中国風の架空世界が舞台の「薬屋のひとりごと」がなぜ奈良に? 異例のコラボを生んだのは、JR東海女性職員の“愛”だった
文春オンライン / 2024年6月22日 11時10分
![中国風の架空世界が舞台の「薬屋のひとりごと」がなぜ奈良に? 異例のコラボを生んだのは、JR東海女性職員の“愛”だった](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/bunshun/bunshun_71550_0-small.jpg)
「推し旅アップデート」公式サイト
JR東海が2021年にスタートした「推し旅アップデート」は東海道新幹線の利用促進策と、オンライン予約サービス「EXサービス(EX予約 スマートEX)」の利用者向け特典という2つの役割がある。
EXサービスは東海道新幹線のチケットを取るだけではなく、遊びに行く場所も予約できる。ホテルや観光施設では割引もある。遊べる施設や予約が取りにくい店の席も確保できる。もはや旅行ポータルになりつつある。
EXサービスの中でも「推し旅アップデート」は、多くのファンがいる対象とコラボしたキャンペーンだ。2021年10月のキャンペーン開始の時はボーイズグループ「7ORDER」のライブ、幻の酒「江川酒」の醸造体験、豊橋総合動植物公園「のんほいパーク」の「象」、合わせて3種類が提供された。
いままで東海道新幹線を利用していた客層にはピンとこないかもしれない。それでも、7ORDER、江川酒、象が好きな人には心に刺さるイベントだ。まさにそれが「推し」である。世間の関心の大小に関係なく、自分の好きなものに近づきたいキモチ。JR東海はそれをピックアップして、旅のプランとして提供している。正直、大企業のやることかと思う。対象がニッチすぎる。
しかし、塵も積もれば山となる。ニッチ(隙間)も合わせれば大平原だ。約2年半で「推し旅アップデート」のメニューは激増した。2024年6月13日時点で32件が実施中または実施予定。終了済みが71件。合わせて103件のラインアップ。ひとつひとつ見ていくと、コラボしたプロダクトそれぞれに手堅い「推し」のみなさんの存在が見えてくる。
そんな担当者たちが作った推し旅を眺めると、「アニメ」が多い。次いで「コンサート」、「スポーツ」、「食べ物」など。鉄道系では「ドクターイエロー」、「ロマンスカーミュージアム」などがある。そのほか「ゲーム」や「eスポーツ観戦」、「ラジオ番組」などさまざまだ。
「シンカンセンスゴイアツイサウナ」という企画もおもしろい。新幹線の車内販売のアイスクリームが固く、ネットでは「シンカンセンスゴイカタイアイス」と呼ばれてミームになっている。それをひねったタイトルだ。内容は東海道新幹線沿線の厳選したサウナを紹介し、「EX旅先予約」でチケットを購入できる。ダジャレに見えて、サウナブームにちゃんと乗った企画だ。
中国風架空世界の「薬屋のひとりごと」をなぜ奈良でコラボ?
中でも不思議な企画が『薬屋のひとりごと』だ。原作小説は15巻を数えて継続中、コミックス版がビッグガンガンコミックス版とサンデーGXコミックス版の2種類があり、2024年3月の報道によれば累計3300万部を超える。2023年10月から2024年3月までテレビアニメが製作され、2025年にアニメの続編放送が決まった。
しかし『薬屋のひとりごと』の舞台は中華風の架空世界、茘(リー)帝国だ。主人公の猫猫(マオマオ)は後宮に勤める官女で、イケメン宦官の壬氏(ジンシ)とともに、薬学の知識で事件を解決していくストーリーになっている。
どうして日本で、なぜ東海道新幹線でコラボができたのか。たとえば「ラブライブ! サンシャイン!!」のコラボ「沼津ゲキ推しキャンペーン」は東海エリアの沼津市が舞台になっている。しかし異世界とコラボとなると、どう結びつけていくのか。
JR東海の担当者、営業本部需要創出グループの岩本麻衣氏に聞いた。
杉山:僕はアニメしか見てなくて。原作小説を後から知りました。さらにコミックスが2つある。コミックスもアニメも小説から翻案したもの。原作小説を書いた「日向夏」さんがいらっしゃって、本の表紙やイラストを「しのとうこ」さんが描いていらっしゃる。中心に原作小説があって、多方面にコラボすると。いま開催中の「薬屋のひとりごと×JR東海 薬屋、奈良のたび」も、原作小説がモチーフになっているのでしょうか。
岩本:こちらも原作からです。本企画のオリジナルストーリーは日向夏先生に監修していだいて、描き下ろしイラストはしのとうこ先生に描いていただきました。
企画のスタートは「JR東海の提案」だった
杉山:その原作の世界ですが、舞台は中国風の架空の帝国です。皇帝がいて、妃が複数いて、建物も中国風だし、衣食住の文化も中国風。そのコラボを日本でやると知って驚きました。このコラボはどなたが発案されたのでしょう?
