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「遺体があるから捕まる。ボディを透明にするんだ」4人の遺体をサイコロステーキのようにバラバラに…《埼玉愛犬家連続殺人事件》“殺人ブリーダー夫婦”の冷酷

文春オンライン / 2024年6月23日 17時0分

「遺体があるから捕まる。ボディを透明にするんだ」4人の遺体をサイコロステーキのようにバラバラに…《埼玉愛犬家連続殺人事件》“殺人ブリーダー夫婦”の冷酷

殺した人間の骨はドラム缶で焼却したうえで、粉は山に撒き、臓器は川に流したという…。写真はイメージ ©getty

「遺体があるから捕まる。ボディを透明にするんだ。あとは、雨が降って、風が吹いて、あっという間に自然が掃除してくれる。俺が捕まりっこないことは、おまえにもよくわかるだろ」

 共犯者からは「30人以上の人間を殺害した」との話も…平成最悪の連続殺人事件「埼玉愛犬家連続殺人事件」とはいったいどんなものだったのか? 犯人夫婦の人柄からその残忍な手口までを、新刊『 世界の殺人カップル 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

埼玉愛犬家連続殺人事件

 1993年、埼玉県熊谷市周辺で恐るべき事件が発生した。ペットショップを営む関根元と風間博子の元夫婦が金銭トラブルをめぐり顧客ら4人を毒殺したのだ。

 特筆すべきは彼らが被害者の遺体をバラバラに解体・焼却し跡形もなく証拠を消し去ったこと。鬼畜な犯行に及んだ2人には後の裁判で死刑判決が下った。

 関根は1942年、埼玉県秩父市の下駄屋の四男坊として生まれた。幼少期から虚言と悪知恵に長けて、周囲からは「ホラ元」のあだ名で呼ばれた。中学に上がると髪の毛を染め、地元の暴力団の使い走りのようなことをやるようになる。卒業後、地元のラーメン屋で出前持ちとして働く傍ら、実家の下駄屋の土間で犬の繁殖を始める。ちなみに、勤め先のラーメン屋は関根が働いているころに全焼。店主の遺体が発見されたときは骨だけになっており、警察は単なる火災として処理したが、これは関根による放火殺人だったと言われている。

 その後、19歳のときにラーメン店時代の同僚女性と結婚し一男二女をもうけたものの、やがて秩父市内の病院で働く看護師の女性と不倫関係となり離婚。1970年ごろに再婚し同市内のアパートに移り住む。ライオンを飼い始めたのもこのころで、後に2人は「ライオンを飼う夫婦」としてテレビ出演したこともあるそうだ。1975年ごろから実家を改造しペットショップを開業するとともに、犬やトラ、ライオンなどのリース業を開始。特別、動物に愛着があったわけではない。あくまで金のためだった。

 商売は悪どかった。プードルにピンク色のスプレーで色をつけて「珍しい種類」などと言って高値で売りつけたり、子供が生まれたら1匹20万円で引き取ると番(雄と雌)で犬を売り、いざ子犬が生まれると毛並みが悪い、尻尾が曲がっているなど難癖をつけ買い取り金額を1万円ほどに下げたり、さらには一度販売した犬を客の家から盗んで別の客に売ることまであった。当然ながらトラブルは絶えず、経営は傾き、やがて再婚相手とも離婚。

 その後、熊谷市内の女性マッサージ師と暮らし始め、ヒモのような生活のなかで、関根は彼女の娘にも手を出す。この娘は最初の妻との間に生まれた娘と友人だったそうだ。しばし後、付き合いのあった暴力団関係者とのトラブルが原因で静岡県伊東市に身を隠すも、1981年ごろに埼玉に戻り、翌1982年に熊谷市でペットの繁殖・販売を生業とする「アフリカケンネル」を開業。ここで知り合ったのが風間だった。

