高1で父の会社が倒産し、両親失踪→通学中に“監禁”されて「お父さんはどこだ?」と…“波乱の学生時代”を送った野村宏伸(59)が、俳優デビューした意外な理由
文春オンライン / 2024年6月30日 11時0分
![高1で父の会社が倒産し、両親失踪→通学中に“監禁”されて「お父さんはどこだ?」と…“波乱の学生時代”を送った野村宏伸(59)が、俳優デビューした意外な理由](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/bunshun/bunshun_71493_0-small.jpg)
俳優の野村宏伸さん ©石川啓次/文藝春秋
角川映画『メイン・テーマ』のオーディションで薬師丸ひろ子の相手役に選ばれてデビューし、ドラマ『教師びんびん物語』で大ブレイクを果たした俳優・野村宏伸(59)。
今年でデビュー40周年を迎える彼に、裕福だった少年時代、父親の会社が倒産したことで一時的に陥った一家離散、『メイン・テーマ』オーディションの意外な応募理由などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/ 2回目 に続く)
◆◆◆
幼少期は200坪くらいあるお屋敷に住んでいた
――今年でデビュー40周年とのことですが、芸能生活に加えてデビュー前の話も聞かせてください。ご実家は化学工場を経営していて、かなり裕福だったそうですね。
野村宏伸(以下、野村) そうです。詳しくはわからないけど、昔の冷蔵庫なんかに使われた製品を輸出してたみたいです。親父が2代目で、フィリピンとかそういったところによく出張で行ってましたね。
――家は200坪くらいある屋敷だったと。
野村 庭が広くて、池には鯉が泳いでいて、という典型的なお屋敷。そこに、両親、お祖母ちゃん、僕、年子の妹が住んでました。さすがに、お手伝いさんまではいませんでしたけど。実家は板橋の志村にあって、うちだけ大きいというか、近所でも有名というか、そんな感じではありましたね。
――小学校は私立ですか。
野村 幼稚園は私立で、両親はそのままずっと私立に行かせたかったんでしょうけど、僕があんまりそういう感じじゃなくて。そんなに頭も良くないし、小さい頃から近所の友だちが多かったから、幼稚園児ながらに「地元の小学校に行きたい」と強く主張して(笑)。それで、小学校、中学校は公立で。
高校1年生の時に父親の会社が突然倒産
――小さい頃から、「他の家とは違うな」と意識を。
野村 小2ぐらいで、ハワイ旅行に行ってるんですけど、ドルが360円ぐらいの時代でしょう。しかも、わざわざ学校を休ませてまで行ったんですよ。
あと、トヨタのクラウンが2台あったりね。なかなか、クラウンみたいな高級車が2台ある家はなかったんでね。そういうところで「うちって、ちょっと違うのかな」とは。
中学まではそんな暮らしぶりだったけど、高校1年の何学期だったか忘れたけど、親父の会社が倒産しちゃって。
――いきなりですか。
野村 親父の会社が倒産したって、いきなり聞かされて。それまで「なんだかヤバそうだ」なんて雰囲気がまったくなくて、ほんとに急だったんですよ。
学校から帰ってきたら、「ちょっともう、この家を出ないとダメだ」「えーっ!」みたいにね。「どうするの?」って感じだったけど、もう親もバタバタで。ある程度の自分の荷物を持たされて、もはや夜逃げ状態ですよね。
「騙されて、みたいなのがあった」父親の会社が倒産したワケ
――倒産の原因は。
野村 後々になっても聞かなかったな。……「なんで?」って、その時の真相を聞いておけばよかったね。ほんと……今だったらおふくろに聞けたのに、なんか聞かなかったね。おふくろ、このあいだ亡くなっちゃって。
――そうでしたか。
野村 そういう話をじっくり聞けなかったんだよね。ただ、親父が不渡りを出して、騙されて、みたいなのがあったみたいで。
――お父さんは、2代目社長でのんきなところがあったとか。
