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「死刑以外にあり得ない」主婦の遺体を犯した後にバラバラに…《埼玉愛犬家連続殺人事件》“殺人ブリーダー夫婦”の末路”

文春オンライン / 2024年6月23日 17時0分

「死刑以外にあり得ない」主婦の遺体を犯した後にバラバラに…《埼玉愛犬家連続殺人事件》“殺人ブリーダー夫婦”の末路”

〈 「遺体があるから捕まる。ボディを透明にするんだ」4人の遺体をサイコロステーキのようにバラバラに…《埼玉愛犬家連続殺人事件》“殺人ブリーダー夫婦”の冷酷 〉から続く

【その1 世の中のためにならない奴を殺る】
【その2 保険金目的では殺らない。足がつくからだ】
【その3 欲張りな奴を殺る】…

 独自の殺しの哲学で、邪魔者とみなした相手を何人も殺害してきた“殺人ブリーダー夫婦”。しかし“透明にされる”ことを恐れた共犯者Yの自首により、その悪行もすべて公になってしまう…。殺人者であることがバレた2人は、その後どうなってしまったのか? 新刊『 世界の殺人カップル 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

ヤクザでさえ「透明にする」殺人ブリーダー夫婦

 Kさんが行方不明になったことを受け、彼の家族が警察に相談し、関根に会うと言ったまま行方がわからなくなっていることを告げた。が、この時点で警察がまだ事件性を疑うまでには至らない。同時にKさんの家族と関根の間で話し合いが持たれた。詳しい事情を聞き出そうとする彼らの前には、関根、風間の他に稲川会系暴力団組長代行のE(同51歳)がいた。Eは関根の以前からの知り合いで、アフリカケンネルで顧客とトラブルが発生した際に仲裁役を務めるなど、関根の用心棒的な存在だった。が、話を聞くうちEは、関根がKさんを殺したものと確信する。

 そこで、Eは全て事情を察知していると脅し、関根から金銭を要求。それが滞ると、新しく建て直した犬舎の土地建物の登記済証を要求するようになる。このままでは全財産を搾り取られてしまう。追い込まれた関根と風間にとって、解決策は一つしかなかった。

 1993年7月21日夜、2人はYの運転する車でE宅を訪問、新犬舎の登記済証を渡し油断させたうえで、硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを栄養剤と偽ってEと、彼の側近である運転手の青年W(同21歳)に飲ませ殺害。Kさん殺害時と同様、Y運転の車でポッポハウスに向かい、関根と風間の共同で解体作業に入る。このとき、風間は血だらけになりながら演歌を鼻歌で歌っており、その様子を見たYは腰を抜かし、己の運命を呪う。今度殺られるのは自分に違いない、と。

 1ヶ月後の8月26日、関根はアフリカケンネルの従業員の母親で、肉体関係もあった行田市主婦のSさん(同54歳)を魔の手にかける。以前からアフリカケンネルの顧客だった彼女に、関根と風間は同社の株主になるように持ちかけて出資金を詐取しようと計画。その時点で殺害も企んでいた。この日、関根は行田市内でSさんを車に乗せて、株券購入代金という名目で、当時のS家の全財産にあたる270万円を欺し取ったうえで、これまでと同様、硝酸ストリキニーネ入りカプセルを飲ませて彼女を殺害。

 その後、Yの運転する車で遺体をポッポハウスに運び、いつもの手口で解体・処理を行う。後のYの証言によれば、このとき関根はバラバラにする前にSさんの遺体と屍姦したそうだ。

 4件目の殺害を終えた関根は帰りの車中で、Yに自身の殺しの哲学を語った。

【その1 Kのような世の中のためにならない奴を殺る】
【その2 保険金目的では殺らない。足がつくからだ】
【その3 Eのような欲張りな奴を殺る】
【その4 血は流さない】
【その5 ボディは透明にする】