 風間は1957年、熊谷市の資産家の家に生まれ、お嬢様として育った。保育士をしたり、土地家屋調査士の父親を手伝うため測量の勉強などをした後、1976年、19歳のときに銀行員の男性と結婚し実子2人をもうけたものの、夫の浮気が原因で1982年に離婚。1983年初めに、元来犬好きだった風間がアフリカケンネルを訪れ、関根と意気投合する。

 当時、風間はヤクザに交際を迫られ、つきまとい行為を繰り返されていた。相談を受けた関根は仲介に入り、この問題を解決。風間が関根に惚れ、2人は1983年10月に結婚する。このとき関根41歳、風間26歳。関根にとっては7度目の結婚で(うち3回は離婚した相手と復縁したもの)、風間の実家の財産が目的だったと言われるが、関根に夢中だった風間は、関根に刺青を彫らされた先妻らに対抗し、自ら背中に龍の刺青を彫ったという。

 こうして二人三脚の商売が始まった。浪費癖の激しい関根に対し、金銭管理能力に優れていた風間はアフリカケンネルの経理を担当する傍ら、ブリーダー(犬や猫などの動物の繁殖を行い、ペットショップなどに流通させる仕事)としての才覚も持ち合わせ、関根の右腕として活躍していく。

 一方、関根はペットや猛獣の扱いにかけては天才的で、ブリーダーとしての腕は極めて優秀。アラスカン・マラミュート繁殖の第一人者で、その後、シベリアン・ハスキーの仕掛け役として一大ブームを巻き起こし、自らが主催するドッグショーに風間と一緒に高級車のジャガーで乗りつけるほどだった。とにかく、人間心理を読むことに長けており、そのいかつい外見とは裏腹に独特なユーモアと巧みな話術で、周囲はたちまち彼に魅了されたそうだ。

 しかし、基本的に商売の悪どさは変わっておらず、客との揉め事も日常茶飯事。中には直接、店を訪れ詐欺だと騒ぎ立てる者も少なくなった。そんなとき、関根は背中に刺青を入れ、自ら落としたという小指をちらつかせ相手を威嚇(切断された小指は昔、暴力団の金に手をつけた落とし前だった)。また、地元の暴力団の力を借り、クレームを入れた客が店に来ると黒塗りのベンツを並ばせ、その前でヤクザ連中と親しげに話し、怯えた客を退散させることもしばしばだった。

 こうして売り上げを伸ばしてきたアフリカケンネルもバブル崩壊で、一気に業績が暗転。借金の返済もままならない状態に陥り、関根と風間は税務対策のため1992年に偽装離婚。アフリカケンネルの代表者を風間に移すが、実質の経営者は関根で、2人は以前と変わらず、熊谷市内の犬舎兼自宅で生活を共にしていた。

最初の殺人

 そんな状況下、1993年4月に最初の事件が起きる。埼玉県行田市に住む産業廃棄物処理会社の役員Kさん(当時39歳)は同年1月ごろからアフリカケンネルに出入りし関根と親しくなっていた。当時、兄の経営する会社の経営が不振に陥っていることを相談したところ、関根が一つのビジネスをKさんに勧める。

 アフリカ産のローデシアン・リッジバックという新種の犬を繁殖させれば大儲けできるというのだ。ならば関根自らがやればいいのだが、彼はその商売のリスクが高いことを知っており、また、このころ、アフリカケンネルには税務調査が入り3千万円の追徴課税を命じられ、支払いに窮していた。そこで素人のKさんに金を出させ、当たれば儲けの大半を自分のものにする心づもりでいた。関根は猫なで声でKさんにお世辞を言い、接待にも惜しみなく金を使った。これに乗せられたKさんは、ついにはローデシアン・リッジバック2匹(雄と雌)を関根から1千100万円で購入してしまう。

