田原俊彦と共演後、月収15万円→6000万円に爆増、愛車はポルシェに…「ジャニーさんが俺でいいって」野村宏伸(59)が明かす『びんびん』シリーズ出演の経緯
文春オンライン / 2024年6月30日 11時0分
![田原俊彦と共演後、月収15万円→6000万円に爆増、愛車はポルシェに…「ジャニーさんが俺でいいって」野村宏伸(59)が明かす『びんびん』シリーズ出演の経緯](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/bunshun/bunshun_71494_0-small.jpg)
俳優の野村宏伸さん ©石川啓次/文藝春秋
〈 高1で父の会社が倒産し、両親失踪→通学中に“監禁”されて「お父さんはどこだ?」と…“波乱の学生時代”を送った野村宏伸(59)が、俳優デビューした意外な理由 〉から続く
角川映画『メイン・テーマ』のオーディションで薬師丸ひろ子の相手役に選ばれてデビューし、ドラマ『教師びんびん物語』で大ブレイクを果たした俳優・野村宏伸(59)。
今年でデビュー40周年を迎える彼に、『メイン・テーマ』撮影時の様子、憧れの存在だった松田優作との出会いと交流、『教師びんびん物語』をはじめとする『びんびん』シリーズへの出演経緯などについて、話を聞いた。(全3回の2回目/ 3回目 に続く)
◆◆◆
松田優作さんの立ち姿を見て鳥肌が立ちまくり
――『メイン・テーマ』の撮影中に松田優作さんと会ったとのことですが、どういったシチュエーションで?
野村宏伸(以下、野村) ジャズ・シンガーの役で、(桃井)かおりさんが、出ていたじゃないですか。日活のスタジオにジャズ・クラブのセットを組んで、かおりさんが歌っているシーンを撮ったんです。
で、ふと見たら優作さんがスタジオの隅に立っているんですよ。かおりさんと優作さんは仲が良かったので、スタジオに見に来たんじゃないですかね。こっちは「ヤッバ!」ですよ。松田優作さんが立っている姿は、いまだに鮮明に覚えているというか、鳥肌が立ちまくりましたからね。
ほんと、(薬師丸)ひろ子ちゃん、かおりさんと会っても緊張しなかったし、色めき立つこともなかったんですよ。でも、優作さんは全身の電気が走ったというか。
学校へ行ったら、みんなが教室に覗きに来て…
――なにか交流は。
野村 撮影が終わったら、飲みに連れて行ってくれて。その後も何回か。『メイン・テーマ』の完成披露の後にも、優作さん、かおりさん、監督の森田(芳光)さんと飲みましたね。
下北沢にレディ・ジェーンって、優作さんが通ってた有名なバーがあるじゃないですか。そこに連れて行ってもらったりして、そういう思い出は、すごい宝物ですね。
優作さんが監督と主演を務めた『ア・ホーマンス』(1986年)の現場を見学させてもらったり、優作さんにはすごくかわいがってもらいましたね。
――松田さんとは、どんな話を。
野村 映画の話が多かったかな。でも、優作さんは歌舞伎とかいろんなものを観ていてね。「こういうのが良かった」とか、そういった話を「ああ、そうなんですね」って聞いてる感じ。あんまり、ベラベラしゃべる人じゃないんでね。
ほんと、ずっといてほしかったですよね。共演もしたかったし。会えて話せたってだけでも、すごいことですけどね。
――角川映画に出演、相手は薬師丸ひろ子となると、学校でも大騒ぎでしたでしょうね。
野村 新聞に載ったりして、ニュースにもなったんでね。学校へ行ったら、みんなが教室に覗きに来ましたよ。1年生、2年生も集まって、「誰? 誰?」「あの人?」みたいな。
「違うんだな、こういう世界は」高校生でホテルのスイートに宿泊
――撮影は高校在学中に?
野村 そうです。3ヶ月ぐらい、たっぷり時間をかけて撮影したんですよ。普通はそんなに時間をかけないですけど、ひろ子ちゃんの大学もあったんでね。彼女は真面目に学校に行ってたから、たしか春休みに集中して撮ったんじゃないかな。ひろ子ちゃんは、学校が休みの時に撮るってスタイルだったんで。ロケも多かったし、そのあたりも含めて当時の角川映画だから余裕がありました。
映画のラストで、万座ビーチホテル(現:ANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾート)が出てくるでしょう。当時は鳴り物入りのホテルじゃないですか、そこを定宿にしていたし、僕にはスイートかなんかを取ってくれて。「え、いいの?」って、さすがにビックリしましたね。それまで普通の高校生だったのに、急にそんなふうになっちゃうんでね。「違うんだな、こういう世界は」とか、しみじみ思いましたよ。
その沖縄ロケと高校の卒業式がぶつかってしまって、卒業はできたけど式には出られなかったんですよ。そうしたら、ひろ子ちゃんを筆頭にスタッフ、キャストのみんなが卒業祝いをやってくれてうれしかったですね。
薬師丸ひろ子との“知られざる関係性”とは?
