「経済犯を裁くのにヤミはできない」遺された妻子が語っていた山口良忠判事“栄養失調死の真実”《「虎に翼」で岩田剛典が熱演》
文春オンライン / 2024年6月22日 10時40分
花岡悟役を演じた岩田剛典 公式ホームページより引用
NHKの連続テレビ小説「虎に翼」で、法律を守って亡くなる判事のエピソードが話題になっている。終戦直後、東京地裁で花岡悟(岩田剛典)は経済犯を担当していた。だが、人を裁く身で闇米は食えぬと、配給だけで生活する。そして極度の栄養失調で倒れ、死去するのだが、そのモデルは明らかに山口良忠だ。
死を最初に報じた記者、そして妻が実際に語っていたこと
東京地裁の判事の山口も、闇の食糧を拒否し、1947年10月、33歳の若さで亡くなった。妻と幼い子供二人を残した死は、衝撃を与え、海外でも大きく報じられた。米国のAP通信は、東京発で、a man of high principles(プリンシプルの男)とする記事を配信した。プリンシプルとは、原理原則のことで、命を賭けて信念を通す高潔さを指す。
それをすぐに、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなど大手紙が掲載した。またタイム誌など有力誌もこぞって取り上げ、ここでもプリンシプルという見出しが躍った。
まだ終戦から2年目、米国では反日感情も強かったはずだ。そこで、政治家でも財界人でもない、名もない判事に最大限の敬意を表したのだった。
じつは、この山口良忠は佐賀出身で、私の地元の母校の先輩に当たる。それもあって、今から十数年前、その家族や関係者を訪ねて回り、話を聞いたことがある。そこで浮かんだのは、正直者が馬鹿を見る、当時のこの国の醜悪な姿だった。
山口の死を最初に報じたのは、朝日新聞の佐賀支局の記者だった分部照成である。判事が療養中に亡くなった白石町を訪ね、取材したという。もう半世紀以上も前だが、その記憶は鮮明だった。
「当時の日本は敗戦直後で、皆が虚脱状態だった。そこへ山口判事は、『我こそが日本人だ』というのを見せた訳だ。判事の奥さんは、『私は主人を信じて、ついていきました』と言っていましたよ。自分が会いに行った時は、彼女も栄養失調で倒れていた。その枕元で、小さい男の子が二人遊んでいたのを覚えてますよ」
分部は、日本人が虚脱状態だったと繰り返したが、それは当時の食糧事情を見れば分かる。
敗戦の年、1945年は冷夏と水害が重なり、米が記録的な凶作になった。その上、数百万人が海外から引き揚げ、翌年には未曽有の食糧不足が発生した。それまで食糧管理法(食管法)で配給していたが、遅配や欠配が続くようになる。
「経済犯を裁くのにヤミはできない」
東京でも10日以上の遅配はザラで、野菜や魚も同様だった。となると、配給以外のルート、闇市場で手に入れるしかない。また農家を回って、着物などを米や野菜と交換する、むろん食管法違反だ。こうして捕まった者を裁くのが、山口の仕事だった。
妻の矩子によると、1946年10月、経済事犯担当に任命された夜に、こう告げられたという。
「人間として生きている以上、私は自分の望むように生きたい。私はよい仕事をしたい。判事として正しい裁判をしたいのだ。経済犯を裁くのに闇はできない」
そして翌年、栄養失調で倒れるのだが、そもそも何が、そこまで彼を駆り立てたのか。その鍵を握ると思われる2つの事件があった。
一つは、1946年5月に行われた飯米獲得人民大会、いわゆる「食糧メーデー」だ。皇居前広場に25万の群衆が集まり、配給改善を訴えた。その後、一部は坂下門から皇居に向かい、天皇に面会を求めた。宮中にデモ隊が押しかけるなど異例である。
その直後、昭和天皇は、ラジオで国民に呼びかけた。乏しきを分かち、苦しみを共にして、同胞で助け合ってもらいたい。これも極めて異例で、「第二の玉音放送」と呼ばれた。