野村 あったんでしょうね。というか、甘かった。酒は飲まなかったけど、博打をやっては朝帰りする人でね。麻雀を徹夜でやったり、競馬に行ったり。そういう姿を子供ながらに見ていたし、僕は親父に慣れなかったというか「パパ、パパ」って感じの関係性ではなかった。たまにキャッチボールをやったりしたけど、僕が自分の子供たちに接するような雰囲気ではなかったね。あんま好きじゃないのかなって、子供を。それよりも自分の遊びを優先する生活スタイルというか。
――それは野村さんに対してだけ。
野村 妹にもそんな感じだから、2人ともあんまり懐かなかったですね。
両親は雲隠れ、妹とも離れて“一家離散”状態に
――夜逃げ状態になって、一家でどちらへ。
野村 親父とおふくろは雲隠れしちゃって、僕と妹はひとまず親戚に預かってもらって。僕は親父の妹のところ、妹はおふくろの姉さんのところへ。お祖母ちゃんは、大阪に兄妹がいたので、そっちへ。
――親戚の方たち、優しいですね。
野村 そうなんですよ。でも、世話になるほうは気になっちゃうんですよ。正月やお盆に集まってるのとはわけが違うんでね。
で、ちょっとしたら親が部屋を借りてくれたんですよ。埼玉の川口に。そこで僕と妹は、しばらく暮らしてましたね。そこから、それぞれの高校に通ってたし。家賃、光熱費は、親が払い続けてくれて。たぶん、いくらかの金を持って出ていったんでしょう。あと、保険の解約をしたりね。家とかはすべて取られちゃってたから。
でも、食費とかがあるから。それは兄妹でバイトして稼いでましたよ。学校が終わったら僕は夜間のビル掃除とかやって、妹はファミレスで。まぁ、数ヶ月ぐらいでしたから、悲惨だったとか、苦労したとかはないんですよ。
――ちょっとワクワクなところも。
野村 うん。ただ、ちょっと親のことは心配だったのはあったんですけど。だから、1ヶ月に何回か待ち合わせして、家族4人でご飯を食べたりして。親がマズい状況だから、横浜とか、板橋から遠いところで待ち合わせして(笑)。
「この駅のここ」「なんとかって店の前で」なんて、やりとりしては会ってましたね。デートもそうだけど、あの頃ってケータイもスマホもないのに、よく人と会えてたよね(笑)。当時は、それが当たり前だったけど。
両親に会うと元気そうにしてたから、こっちもホッとしてね。両親から「いろいろ迷惑かけてすまない」なんて謝られましたけど、僕らも「しょうがないな」って。妹は、別れ際に親についていきたいなんて、よく言ってましたね。
通学中に“監禁”されて「お父さん、どこにいるんだ?」と…
――学校に通えていたということは。
野村 親が学費を払ってくれていたんでしょうね。僕は王子にあった都立北高校で、妹は私立に通っていて。
僕の学校に債権者が来ましたね。校門から出たら、僕を車に乗せて「お父さんから連絡は?」なんて聞かれて。
――それ、監禁みたいなものですよね。
野村 アウトだよね。ただ、怒鳴ったり、なんかひどいことされたりとかはないんですよ。静かに「お父さん、どこにいるんだ?」とかね。でも、そういうことがあってから「尾けられてるんじゃないか?」って怖くなっちゃって。だから、学校が終わったら裏門から顔を出して、「いないかな?」ってキョロキョロ見回してましたよ。学校の帰り道は、いつも後ろを気にしながら歩いていた記憶がありますね。
――学校に来たのは、そういった界隈の方々ですか。
野村 そういった人もいたし、親父が取引していた会社の人とか。しかし、よく調べるよね。息子の通っている高校とかさ。
学生時代はモテたが、彼女一筋
――ちなみに、中学、高校はグレたりせず。
野村 暴走族に入ってるヤツとか不良の友だちはいっぱいいたけど、僕はあんまりそういうのに興味がなくて。友達だけど、「あっ、自分はいいや」という感じで。そもそも、つるむのがあんまり好きじゃなかったから。
――やっぱり、モテましたか?
野村 小中高までは、モテてました(笑)。待ち伏せとか、普通にありましたね。学校で話題になるじゃないですか、「あの先輩、かっこいいよね」とか。そういうのは当時から。
――ファンクラブ的なものは。
野村 どうなんだろ。他の学校の子たちからも、待ち伏せされたりしましたけど、その程度ですよ。
――モテを謳歌しようとは。
野村 と思いますよね。でも、彼女がいて一筋みたいな感じ。今になってみると、いろんな女の子と仲良くしとけばよかったなって思うけど(笑)。
――離散状態だった家族は、再び集まることが?
