフの方々も、黒沢さんの好みをよくわかっていらしたんでしょうね。

黒沢 そうですね。ただ場所に関しては、僕もさすがにパリならどこでもいいです、とは鷹揚にはなれなくて、「もうちょっとこういうところはないですか?」とずいぶん探してもらいました。

――マチュー・アマルリックやグレゴワール・コランが監禁される不気味な倉庫、あれはパリ郊外ですか?

黒沢 ええ、パリから車で30分くらいで行ける場所にある閉鎖されたお菓子工場で、本当に巨大なところでした。

――最後に出てくる工場のような建物は?

黒沢 あそこは見つけるまでに結構大変だったんです。台本上は「潰れた遊園地の中にある施設」とあったんですが、なかなかそういう場所が見つからず、ドイツまで行けばあるかも、という話も出たものの結局見つからなかった。最終的には、パリからかなり離れたところにあるこぢんまりとした遊園地の外側を使い、建物の中は、遊園地に関するいろんな道具を仕舞う巨大な倉庫を借りて撮りました。結果としてはとてもおもしろい場所になったんですが、探すのはなかなか苦労しました。

――日本と比べて、フランスのほうがロケ地探しはスムーズに進むのでしょうか?

黒沢 何を探すかによりますが、やはりフランスのほうが、ここを使いたいといえばわりと融通がきく気はします。日本では、フィルムコミッションの方が選んでくれた場所の中から選んで使うしかない場合がほとんどです。ふと外を歩いていて「このビルおもしろそうだな」と思っても、まあ使えないですね。

復讐劇は絶対にハッピーエンドにはなりえない

――フランスの俳優さんたちも、みなさん熱の入った演技でしたね。終始不穏な映画のなかで、マチュー・アマルリックが大騒ぎする場面では、思わず笑ってしまうようなコミカルさがありました。

黒沢 みなさん、ああいう芝居が大好きみたいですね。マチュー・アマルリックは最近は俳優より映画監督として活躍されている方ですが、ホースで水をかけられる場面なんて嬉々としてやってくれました。グレゴワール・コランも、ちょっと気難しい方なのかなというイメージがありましたが、実際に会ってみるとなんでもやってくれる人でした。

 グレゴワールとマチューが拳銃を奪い合って暴れるシーンでは、途中からカメラが彼らの姿が見えない場所に移動するので、「ここからは声の演技だけでいいですよ」と言っているのに、映っていないところで二人ともずっと大暴れしてるんですよ。俳優の方々も、普段の仕事ではやはり台詞劇がメインなんでしょうね。緊張感のあるセリフのやりとりを微妙な表情で見せながら、それをいくつかのカメラで撮っていく、みたいな演技ばかりで、少しうんざりしてるところがあるのかもしれません。今回のように体をめいっぱい使う芝居が、みなさん楽しくて仕方なかったみたいです。

――柴咲さんの患者役として登場する西島秀俊さんや、夫役の青木崇高さんの登場シーンは、今おっしゃったような、顔のアップとシリアスな台詞のやりとりが主だった気がしますが。

黒沢 青木さんはパソコンの画面を介してのやりとりですし、西島君は患者という立場上激しい動きが想定できなかったので、自然とああいう形になりました。結果的にフランス人の俳優たちと少し違う芝居になって新鮮でしたね。僕から特に何か言ったわけではないんですが、西島君は自然と、自分はあまり大きな動きや何かをしないほうがいいんだろうなと思ってくれたようです。基本的な動き以外はポツンと座ってぼそぼそっと話す、シンプルな芝居をしてくれました。西島君と青木さんの芝居は、フランスのスタッフたちからものすごく評判がよかったです。無駄なことは何もせず、何度も同じ芝居ができるなんてすごいと。

――オリジナル版とリメイク版とを見比べたとき、見終えたあとの印象が決定的に違うように感じました。オリジナル版では、謎の数式が出てきたり、得体の知れない悪役が出てきたりと、どこか世界の崩壊のような雰囲気があった気がします。それが本作では、悪を追及していくと結局は自分自身にたどり着くような、より内面的な悪を扱った話であり、より陰鬱な終わり方だと感じました。そうした変化について、監督はどうお考えでしょうか?

黒沢 そのあたりを深く追求したつもりはありませんが、新たにつくるからにはより悲劇的な話になるだろうとは、当初から思っていました。そもそも復讐劇は絶対にハッピーエンドにはなりえないものです。復讐という運命に一度囚われた人は、もうそこからは逃れられない。『復讐』シリーズ(『復讐/運命の訪問者』『復讐/消えない傷痕』)をはじめ、僕も過去に何作もそうした復讐ものを作ってきました。ただ不思議なことに、98年版の『蛇の道』だけはどうも異質なんです。哀川翔という俳優の不思議な存在感のせいか、この主人公だけが一人復讐というシステムから外れ、悲劇の外側にいるように見える。

 一方、今回柴咲さんが演じた小夜子はそのような超越的で人間離れした人ではありません。同じように淡々と物事を進めながらも、時々どうにも抑えきれない怒りや弱さといった人間らしさみたいなものが垣間見える。ですから最後も、この人が復讐というシステムの外側に出ることは絶対にないのだ、という終わらせ方になりました。その違いが、それぞれの作品の後味の違いになったのかもしれません。それはつまり、オリジナル版がいかに特殊な復讐劇であったか、ということでもあるんだと思います。

くろさわきよし/1955年、兵庫県生まれ。『CURE』(97)で世界的に注目され、国内外で多くの映画ファンを魅了する。『トウキョウソナタ』(2008)でカンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞、『スパイの妻』(20)でヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞する。

INFORMATION

映画『蛇の道』
6月14日(金)より新宿ピカデリーほかで全国ロードショー
公式サイト: https://movies.kadokawa.co.jp/hebinomichi/  
公式X: @eigahebinomichi

(月永 理絵/週刊文春)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください