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「SMAPからも世の中からも必要のない存在になっちゃう」90年代、『スマスマ』絶頂の裏で鈴木おさむが抱えていた“嫉妬と焦り”

文春オンライン / 2024年6月21日 11時0分

「SMAPからも世の中からも必要のない存在になっちゃう」90年代、『スマスマ』絶頂の裏で鈴木おさむが抱えていた“嫉妬と焦り”

左から鈴木おさむさん、岡村靖幸さん

 この春、放送作家業から引退した鈴木おさむさん。プライベートでも鈴木さんと交流のある岡村靖幸さんが、伝説のバラエティ番組となった『SMAPxSMAP』の裏側や、テレビ史に残る「謝罪放送」の内幕について聞きました。

 2024年6月20日(木)発売の 『週刊文春WOMAN 2024夏号』 より一部を抜粋し、掲載します。

SMAPの立役者は、“「東映まんがまつり」みたいな人”

岡村 90年代から2000年代のテレビは完全にSMAPやダウンタウンが中心だった気がするんです。中でもSMAPは、歌だけじゃなく、演技もできる、コントもできる、バラエティのMCもできる、アイドルの形をガラッと変えた。ブレーンとして関わっていたおさむさんの力もあるけれど、おさむさんを引き入れた、マネージャーの飯島三智さんの直感力がすごかったんだろうと『最後のテレビ論』(文藝春秋)を読んですごく思ったんです。飯島さんはどんな方ですか?

鈴木 「東映まんがまつり」みたいな人(笑)。みんなが見たいものを見せて喜ばせる、楽しませるという意味で。そして、岡村さんも言うように、それまでのアイドルがやらなかったことを積極的にやらせた。光GENJI以降、90年代になるとアイドルがダサいと言われる時代になったんです。

 そこから、バラエティでコントをやったり、音楽面ではクラブミュージックに傾倒したり、『an・an』の「抱かれたい男」特集に出てみたり。アイドルとは離れたところにあるものをどんどん取り入れ、それを巧みに掛け算することで世の中をわくわくさせていった。その手腕がすごかったんです。

岡村 そんなSMAPとともに『スマスマ』という番組自体もバケモノになっていって。高倉健さんが出るとか、マイケル・ジャクソンが出るとか、番組の格がぐんぐん上がっていった。目の当たりにしてどう感じてました?

鈴木 でも番組が始まる前は、いろんな人に「当たらないよ」ってすごく言われたんですよ。

『スマスマ』って96年4月から始まったんですが、その前の時間帯は「月9」で、木村くんと山口智子さんの『ロングバケーション』。視聴率30%越えのドラマだったけれど、ドラマが終了したら数字は下がると言われたんです。でも下がらなかった。森且行くんがSMAPを脱退することになったときも、彼がいなくなったら絶対ヤバいと言われたんです。でも逆にどんどん上がっていった。

 そして、高倉健さんが出たのが97年の秋なんですが、そうなってくると、たかがアイドルの番組とバカにしてた人たちが無視できなくなってくる。中でも男の人たちが観てくれるようになったのはデカかった。これまでのアイドルとはまったく違うと、世間の評価もガラッと変わりましたから。

SMAPに関わって感じていた“嫉妬”

岡村 エキサイティングだったでしょう、そのど真ん中にいて。

鈴木 それはもう。ただ、僕は彼らの番組にほぼ全部関わらせてもらいましたが、ドラマだけはやってなかったんです。だから、僕の中でいちばん嫉妬して焦ったのが、ドラマスペシャル『古畑任三郎vsSMAP』。三谷幸喜さんはなんて面白いことを考えるんだろうと。そして、飯島さんが三谷さんのことを褒めれば褒めるほど、内心「なんだよ!」と(笑)。

 アートディレクターの佐藤可士和さんもそう。SMAPのアルバムジャケットを手がけ一気にブレイクするんですが、彼の名前が有名になればなるほど、「なんだよ!」と(笑)。

 ただ、三谷さんはもちろんですが、可士和さんもそれ以外の仕事もすごい。僕はSMAPだけをやっていたらそのうち彼らからも世の中からも必要のない存在になっちゃうなと。だから当時、『めちゃ×2イケてるッ!』も並行してやっていたことが本当に身になったんです。お笑いのすべてをプロデューサーの片岡飛鳥さんに教わりましたから。

岡村 俺はSMAPだけの鈴木おさむじゃないぞ、と。

鈴木 実際、『いきなり!黄金伝説。』という『電波少年』っぽい番組を始めたり、『¥マネーの虎』という番組を始めたり。『¥マネーの虎』は起業を目指す人が投資家に事業計画をプレゼンして出資を募る番組ですが、すごく褒められたんです、SMAPのメンバーに。タレントに頼る番組ではないものが当たったのはうれしかったですね。

原動力となっていた、1億金を超える「実家の借金」

岡村 おさむさんがいちばん忙しかった頃は、SMAP関連の番組をやり、片岡飛鳥さん関連の番組をやり、加えて『笑っていいとも!』とか『27時間テレビ』とか。当時話題になった番組はほぼすべて関わっていた。睡眠時間なんて全然なかったんじゃないですか? 