岩本:JR東海の提案でスタートしました。
杉山:なるほど、岩本さんが「薬屋のひとりごと」のファンなんですね。仕事にしちゃうくらいの。きっかけはアニメからですか。
岩本:最初は漫画がきっかけでした。コミックス版2種類を読んだ後、ライトノベル原作があると知り、あわせて読むようになりました。
杉山:なるほど。推し系のイベントって、提供者と参加者の「好き」のレベルが高まっていないと、参加者が冷めちゃいますよね。その点でもJR東海側の「好き」がしっかりしていて安心しました。岩本さん、いまもニコニコして嬉しそうですよね。
岩本:関係者みんなで企画の骨子みたいなところは考えていて。おっしゃる通り、好き以上に原作をよく知らないといけない。そこで原作を1番深く知ってらっしゃる出版元のイマジカインフォス社の担当者さんと一緒に、骨子の部分を詳細に詰めていきました。
杉山:好きだからやりたいという気持ちはわかります。でも、実際は好きというだけでは実現できないですよね。「好き」をどのように実現させていったのでしょうか。
岩本:企画会議で持ちネタを発表するとか、個別に上司や先輩に話すところから始めます。どういう小説で、原作はどのくらい売れていて、アニメ化されて、ファン層が厚くて、このくらいの旅行需要が見込めるからやらせてください、と。
杉山:なるほど。いままでの推し旅コラボだと沿線にゆかりの場所があって結びつきますが、原作の舞台が架空とはいえ中華風帝国ですよね。それを奈良で、というのはどんなきっかけだったのでしょう。
岩本:いろいろな方と相談しながら詰めていきました。原作がフィクションなので、いわゆる「聖地」はないんです。それを日本でやるとしたらどこがいいかと考えたときに、一番に思い浮かんだところが奈良の薬師寺でした。
杉山:「薬」しか合ってないような気がしますが雰囲気はわかります(笑)。奈良の文化は中国から渡っているし、建物の雰囲気も似ていますね。薬師寺さんは原画展の会場も提供してくださるなど、とても協力してくださいました。薬師寺さんは「薬屋のひとりごと」をご存じでしたか。
岩本:薬師寺さんのご担当のかたが「薬屋のひとりごと」の大ファンだったんです。猫猫の声を演じている声優の悠木碧さんのファンでもあるそうで。
杉山:それは薬師寺さんにとって願ったり叶ったりという。
岩本:奈良を調べていくと、日本の漢方の発祥の地だとか、主人公の猫猫はお酒が好きで日本酒にも結びつく。しらべるほど奈良には親和性があるとわかって、奈良でやってみようと。
漢方薬局の店主が「ある登場人物に似ている」と噂に…
杉山:キャンペーンでは奈良を原作世界に見立てるかと思ったら、猫猫が原作の世界から日本にやってくるという設定なんですよね。このストーリーができて、作品の世界と奈良がきれいにつながった。もともとJR東海が「いざいざ奈良(奈良キャンペーン)」を長い間やってきた経験がいきていたように見えました。
岩本:今回の企画は 「推し旅」キャンペーンとして展開しましたが、奈良には、奈良を盛り上げていきたい、奈良の魅力を知ってもらいたい、というお気持ちある方が多かったので、この企画を提案した時も、ぜひやりましょうと、本当にいろんな面から協力していただきました。
杉山:奈良の方々には、JR東海さんがやりたいなら一肌脱ごうじゃないか、と言う空気もありそうですよね。私が「いざいざ奈良」のプレスツアーに参加したときも、薬師寺さんとJR東海さんの親密さがわかりました。ほかの協力店さんはいかがでしたか。今回のスタンプラリーに参加している菊岡漢方薬局さんは「薬屋のひとりごと」をご存じでしたか?
岩本:菊岡さんは「名前は聞いたことある」くらいでした。何度かお伺いして、作品の概要をお話しして。店内にある古くからの薬棚などの調度品が、原作のイメージに似ているんです。
杉山:そうでしたね。店主の菊岡さんも実際に訪れたファンの方から「猫猫にゆかりのある登場人物に似ている」という噂で……。その菊岡漢方薬局では薬膳カレーのスパイスを作る体験ができますね。
日本酒醸造元の社長は原作の大ファン
岩本:漢方の「利き茶」をご提案したときに「こういうふうにやればできるよ」とご提案してくださいました。漢方を使ったお茶を何個か準備いただいて、そのお茶がどの漢方薬を使われてるか当てるクイズができます。
杉山:クイズやりました。私は勘ぐりすぎて間違えましたが、居合わせた女の子たちは当てていてすごいなあと。原作にあるような「媚薬」を作ろうという話には?
岩本:ならなかったです(笑)。媚薬にかけて、甘いもの、例えばチョコレートのお店にも参加してほしいと思いましたが、スタンプラリーの施設が多すぎても一日にまわりきれないので、今回は断念しました。
杉山:春鹿醸造元の今西清兵衛商店さんは?