 このころ、埼玉県警は一連の失踪事件は関根の仕業だと確信。その動向を徹底的にマークしていた。一方、1993年10月に大阪で発覚した愛犬家連続殺人事件(犬の訓練士を自称する上田宜範が金銭トラブルのあった知人ら5人を筋弛緩剤で殺害。後の裁判で死刑判決)と同様、埼玉でも愛犬家が不審な失踪を遂げていると関根のもとには連日マスコミが押し寄せていた。が、彼は平然とした顔でインタビューに応じ「人が行方不明になると、どうして私が殺したことになるんですか?」と、まるで動じる様子を見せなかった。

唯一の弱点は「全てを知るYの存在」

 そんな関根にもウィークポイントがあった。全てを知っているYだ。証拠のない一連の殺害でYの証言だけが力を持つことは関根自身がよくわかっていた。そこで、関根は何かと理由をつけてはYを自分のもとに呼ぼうとした。もちろん、殺害するためだ。さらにこの時期、Yを必要としていたもう一つの存在があった。自分の組の人間を関根に殺されたと考えていたEが所属していたヤクザ組織だ。結果、彼らも唯一全てを知る男としてYに追い込みをかけてきた。窮地に立たされたY本人が出した答は、警察に自首することだった。

 1994年12月、Yは警察に出頭。全てを打ち明ける。1995年1月5日に関根と風間逮捕。その後、警察は関根が骨を撒いた山林から最初の被害者Kさんの腕時計、御守り、歯の欠片を、川からは焼け残った義指や車の鍵などを発見。関根と風間は4件の殺害で起訴される。

 1995年7月7日から浦和地裁で始まった裁判は、罪のなすりつけ合いとなった。関根は全ての事件への関与を認めながら「全ては風間の首謀」と主張。対し、風間は4人のうち暴力団幹部Eと運転手Wに対する死体遺棄事件への関与だけを認め、残りは関根が首謀と反論した。また2人は、死体遺棄を手伝ったYが殺害の実行者と主張した。審理は5年8ヶ月に及び、2001年3月21日に判決公判。裁判長は、4人の死体損壊・遺棄で懲役3年の実刑を受け、その時点で刑を終え出所していた元会社役員のYの供述を最大の立証の支えとした検察側の主張をほぼ全面的に認めたうえで、互いに相手が首謀したとする両被告の主張を退け、Kさんを除く3人の被害者については「ほぼ対等な関係」で共謀が成立していると認定し、2人に死刑を宣告した。

 関根と風間は控訴し、二審の東京高裁で同様の主張を行ったものの、判決は「元会社役員は被害者と利害関係がなく、殺害の動機はない。事件の根幹部分がYの自白で初めて明らかになった」などと信用性を認め、両被告の控訴を棄却(2005年7月11日)。2人は最高裁に上告し、関根は「風間が自分の利益のため殺人という方法を選び、関わらざるを得なくなった」と主張し、風間は「関根が重要な役割を果たし、利用されたにすぎない」と訴え、いずれも死刑回避を求めた。

 対して検察側は「身勝手な動機で酌量の余地はみじんもない。死刑以外にあり得ない」と上告棄却を求めた。2009年6月5日の判決で最高裁は「計画的な犯行で、動機に酌量の余地はない。猛毒の硝酸ストリキニーネを詰めたカプセルを栄養剤と偽って飲ませて、苦悶のうちに中毒死させ、死体を切り刻んで焼却した犯行態様は冷酷無慈悲で悪質きわまりない」と述べたうえで、「両被告は不合理な弁解を繰り返しており、真摯な反省の態度も認められない。罪責は極めて重大だ。遺族の被害感情や社会に与えた影響に照らすと、死刑を是認せざるを得ない」と指摘。死刑を選択した一審・二審の判断が相当だと結論づけた。

“殺人ブリーダー夫婦”のその後

 その後、関根死刑囚は2016年11月に収監されていた東京拘置所内で心臓発作を起こし外部の病院に救急搬送され、退院後も拘置所内で心不全と高血圧症の治療を受けていたが、翌2017年3月27日朝、多臓器不全のため死亡(享年75)。風間死刑囚は2012年と2016年に再審を請求するも棄却。

 2020年に第三次再審請求を行い、2024年5月現在も東京拘置所に収監中の身にある。

(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))

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