――優しいですね。いきなりの俳優デビューで、戸惑ったりは。
野村 やったことないから、もう開き直ってましたね。「しょうがないじゃん」みたいな(笑)。そういう図太さ、ふてぶてしさが結構あるんですよ、僕。
僕がトチっても、森田さんを筆頭に誰も怒らないし。森田さんなんて、万座ビーチホテルの部屋で、マンツーマンで演技指導してくれましたもん。森田さんが、ひろ子ちゃん役をやって(笑)。
『家族ゲーム』のこともいろいろ教えてくれたし、スタッフもほぼ一緒だったから感無量で。
――薬師丸さんは、どうでした。
野村 当時のひろ子ちゃんは、ずっと年上の方ばかりと共演していたじゃないですか。『野性の証明』(1978年)では高倉健さん、『セーラー服と機関銃』(1981年)では渡瀬恒彦さん、『探偵物語』(1983年)では優作さんが相手で。
だから、年下が相手って、いなかったんですよ。そういうのもあって、僕のことを弟みたいにかわいがってくれましたよ。
――角川春樹さんが、現場を覗きに来ることは。
野村 ないです。春樹さんは、『メイン・テーマ』と同時上映だった『愛情物語』(1984年)の監督をやっていて、撮影時期も被っていたから。それに角川映画は、二本立てになると「あっちより出来がいいのを撮ってやる」みたいな対抗意識がものすごいんですよ。そうやってしのぎを削っていたところがあったんですよね。
「月給15万円ももらえなかった」デビュー直後の意外な生活
――そういえば、オーディションの賞金500万円と100万円は振り込みですか、手渡しですか?
野村 振り込みで。結局、撮影の途中に振り込まれてましたね。妹はもらった100万で、学校の入学金とか払っていて、「しっかりしてるなあ」って。僕なんて、すぐさま車を買っちゃいましたから(笑)。ホンダのプレリュード。一番いいクラスを買って……300万ぐらいしたのかな。あとは服をちょこちょこ買って、残りは貯金して。
――角川春樹事務所の専属俳優になったわけですよね。
野村 芸能部の社員として入りました。月給制。オーディションで「将来はサラリーマンになりたいです」なんて言ってたけど、それが叶ったというね(笑)。
最初の頃は、月給15万円もなかったんじゃないかな。ボーナスもなかったし。
そういえば、某企業のCMに出たけど、グリコ森永事件で飛んじゃったの。でも、ちょっとだけ放送されたので契約金も入ってるはずなんだけど、もらえてない。今だったら言うけど、当時はあんまり気にしなかったね。
映画の魅力に取り憑かれたワケ
――角川に入って、いろいろメディアに出されたのですか。
野村 角川のスタイルって、基本的にテレビに所属俳優を出さないんですよ。テレビに出るのは、映画の宣伝のためだけという。だから、『メイン・テーマ』を撮って、その次の『キャバレー』(1986年)を撮るまで、なんも仕事らしい仕事をしてないんです。たまに雑誌の取材を受けるぐらいだったけど、給料は出してもらってましたね。
――仕事をしていない間って、「いいのかな」って悩みそうですけどね。
野村 『キャバレー』が決まって、いろいろ準備をしてたから、そういうのはなかったけどね。ただ、『キャバレー』が決まるまでは悩みましたよ。『メイン・テーマ』が終わって、役者を辞めて違う道に進んだほうがいいんじゃないかなって。
だけど、映画の魅力に取り憑かれちゃったんですよね。
――面白かったんですね。
野村 面白かった。『メイン・テーマ』の現場って、環境が良くて「映画の世界って、いいな」と思ってたんです。それで、もうちょっと役者をやってみようかなと考えて、続けて『キャバレー』も決まって。角川としても結構な大勝負というか、『キャバレー』って角川映画10周年記念作だったんですよね。だから、角川さんが監督を務めて、お金も掛けて、メチャクチャ力を入れたんですよ。
「いろいろ準備をしてた」って言いましたけど、僕はサックスプレイヤーの役だったので、その練習なんかをやってたんですよ。
「飯も食えなくなった」撮影中、徹底的にシゴかれて…
――角川春樹さんには「もうちょっと役者をやってみようかな」という話を。
野村 言いましたね。『メイン・テーマ』が終わってから大学を受けてたんですよ、保険として。何校か受験したけど、あんま勉強できなかったから全部落ちちゃって。そこで覚悟を決めて、春樹さんに「お願いします」ってきちんと話しました。
それで『キャバレー』の撮影に入ったけど、徹底的にシゴかれて大変な思いをしましたね。怒鳴られて、けなされて、もうボロクソに言われて。飯とか食えなくなったもの。
――草刈正雄さんも、角川さんが監督を務めた『汚れた英雄』(1982年)の撮影で大変だったとおっしゃっていますね。角川さんのこだわりの強さから、何度も撮り直しがあったそうです。
野村 そうそう。草刈さんも大変だったと聞いてます。でも、角川さんって厳しいのは男性にだけで、女性には優しいんですよ(笑)。
要は、僕が出来なさ過ぎたんですよ。役に入り込んでいない、役になりきれていないという。鹿賀(丈史)さんがヤクザ役で、鹿賀さんを介して僕が演じた主人公が裏の世界でいろいろ目にして、傷ついて、成長していくって話でしょう。角川さんはその役と同じように、僕を追い込んでいくことで、映画の世界に没入させていったというかね。
おかげで、ラストシーンの僕はいい表情してるんですよ。「レフト・アローン」を吹き切ったときの顔ね。あそこは、最後の最後に撮ったシーンで、序盤とは顔付きが全然違う。達成感がありましたね。
「なんでトシちゃんの相手役に僕が選ばれたんだろうね」
――『キャバレー』の後は、昇給されました?