鈴木 なかったです。実家の借金もありましたし、自分を追い込んでいた部分もあって。だいたい、放送作家の収入として月200万とか入ってくるようになるわけですよ、20代で。するとだいたいみんな勘違いするんだけど、僕は借金があるから遊べない。その足かせがあって良かったなといまは思います。とはいえ、月に百何十万とか返済に充てなくちゃいけない。

岡村 それは厳しいなあ。

鈴木 銀行、消費者金融、商工ローン。商工ローンって問題が多くて年39%もの利子がつくんです。毎月100万ずつ利子が増えるから、もう必死。俺の人生は破天荒だと思い続けるしかなかった。本当に破壊してました、自分自身を。

絶頂期のテレビ番組を、もう作れなくなってしまった理由

岡村 しかし、いまとなってはあの絶頂期の頃の『スマスマ』や『めちゃイケ』みたいな番組ってもう作れないですよね。

鈴木 絶対無理です。コンプライアンスの問題もありますが、予算ですよね。1回の収録で何千万とかけるわけですから。すごくよく覚えてるのが、『めちゃイケ』でスタジオに作ったプールに一本橋をかけてそれを渡るゲームがあったんですが、そのプールを全部マヨネーズで埋めたんですよ(笑)。

岡村 えーっ!

鈴木 マヨネーズだけで何百万。匂いなんて観てる人に1ミリも伝わらない。でも、それを「アハハハハ」と笑ってた。90年代は失われた時代の始まりというけれど、90年代後半まではバブルの残り香はあったんです。世の中は小室哲哉ブームだったし。

 でも、90年代後半から00年代になってくるとテレビを観ない若者が増えてきて、F3やM3と言われる50歳以上の視聴者の取り込みが始まったんです。それによって医療ドラマや刑事ドラマが一気に増えた。それがテレビの寿命を縮めてしまったと僕は思っていて。多くの若者は、テレビはもう自分には関係ないと思うようになり、そこにYouTubeが登場したんです。

岡村 おさむさんは、当時の25歳に向けてテレビを作っていたと言いましたが。いまの25歳との違いって感じます? というのも、年々、人間が幼児化しているような気がちょっとするんです。

 例えば、高倉健さんとか石原裕次郎さんとか、彼らが25の頃の写真を見るとめちゃめちゃ大人。言動も。僕が25のときも自分たちは幼児化してると思ったけれど、それがどんどん加速しているというか。テレビも含めて世の中のホワイト化が進んでいるような気もするんですが、その帰結なのかなって。

鈴木 そもそも、大人に憧れることがないです、いまの若者は。僕らが20代の頃は、30代40代の人に三宿に連れて行ってもらい、大人の遊びを教わった。岡村さんの「カルアミルク」じゃないけど、飲めないカクテルを教わるカッコよさがあった。でもいまの20代が、いまの40代に教えてほしいことはなにもないんですよ。

※1990年代のテレビの裏側や、鈴木おさむさんの人生を変えた片岡飛鳥さんの一言、SMAPによる「謝罪放送」の内幕などについて語った全文は 『週刊文春WOMAN 2024夏号』 でお読みいただけます。

写真・杉山拓也
ヘアメイク・マスダハルミ(岡村)

おかむらやすゆき/1965年兵庫県生まれ。音楽家。86年デビュー。『TV Bros.』(東京ニュース通信社)で連載中の「あの娘と、遅刻と、勉強と」を書籍化した『あの娘と、遅刻と、勉強と 3』(東京ニュース通信社)が発売中。映像作品『アパシー』が10月16日発売予定。11月よりウィンターツアー開催予定。

すずきおさむ/1972年千葉県生まれ。19歳で放送作家デビュー、2024年3月31日に放送作家を引退。映画・ドラマの脚本や舞台の作・演出、映画監督、エッセイ・小説の執筆等、様々なジャンルで活躍。著書に『もう明日が待っている』、『最後のテレビ論』(ともに文藝春秋)など。

(辛島 いづみ/週刊文春WOMAN 2024夏号)

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