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「部屋は血の海になっていた」首相側近・木原誠二氏、妻の元夫が自宅で“謎の不審死”…“捜査一課・伝説の取調官”が明かす《木原事件》の全容

文春オンライン / 2024年6月25日 6時10分

「部屋は血の海になっていた」首相側近・木原誠二氏、妻の元夫が自宅で“謎の不審死”…“捜査一課・伝説の取調官”が明かす《木原事件》の全容

木原誠二前官房副長官 ©文藝春秋

 2006年4月10日、都内の閑静な住宅街で一つの「事件」が起こった。その日、不審死を遂げた安田種雄さん(享年28)は、木原誠二前官房副長官の妻X子さんの元夫である。事件当時、X子さんは「私が寝ている間に、隣の部屋で夫が死んでいました」と供述したという。通称「木原事件」と呼ばれるこの“怪死事件”を巡り、1人の元刑事が週刊文春に実名告発をした。

「はっきり言うが、これは殺人事件だよ」

 木原事件の再捜査でX子さんの取調べを担当した佐藤氏は、なぜそう断言するのか。実名告発に至った経緯とは——。ここでは、佐藤氏が「捜査秘録」を綴った『 ホンボシ 木原事件と俺の捜査秘録 』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)

◆◆◆

文春に掲載された「木原事件」の記事に驚いたワケ

「週刊文春」の記者から初めて接触があったのは、2023年の7月13日のことだった。記者は直接、俺のところにきたわけではなかった。以前、住んでいた家の隣人のもとを訪れて、名刺を置いていった、と連絡があったのだ。用件が何かはわかっていた。俺は文春にあの話をするべきかどうか、しばらく考えていた。

 後に「木原事件」と呼ばれることになる事件を報じた記事が「週刊文春」に掲載されたのは、その1週間ほど前のことだった。

 当時、すでに警察官を退職して1年が過ぎていた俺は、ときおり市役所の人材センターでアルバイトのような仕事をしていた。お金には困っていないから、旅行をしたり、パチンコに行ったり、しばらくのんびりしようと考え、毎日を過ごしていた。

 そんな日々のなかで、刑事をしていた頃の記憶も、だんだんと過去のものになろうとしていた。ところが、文春に掲載された「木原事件」の記事は、そんな俺にとっても驚くべきものだった。というのも、警察内部の誰かがリークをしなければ、決して書くことのできない記事だったからだ。

佐藤氏は再捜査で重要参考人の取調べを行っていた

 記事は〈岸田最側近 木原副長官 衝撃音声 「俺がいないと妻がすぐ連行される」〉と見出しを打ち、2006年に起きたある殺人事件——一度は「自殺」とされた殺人事件—が、12年後に再捜査された際の詳細が報じられていた。

〈伊勢国の玄関口として栄えた愛知県名古屋市のベッドタウン。2018年10月9日、澄んだ空を射抜くように複数台のバンが商業施設に滑り込んだ。その日の最高気温は27度。夏の残り香が漂う中、後部座席を降りた警視庁捜査一課の捜査員らは、隣接する分譲マンションの4階を目指す。築12年、約80平米の部屋には、老夫婦がひっそりと暮らしている。捜査員の1人が手にしていたのは捜索差押許可状。そこには「殺人 被疑事件」と記されてあった。

「この日、家宅捜索が行われたのは、06年4月10日未明に覚知した不審死事件に関するものだ。本件は長らく未解決の扱いだったが、発生から12年が経過した18年春に、未解決事件を担当する捜査一課特命捜査対策室特命捜査第一係が中心となって再捜査に着手していた」(捜査関係者)〉……。

 そう始まる記事を、俺は眼を皿のようにして読んだ。なぜなら、自分自身がその再捜査で重要参考人の取調べを行い、捜査にも深くかかわっていたからだった。

「部屋は血の海になっていた」安田種雄さん不審死事件の全容

 不審死事件の内容は次のようなものだ。

 ——2006年4月10日、都内の閑静な住宅街で、ある「事件」が起こった。その日、不審死を遂げたのは風俗店に勤務する安田種雄さん。警察に通報したのは、貸していたハイエースを深夜に返してもらおうと、その家を訪れた種雄さんの父親だった。