野村 30万円に。そっちでも達成感ありましたね。
――でも、角川春樹事務所が芸能部を閉じることに。
野村 ひろ子ちゃんも(原田)知世ちゃんも、みんな辞めて。時代もありましたね。映画よりもテレビって感じになっていったし。「どうしようかな」と思ってたら、知り合いの方が事務所を紹介してくれたんですよ。
で、角川から移籍してすぐに『びんびん』シリーズの1本目『ラジオびんびん物語』(1987年・フジテレビ)が決まって。2本目の『教師びんびん物語』(1988年・フジテレビ)が大当たりしたんです。
――田原俊彦さんとのコンビで、役名がシリーズを通して榎本英樹という。オーディションを受けたりは。
野村 なかったです。なにがきっかけで、僕に決まったのかは聞いてないですね。トシちゃんは最初から決まっていたんだけど、なんで僕が選ばれたんだろうね。なぜジャニー(喜多川)さんはジャニーズ事務所の誰かを相手役に起用しなかったんだろうって。それが今でも不思議。ヒガシ(東山紀之)とか光GENJIの誰かとかいただろうにね。
まぁ、ジャニーさんが俺でいいって言ってくれたんでしょうけどね。実際、僕らのコンビで当たったわけだし。
ただ、僕としてはメチャクチャ抵抗ありました。この榎本って役に。
――いじられキャラといいますか。
野村 ちょっと三枚目の弱々しいキャラでね。だけど、そこは「役者でやる」と決めたわけだからね。とはいえ、「まぁ、やってみるか」っていうぐらいでやったんだけども(笑)。
「トシちゃん、笑ってたもん」映画とテレビの違いにパニック
――やってみて、どうでしたか。
野村 全然できなかったです。でも、それは役柄を演じられなかったとかではなくて、テレビの速さについていけなくて。もうね、スケジュールが映画とまったく違う。
角川って、ワンシーンを撮るのに1日使ってたんですよ。それがテレビだと、1日に10シーンとか20シーンを撮って、セットでの撮影になるとマルチで回すでしょ。3カメ、4カメぐらいあって、一気に撮るから。あまりに環境が違いすぎて、もうパニクっちゃって。
トシちゃん、僕がワタワタしてるのを見て笑ってたもんね(笑)。
――そうしてくれるほうが助かりますよね。
野村 そうそう。トシちゃんが、わざと僕を笑わせたりするんですよ。
――『びんびん』シリーズは、『FNS番組対抗NG大賞』(1986~2000年・フジテレビ)でよく取り上げられてましたよね。
野村 『NG大賞』あったね! あの頃のドラマは、笑っちゃったり、ロレったりしても、そのテイクを使っちゃったりするんだよね。今は丁寧すぎるから、そういうのは許されないですよ。
「お金入ってくるしなあ」月収15万円から6000万円に上がり…
――なんだかんだで、『びんびん』シリーズは楽しくやっていた。
野村 もちろん。ただ、榎本というキャラクターのイメージが強くなっちゃってね。『ラジオびんびん物語』、『教師びんびん物語』、『SPびんびん物語』(1988年・フジテレビ)とやってきて、『教師びんびん物語Ⅱ』(1989年・フジテレビ)もやることになって、そこで事務所に「次はちょっと……」みたいな話をしたのは覚えてますね。
違うものをやりたかったし、僕自身はそういう志向ではなかったから。やっぱり、優作さんとか萩原健一さんとか原田芳雄さんが好きだったし、憧れていたから。テレビドラマも優作さんの『探偵物語』(1979~1980年・日本テレビ)や萩原さんの『前略おふくろ様』(1975~1976年・日本テレビ)が大好きだったし。
――『びんびん』の頃は、トレンディドラマ全盛でしたしね。
野村 圧倒的にテレビが強かったですね。また、そういうのに出ることでコマーシャルの仕事も来るし。1本やったら契約金が、3000万とか5000万ですから。役者も事務所も、そっちに行かざるをえないですよ。
僕も「お金入ってくるしなあ」と思ってましたし。
――20代後半で最高月収6000万円あったとか。月収15万円から月収6000万円って、すごいですよね。
野村 けど、いろんな人に合計で1億ぐらい貸して、すべて踏み倒されちゃいましたからね。
撮影=石川啓次/文藝春秋
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