そして二つ目は、1947年の夏、国会に設置された「隠退蔵物資等に関する特別委員会」だ。戦時中、軍は民間から大量の貴金属や軍需物資を集めたが、敗戦後、多くが行方不明になった。旧軍人や政治家らが横領し、闇市場に流れたとされ、当然、仲介役のブローカーも暗躍した。
山口判事の妹が見た“生前の兄の姿”
今の自民党の裏金どころではない。庶民がインフレと食糧難に喘ぐ中、一部は国の財産を奪い、濡れ手で粟の儲けを手にした。まさに正直者が馬鹿を見る世界で、それを山口も目にしたはずだ。しかも東京地裁から皇居も国会議事堂も、すぐ先である。闇米を拒否したのは、彼なりの精一杯の抗議だったかもしれない。
1947年の秋、故郷の佐賀に戻った山口は、父が宮司を務める白石町の八坂神社の社務所で療養した。そこへ見舞いに訪れた妹の萩子は、こう語ってくれた。
「餓死するまで闇米に手を出さんのは異常だって言う人もいたんです。でも東京から戻った後の兄は、出されたものは何でもよく食べとりましたよ」
彼が闇の食糧を拒否したのは、判事として経済犯を裁いた時だった。職務を離れれば、もう良心の呵責に悩まずに済む。まるで肩の荷が下りたように、配給以外のものも口にしていた。
遺族を傷つけた総理の妻の言葉
だが、すでに体力の限界に達したのだろう。風が冷たくなる頃、容態が悪化し、言葉を発するのも辛くなる。そして、10月11日、力尽きるように息を引き取ったのだった。
こうして彼の死は大きな反響を巻き起こすが、一方で全く逆の声があったのも事実だ。たかが闇の取り締まりで死んでどうする、という。特に家族を傷つけたのは、片山哲総理の妻、菊江の言葉だった。
「家庭を守る女性の立場としては、多少のゆとりを持つて夫や子供の生命を守るべきだと考えます。畑の仕事を女の手で出来るだけやることなどでも大きな効果があります。奥さんにもう少し何かの工夫がなかつたものでしようか」(「朝日新聞」1947年11月6日付)
萩子によると、これを読んだ矩子はショックを受け、ノイローゼになってしまったという。自分の工夫が足りないから夫が死んだと言わんばかりだから、無理もない。そして苦しんだのは、子供たちも一緒だ。
長男の良臣が自虐的に語った父親のこと
長男の良臣は、小さい頃、父のことを「ふうけもん」と呼ばれたのを覚えている。ふうけもんとは佐賀の方言で、馬鹿者を意味する。自虐的に笑いながら、彼がこう語った。
「要は、法律なんてものは、その時その時の状況で変わるもんだと。そうやって父を否定されたのが、自分の原点だったね。それが小学校に入ると、先生から父のことを褒められる。ところが中学では、今度は先生が否定してくる。それで相手によって、こっちの態度も変えてね。そうして、非常に嘘つきな人間に育っちゃったね」
山口の生き方については、今でも議論がある。遵法精神が賞賛される一方、妻と子供を置いて死ぬのは無責任と批判もある。実際、その家族は世間の目に晒された。
だが、あの欺瞞に満ちた時代、名もない一判事が気高く生き、命を落とした。それに戦勝国のマスコミまでが最大限の敬意を表した。この“事実”は永遠に語り継がれるだろう。
そして、彼の死から34年後、ある出来事があった。
昭和天皇にお礼を述べ、ねぎらいの言葉をかけられた妻・矩子
1981年の5月、矩子は藍綬褒章を受章した。長く家庭裁判所の調停委員を務め、その功績を認められたものだ。皇居の豊明殿に、最高裁や各省庁関係の受章者、約210名が揃った。そこで全員を代表し、天皇にお礼を述べたのが、矩子だった。宮内庁の文書にも「代表者 山口矩子」とある。
なぜ、家裁の一調停委員の彼女が選ばれたか。天皇は、目の前の女性が、あの山口判事の妻と知っていたか。それは分からない。
だが、この皇居は終戦直後、飢えたデモ隊が押し寄せた場所だ。そこから天皇は、国民に乏しきを分かち、苦しみを共にし、助け合うよう訴えた。まさにその場所で、この日、矩子は天皇からねぎらいの言葉をかけられた。彼女にとって、それは亡き夫への言葉に聞こえたかもしれない。
(徳本 栄一郎)
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