 ところが、ほどなくKさんは知人から、この犬種の相場が数十万円であることや、購入した犬はすでに高齢で繁殖には適さないことなどを知らされ、さらには、雌犬が脱走して行方不明になったことから繁殖自体が不可能になったため、詐欺のようなものだと関根にクレームを入れ購入代の返金を求める。その後、両者間で何度か話し合いが持たれたものの、返せ返さないで話は平行線。しだいにKさんの存在が邪魔になった関根は風間と話し合ったうえで、彼の殺害を決意する。

 同月20日夕方、関根は「金を返す」と嘘を言ってKさんを熊谷市内のガレージに呼び出し、大型ワゴン車の中で談笑して油断させた後、栄養剤カプセルを飲ませた。まもなく悶絶し絶命するKさん。カプセルには通常、犬の殺処分用に使われる硝酸ストリキニーネという猛毒が入っていたのだ。その後、ガレージに戻った関根を待っていたのが本事件のキーマンとなるY(同36歳)だ。Yはブルドッグの元ブリーダーで、1992年にドッグショーの会場で関根と知り合い、ペット業界の成功者の経営学を学ぼうとアフリカケンネルを訪れるうち、誘われて同社の役員となった。が、実際は関根の運転手や手伝いをしていたにすぎなかった。

 関根はKさんの遺体を見せつけたうえで「おまえもこうなりたいか?」「子供は元気か? 元気が何より」などと脅し、Kさんの車を東京駅八重洲地下駐車場に放置するよう指示。Yは命じられるままKさんが自ら失踪したかのように偽装する。このとき、風間はYに「上手くいったの?」「あんたさえ黙っていれば大丈夫」などと言い、事情を全て知っているような素振りだったそうだ。

 関根はYに運転させ群馬県利根郡片品村の通称「ポッポハウス」にKさんの遺体を運ぶ。ここは旧国鉄から買い取った貨車を2両連結し、住宅用に改造したYの自宅で、離婚前に彼が家族と住んでいた家だった。

 関根はKさんの殺害を思い立った時点でポッポハウスに住み込み、排水が流れ込む川がどこに繋がっているのか、夜に人目はどれくらいあるのかなどを確認していた。車がポッポハウスに着き、遺体が屋内に運ばれる。Yは関根が遺体を周辺の山のどこかに埋めるものとばかり思っていた。しかし、関根は遺体を風呂場に持ち込み、Yにバケツと包丁を持ってくるよう指示。遺体をサイコロステーキのように細切れにした。

 その作業はまさに職人芸で、バスタブに水を張り入浴剤を入れたうえで、切断した部位を漬ける。血の色をごまかすためだ。肉は全て骨から削ぎ落とし細かく刻む。肉は焼くと臭いが出るが、骨なら臭いはしない。骨を焼くときは慌てず行うと白い粉になるため、ドラム缶で焼却したうえで、粉は山に撒き、臓器は川に流した。

 このとき、関根は恐怖で固まるYにこう言ったという。

「遺体があるから捕まる。ボディを透明にするんだ。あとは、雨が降って、風が吹いて、あっという間に自然が掃除してくれる。俺が捕まりっこないことは、おまえにもよくわかるだろ」

 殺害から遺体の解体・投棄まで手慣れた様子を目の当たりにし、Yはこれが初の殺人ではないと確信する。

「30人以上の人間」を殺害したとの声も

 実際、関根はそれまでにも殺人を犯していた。古くは前出のラーメン屋店主、後にYが聞かされたところによれば、アフリカケンネルの前身であるペットショップの店員、関根の知人の妻など、自分に関わった30人以上の人間を殺害したのだという。

 しかし、その犯行に一切物的証拠はなく、共犯者もいないため立件できていないだけ。全ての犠牲者のボディを透明にしていたのである。

〈 「死刑以外にあり得ない」主婦の遺体を犯した後にバラバラに…《埼玉愛犬家連続殺人事件》“殺人ブリーダー夫婦”の末路” 〉へ続く

(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))

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