野村 できました。高校2年のときに、所沢で両親と僕ら兄妹の4人で住むことができて。その後に練馬にマンションを借りて、そっちに移って。そこで、やっと落ち着きました。高校の3年間は、何回引っ越したんだろうって感じの3年間でしたね。
落ち着いたと言っても、最終的に親父とおふくろは離婚しちゃうんだけど。
角川映画のオーディションに応募した意外な理由
――練馬に移ってから、デビューのきっかけとなった『メイン・テーマ』(1984年)のオーディションを受けたのですか。
野村 3年になって「もう卒業だ。進路どうすんだ」ってなったけど、大学には進む気があんまりなくて。ツアー・コンダクターとかにすこし憧れていたので、旅行とか観光の専門学校にでも行こうかなと考えてたんです。
そんなタイミングで、妹が雑誌の「セブンティーン」で角川映画のオーディション応募の記事かなんかを目にして。練馬のマンションの前で妹が僕の写真を撮って、それを送ったんですよ。で、すっかり忘れた頃に第1次審査通過の通知が届いて、東映でやるオーディション会場に行ったんです。
――東映って、銀座の本社ですか。
野村 そう、あそこ。通知に「来てください」って書いてあって。あんまり気乗りしてなかったけど、優勝者には500万円、推薦人には100万円の賞金が出るって知って「これはすごいな」と。これ言うとアレだけど、「賞金もらえるならいいね」っていうところだけで受けたんです(笑)。だから、わざわざ学校を休んで東映に行きましたよ。
――推薦人となった妹さんは「兄ならイケる」みたいな認識があったのでしょうか。
野村 「お兄ちゃん、かっこいいよね」とか、学校でも言われてたらしいんです。あと、応募条件のなかに自動車免許を持っていることってのがあって。ずっと運転している役だったので免許所有が絶対だったんですよね。で、僕は免許を持っていたし、「お兄ちゃん、いいじゃん」と。いろいろ条件が合致している妹の知り合いが、僕しかいなかった(笑)。
松田優作さんの出演映画に興味があって…
――あの頃は角川映画の勢いが凄かったですが、野村さんも観ていましたか。
野村 僕は映画が大好きで、日本映画を観るなら角川映画か松田優作さんの映画って感じでしたから。角川は、松田優作さんの主演作もやってますしね。なので、角川映画のオーディションってところは、僕的に良い意味で引っ掛かってはいました。
あと、監督が森田芳光さんってところも「おっ」となっていましたし。オーディションを受ける前に、『家族ゲーム』(1983年)を観ていたから。
――『家族ゲーム』も、松田優作さんが主演ですもんね。
野村 優作さんが好きだったから、池袋の映画館へ観に行ったんですよ。それまでの『蘇える金狼』(1979年)や『野獣死すべし』(1980年)といったハードボイルドな感じではない優作さんの映画だってことで、興味があって。
観たら、ムチャクチャ変な映画で(笑)。「なんなんだ、この映画?」と思って。で、優作さんがこういう役をやって、これを撮っている人が『メイン・テーマ』も撮るってことで自分の中で盛り上がりましたよね。今思うと、これはもう縁だったんだなって。
なぜ応募者2万3000人の中から選ばれることができたのか?
――とはいえ、オーディションではスンとしていたそうですね。「将来は何になりたいか」と聞かれて「サラリーマンになりたいです」と答えたという。
野村 やっぱり、親父の倒産とその後のゴタゴタがあって、自営業の大変さを知ってたから、それでサラリーマンとして月給をもらっているほうが安定していいかなと。安定した職業っていう意味で、サラリーマンって答えたんですよ。
まぁ、普通オーディションでそんなこと言わないよね。でも、狙って言ったわけでもないし。ただ、やる気あったのかと言うと、やる気はなかった(笑)。
――そこが良かったんでしょうね。
野村 森田さんはそうだったみたいで、僕を一番推してくれたみたいです。角川(春樹)さんは、違う人を推してたかもしれない。
――そのオーディションで決まりですか。
野村 最終があって、また銀座の東映に呼ばれました。それまでは東京だけのオーディションで、今度は全国から集まって。たしか、大阪とか何ヶ所かでやってたんですよ。それぞれの場所で選ばれた人たちが、最終2次で集まったんです。もう、5人くらいに絞られていましたね。で、優勝したんです。応募者が2万3000人もいたそうで、そこから選ばれたってのはたしかにうれしかったですけどね。
賞金もらってやめちゃおうかなってチラッと考えた
――優勝して、なにかしらの書類を交わすとかは。
野村 いや。「あとで連絡しますから」とか言われて、すぐに帰りましたよ。
――賞金の500万円は? 小切手とか渡されなかったのですか。
野村 500万は、撮影を終えてからじゃないともらえないんです。だって、撮影前に渡して「出るのイヤだ」って言う人もいるかもしれないじゃないですか。
つまり、ギャラなんですよ。僕もチラッと考えましたよ。もらって、やめちゃおうかなって(笑)。それは冗談だけど、そこはうまくできてる。
――薬師丸ひろ子さんの相手役だったわけですが、当時の薬師丸さんはスターですから緊張したのでは。
野村 ひろ子ちゃんもそうだけど、他の共演者の方たちと会っても「うわー」とか思わなかったんですよ。どこか淡々としてたんですけど、(松田)優作さんがフラッと現場に現れた時はどうにかなりそうでしたね。
撮影=石川啓次/文藝春秋
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