<映画監督の男と娘、3人の女>ホン・サンスが描く「モテたけど…」は“喜劇の本質”にかかわるかもしれない
文春オンライン / 2024年6月30日 16時0分
![<映画監督の男と娘、3人の女>ホン・サンスが描く「モテたけど…」は“喜劇の本質”にかかわるかもしれない](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/bunshun/bunshun_71584_0-small.jpg)
ヘオクがビョンス&ジョンス親子にアパートのなかを案内した後、3人は地下で和やかに語り合う。仕事の連絡が入ってその場をビョンスが離れ、しばらくヘオクとジョンス2人で話すことに。しかしビョンスが戻ってくると、既に娘のジョンスの姿はなく…。その後、映画は不思議な“上昇”へと移行する © 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.
いかにも女性にモテるホン・サンス監督の作品だと思う。いや、実際にモテるのかどうかは知らない。「モテたい」という思いから来る喜怒哀楽の匂いは遠く、描かれているのは「モテたけど…」という向かう先のわからない荒野が用意されているだけ。
荒野? …ま、その問題はさておき、『WALK UP』はそんな映画だとまずは言っておこう。
ほぼホン・サンスその人だと思わされる主人公の映画監督ビョンスはすでに名声を得ているようだが、今映画作りは頓挫している。顧みなかった家族への贖罪のように自分の娘の将来を考えた行動に出たのだが、そこでおそらく人生そのものがずっとそうだった、という事態、すなわち自己回顧の状況に身を置くことになるのだ。
それを4階建てのアパートの各階を移動することで表現するというのがこの映画の構造。
チェーホフを彷彿とさせるセリフが随所に
随所随所で、チェーホフのセリフを彷彿とさせるのだが、これは故なきことではないように感じる。
娘のジョンスがヘオクに私を使ってくださるのなら~~というところ(『かもめ』で、ニーナがトリゴーリンに有名になるためだったらどんなことでも耐えていけると言うところ)とか、ビョンスがソニに映画業界の問題点を力説するところ(『ワーニャ伯父さん』でアーストロフが森林伐採のことをエレーナに言うところ)とか。
特にヘオクが中座して二人になったビョンスとソニの会話は、言葉がその意味通りのことを伝えるものではなく、むしろ人がそれにすがろうとしている可笑しみを表現していると感じさせてくれるところなど、実にチェーホフ的である。
そのまま喜劇の対象になっていく会話の中でビョンスの映画を「笑いながら観ている」とソニに言わせているのは、自分たちが今作っている映画への希望のように感じられる。
そして二人の間に性的なものが流れ、言葉が途切れた時にビョンスがソニに「怖いですか?」と言うなど「もっと笑いましょう」と言われているようで嬉しくなる。
絶えず無の中で動くから、ひたすら喜劇の駒になっていく
さておいた荒野問題。もしやそれは述べてきた喜劇の本質にかかわることなのかもしれない。
知性、言葉、倫理など、人が進歩するための助けになってきたものが無に帰した時、人間の喜劇性は明るみに出ると思うけれど、それは別の言い方をするなら、足場がないところで立っていなきゃならない人の定め、その定めを笑おうとすることのような気がする。
欲望がある者は、対象に向かい欲望を達成するためのキックボードがある。だけど欲望を持ちえぬことになった者は向かうべき対象がないから、キックするためのボードもない。絶えず無の中で動くから、ひたすら喜劇の駒になっていくという次第だ。
あたかも欲望に操られた生き様
喜劇の駒たるビョンスが、野菜を摂らせる女から肉を食わせる女に、共生する女を替えるなど、あたかも欲望に操られた生き様の男一人。
これも喜劇の一環として「大いに笑ってくれ」と彼は言っている…。
『WALK UP』
INTRODUCTION
ベルリン国際映画祭銀熊賞を5度受賞するなど名匠としての評価を高め、独自のタッチを追究するホン・サンス。長編28本目という今作も、誰も見たことのない映画に仕立てた。
都会の片隅に建つ地上4階・地下1階建ての小さなアパートを舞台に、映画監督ビョンスが1階ずつ上がっていくことで4章立てとなるのだが、異なる女性たちとの錯綜した関係性が描かれるうち、各階の世界が奇妙なパラレル・ワールドめいてもきて…。
小さな驚愕に満ちた本作を支えるのは、ホン・サンス作品の常連俳優たちだ。
STORY
映画監督ビョンス(クォン・ヘヒョ)は、インテリア関係の仕事がしたいという娘ジョンス(パク・ミソ)を連れ、旧友であるインテリアデザイナー、ヘオク(イ・ヘヨン)の所有するアパートを訪ねる。
1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家向けのアトリエ、そして地下がヘオクの作業場というアパート。3人は地下でワインを酌み交わすが…。
時は流れ、ビョンスはアパートを再訪。2階で時を過ごし、やがてビョンスは3階、そして後に4階で、それぞれ異なる女性と生活を送るようになる。
STAFF & CAST
監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽:ホン・サンス/出演:クォン・ヘヒョ、イ・へヨン、ソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソ、シン・ソクホ/プロダクションマネージャー・スチール写真:キム・ミニ/2022年/韓国/97分/配給:ミモザフィルムズ/6月28日公開
(岩松 了/週刊文春CINEMA 2024夏号)
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