 父親が種雄さんの家に着いたとき、玄関のドアは開いたままになっていた。電気の消えた2階の居間には種雄さんが横たわっており、寝ていると思った父親は「おい、この野郎。こんなところで寝たら風邪ひくぞ」と体を揺すって起こそうとした。ところが、足の裏に冷たいものが伝ったのを感じ、照明のスイッチを点けると、部屋は血の海になっていた。そして、眼下には、タンクトップを血に染めた種雄さんの遺体があった。

 通報時刻は10日の午前3時59分。すぐに管轄である大塚署員が駆けつけた。その際、種雄さんの妻であるX子は子供2人と2階の奥の寝室で寝ていたといい、「私が寝ている間に、隣の部屋で夫が死んでいました」と供述した。

 警察の当初の見立ては覚醒剤乱用による自殺ではないかというもので、その理由は、2階のテーブルと作業台の上に覚醒剤が入ったビニール袋が発見されたからだった——。

 俺は「週刊文春」の記事を読みながら、「異様な終わり方」をしたこの事件をめぐる再捜査の様々な場面が脳裏に浮かんでくるのを感じた。

 捜査はX子の聴取が行われていた2018年10月、国会が始まるタイミングで消え入るように終わった。俺は国会が閉会すれば再び捜査が開始されると思っていたが、結局、捜査が本格的に再開されることはなかった。

捜査一課時代の上司から「文春読んだ?」と電話が…

 それにしても——と俺は思った。

「週刊文春」の記事はこの事件の捜査が辿った経緯を、あまりに詳細に伝えていた。何しろ、捜査を行っていた俺ですら5年が経ち、すでに記憶があやふやになっていたそれぞれの捜査の日付が、記事のなかでははっきりと正確に断定されている。そんなふうに日付を断定するのは、報告書や捜査官のメモなどの裏付けがなければ絶対にできない。

「じゃあ、誰が喋っているんだろう」

 俺が知人から文春の記者の連絡先を伝えられたとき、電話をしようと考えたのは、そういう好奇心からだった。

 そもそも、事件を報じた「週刊文春」の記事の存在を俺に知らせてくれたのは、捜査一課時代の上司だった栗本徹係長(仮名)だった。2023年7月初旬のことだ。

 電話をかけてきた栗本係長は言った。

「文春読んだ?」

「いや、読んでいません。何ですか?」

「あの事件のことが載っている」

 この時点では、俺はまだ「週刊文春」が事件を報じたことを知らない。すぐにYouTubeで雑誌の内容を配信している番組を見た。

「もしかして、リークしたのは栗本さんじゃないんですか?」

「違う。でも、何だか俺が疑われちゃっているみたいでさ」

リークしたのは自民党の幹部か管理官なのでは

 警察内部でも、文春の記事は、すでにそれだけ話題になっていたという。

 情報の出所はどこなのか。俺の見立てでは、後に岸田文雄政権で官房副長官を務めることになる自民党の木原誠二氏が、事件の参考人だったX子の夫であったことから、おそらく警視庁の管理官が自民党の幹部に説明した資料が漏れたのではないか、というものだった。政治家が絡んでいる案件では、上に「捜査を進めていい」という許可を取ることがあるからだ。

 その際に“交換条件”として、捜査の報告が行われる。だから、リークしたのは自民党の幹部か管理官なのではないか……。実際、この事件では捜査の中止が告げられた後も、上司から「資料を見せて欲しい」といった要求があった。

〈 「はっきり言う、これは殺人だ」木原誠二氏妻の元夫“怪死事件”に驚きの新事実が…“捜査一課・伝説の取調官”が週刊文春に実名告発した経緯 〉へ続く

(佐藤 誠/週刊文春出版部)

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