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住宅街に突如現れる“怪異”とは…地元民しか知らない「ヤバい京都」教えます

文春オンライン / 2024年7月10日 11時0分

住宅街に突如現れる“怪異”とは…地元民しか知らない「ヤバい京都」教えます

 インバウンドに沸く千年の古都・京都には、「雅」の裏に隠された得体の知れない怖さが存在する――。『イケズの構造』『京都人だけが知っている』等の著書で知られる生粋の京都人・入江敦彦氏が、このたび「京怖(=京都の恐怖)」の百物語を綴った『 怖いこわい京都 』(文春文庫)を上梓した。

 ガイドブックには決して載っていない、都に暮らす人々だけが知る「異形」の京都の魅力をこっそり教えます。(全4回の1回目)

◆◆◆

 京都は怖い。怖いから楽しい。怖いから美しい。そしてひとことで「怖い」といっても重層的で多面的。ときにそれはホラー映画めくどきどきだったり、絶叫マシンのスリルだったり、よくできたサイコサスペンスを読む喜びだったりする。いわば京都の恐怖は玉虫色だ。妖しく光る玉虫色の誘惑なのだ。

「京都人は美しい檻の中に住んでいる」という哲学者フェノロッサの言葉を拙著『怖いこわい京都』(文春文庫)に引用したが、わたしは「京都人は玉虫厨子の中に住んでいる」のかもしれないと思う。

 法隆寺国宝の細工箱に貼られた虹色の羽はほとんど剝(はが)れてしまっているが、こちらの厨子は1200年経ってもなおぴかぴか。どっからくるの、そのパワー。京都、おお、怖わ。

「捨て墓地」で遊ぶ子供たち

〈捨て墓地〉と人は呼ぶ。国宝第一号の弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)がある広隆寺最寄の太秦広隆寺駅からお寺とは逆方向に10分足らず。規模的にはささやかだが、その荒涼とした様子はミニチュア版の賽の河原といった風情。どうも墓石や碑などが置き去りのまま廃墟霊園になってしまった……のかと思ったらさにあらず。

 いまだに寺院の所有地であった。むしろ、そのほうが怖い気もするが(笑)。正式名称は〈朱雀墳墓地〉(すざくふんぼち)というらしい。え? 元は古墳なの?

 半ば崩れかかった埋墓のまにまにヒナゲシが紅い花を揺らせる眺めは儚い。そういえば、このあたりから先の西山エリアは平安時代には「あの世」に擬されていた。平安の風流人たちはRPGのようにここを訪れ風流を味わった。そういう意味で捨て墓地は京都の原風景でもあるのだろう。

 ただ、ここを「ちびっ子広場」として利用するのはいかがなものか。たまさか通りかかると子供たちが石を積んで遊んでいたりしてぎょっとする。

無縁仏の墓を土木材に…

 風光明媚を謳われる京都だが、ここにはそういった“陰の風景”もたくさん残っている。たとえば〈墓池〉。あれは強烈だった。平安時代ならさぞや人気を集めたことだろう。もっとも風流というには、いささかオドロオドロしかったけれど。

 それは左大文字にほど近い西方寺の霊園〈小谷墓地〉のこと。そこはかつて、お墓を土木材にしていた。弔う人が絶えて無縁仏となった御影石(みかげいし)を何千基も舗道に敷き並べ、階段を作り、湧水を堰き止めて池を溜めるというトンでもな風景だった。のどかな悪夢って感じ。

 他人の墓石を土足で踏んで墓参するのはさぞや奇妙な体験だっただろう。檀家さんたちの寄付で整備されて本来の霊園らしい姿を取り戻したのは喜ばしいことには違いない。しかしわたしはその喪失を残念に思わずにいられない。あの悪夢をもう一度見たい……。いまも静かに怖い雰囲気はあるので洛北散策の折には立ち寄ってみてほしい。

今はなき「ちんまんランド」

 もうひとつ消失…いやさ滅亡してしまって残念至極な場所がある。〈ちんまんランド〉あるいは〈チンマン王国〉と呼ばれ、ヘンなもの好きの京都人から愛された場所。小さな敷地に大理石で造られた男性器、女性器が林立するまことにチン妙、なれど佇まいのある素敵な空間だった。

 ここの国王だったのは第16代佐野藤右衛門(さの・とうえもん)翁。ウサン臭い人物ではない。〈円山公園〉のオバケ枝垂れや〈京都御所〉殿前の左近の桜の世話を代々されてきた桜守なのだ。そんな翁のご自宅〈植藤(うえとう)造園〉は見事な桜苑になっているのだが、その玄関先に王国はあった。地元民たちが愛する隠れた花の名所にそんなものがあったなんて京都深すぎ。

 それにしてもオブジェが去勢……撤去(笑)された理由が「畏れ多い方」の上洛時に前を車で通過されるから撤収してくださいと「畏れ多い方専属警察」に指導されたせいだという。ほかでもない藤右衛門翁にそんな要求するなんて。翁は畏れ多い方とのご縁が深いからこそ自ら廃国を決断されたのだった。お役人仕事は文化の害虫也。

妖しすぎるお気に入りスポット

 捨て墓地と並ぶ個人的なオキニをもう一ヵ所紹介しておこう。吉田山こと(神楽岡)にある〈竹中稲荷〉である。節分祭で有名な〈吉田神社〉が座す高さ100メートルほどの丘陵だが、この山頂北東寄りにあるお稲荷さんがわたしは大好き。奇しいものに反応するアンテナにゆんゆんきちゃう。

 鳥居と桜が交互に並んだ参道の眺めは吐息のもれる美しさだが、満開の頃でさえひっそりしているまさに穴場。たまさか迷い込んだようにやってきた人たちもお社に手を併せるとそそくさ帰ってゆく。なぜって、はっきりいって妖しすぎるので。

 信仰対象とは思えない半壊した社や、礎石だけがストーンサークルめいて残されたもの。神像が飾られた祠もあるが自然石を祀っただけのスタイルも混ざる。宝珠、石棺、埋め室、積み石。碑の台座には“何か”が出入りするための穴……。

不安も恐怖の味のうち

「お塚信仰」という言葉をご存知なら、ああ、これがそうなのかと思うだろうけれど、その知識がなければほとんど異教の祭儀場に見える。ようは無秩序に祀られた私的なお稲荷さんの集合住宅だが、建て売り(笑)ではなく様式が不統一なので観ているうちに混乱してきて思考がバグっちゃうの。そのトリップ感がたまんないわけ。

 ここを訪れるたび、わたしは「ああ、こういう風景と出会うために京都をほっつき歩いているんだなあ」と感慨する。このたびそれらを紹介する機会を戴いて大変嬉しい。案内人がわたしでは不安かもしれないが、不安も恐怖の味のうち。かつて西山をめざした都人たちのように、怖楽しい、怖美しい玉虫色の京都へようこそ。

(入江 敦彦/文春文庫)

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