岩本:春鹿さんはとても有名な醸造元で、社長さんが原作のファンでした。めっちゃ詳しかったんです。
杉山:ファンの方が訪れたとき、社長さんが居たらお話ししたいでしょうね。
岩本:春鹿ブランドの中で、超辛口が有名なんです。今回は試飲体験を提供してくださいました。
杉山:お酒を使ったバームクーヘンとか、奈良漬けとか、日本酒の香りのお茶とか、お酒を飲めない人も楽しめるグッズがありますね。スタンプラリーはほかに、奈良公園と猿沢池、これは定番観光スポットですね。アニメイト奈良は、アニメファンなら素通りできないところでしょう。
岩本:アニメイト奈良さんと啓林堂書店奈良店さんは、このスタンプラリーをコンプリートした方と、新幹線内でプロローグボイスドラマを再生して乗車証明を獲得した方にお渡ししているノベルティの引換対応でご協力いただきました。それだけではなく、原作がライトノベルで出版社から発売されているので、コミックスやアニメファンの方にもライトノベル版を手に取ってほしいと思い、スタンプラリーのスポットに追加させてもらいました。
杉山:啓林堂書店奈良店の2階がすごいですね。図書館の閲覧室みたいで、後宮にもあんな書庫があるかもと思いました。まるで猫猫が書物に没頭する場面を追体験するかのようです。アニメイト奈良さんと啓林堂書店さんもスタンプラリーのスポットになっていて、スタンプを全て集めるとこの店でエピローグボイスを聴けるQRコード入りポストカードをもらえる。
岩本:スタンプラリーのストーリー設定が、猫猫が不老不死の薬を探しに日本を旅するという設定なんです。だからまずは、企画に参加してくださった皆さんにも本屋さんで参考になる本を購入していただこうと思いました。
杉山:参考になる本が「ガイドブック」ですね。表紙が猫猫と壬氏さまで、JR東海の駅係員の制服を着ているという珍しいバージョンです。
岩本:壬氏さまが駅長で、猫猫が駅員なんです。駅長はダブルのスーツで帽子に赤いラインが入っていて、駅員はシングルスーツで帽子は金色1本です。しのとうこさんにお願いしたときに、猫猫に制服を着せるというアイデアにビックリされたそうです。楽しんで描いていただいたと伺っています。
杉山:駅長と駅員で、原作の壬氏さまと猫猫の上下関係を表してますね。ふだん猫背の猫猫がキリッと立っているというのもおもしろい。
岩本:猫猫の敬礼とか、壬氏さまの出発進行のポーズは、手の位置などJR東海の正しいホーズにこだわっています。実は私、東京駅と愛知県の岡崎駅に配属されていた時期がありまして、正しく、カッコいい角度にしていただきました。
杉山:SNSを拝見すると、日向夏さんが積極的にPRしてくださってますね。しのとうこさんもコラボ公式のポストをリポストされています。参加者さんの評判も届いていますか。
岩本:参加してくださった方の反応をSNSでも拝見していますが、コラボ企画のほうでアンケートを採っていまして、「猫猫のボイスが聴けて、猫猫と旅している気分で奈良を巡れてよかった」という声が多いです。
杉山:ボイスドラマも、アニメなどで猫猫さんを演じた悠木碧さんでした。推し旅の「うる星やつら」コラボでもテン役で演じられています。推し旅の常連さんかも。
「修学旅行ぶりに奈良に来ました」という人も
岩本:「この企画目的で初めて奈良に来て、奈良の魅力を知ることができた」という感想も嬉しかったです。
杉山:あっ、それわかります。私も奈良に何度か観光に来ましたけど、ならまちのお店をゆっくり巡るという経験はあんまり無いんですよね。団体旅行で訪れている人は見かけましたが、個人やグループの旅では奈良公園と寺社巡りが主になってしまって。
岩本:修学旅行ぶりに奈良に来ましたというかたもいらして、京都は観光として行かれる方も多いと思うんですけど、奈良はなかなかその第1目的地の候補になりづらい。京都からさらに近鉄特急に乗り換えるという手間がかかるので。しかし奈良って歴史もありますし、文化的にもすごい魅力で溢れてるスポットなんです。そういうところをこの企画を通して薬屋のひとりごとファンの方に知っていただいたのがすごい良かったなと思います。
杉山:それは奈良のみなさんも嬉しいでしょうね。これがきっかけになって、奈良が「薬屋のひとりごと」の聖地になる。つまり原作にも奈良が登場しちゃったりして。
岩本:そうなると良いですね(笑)。
架空世界を扱った物語の中で、「薬屋のひとりごと×JR東海 薬屋、奈良のたび」は現実世界を旅するというユニークなサブストーリーになっている。キャンペーンはもうすぐ終ってしまうけれど、この機会にぜひ、奈良を訪れてほしい。なお、スタンプラリーパートは新幹線に乗らなくても楽しめる仕掛けになっている。
架空中華世界のコラボに続き、7月12日からは「銀河英雄伝説」のコラボが始まる。宇宙と東海道新幹線がどんなコラボを楽しませてくれるか。こちらも楽しみだ。
〈 老舗酒造や超有名寺社も参加 「薬屋のひとりごと×奈良」の異色コラボを2日がかりで巡ってみた 〉へ続く
(杉山 淳一)
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