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低山で遭難した20代女性が“最も恐怖を感じた”瞬間 同行の男性が「あそこに人がいる」「あっちに道路がある」と走り出し…――2024年5月の読まれた記事5位

文春オンライン / 2024年6月25日 17時0分

低山で遭難した20代女性が“最も恐怖を感じた”瞬間 同行の男性が「あそこに人がいる」「あっちに道路がある」と走り出し…――2024年5月の読まれた記事5位

大山ケーブルカー(神奈川県伊勢原市) ©時事通信社

2024年5月、文春オンラインで反響の大きかった記事5本を発表します。第5位はこちら!(初公開日 2024年5月5日)。

*  *  *

 壮大な山の自然を感じられる登山やキャンプがブームになって久しい。しかし山では、「まさかこんなことが起こるなんて」といった予想だにしないアクシデントが起こることもあるのだ。遭難者の「生死」を分けるものは一体何なのか。

 山で遭難し、生死の境をさまよった後に生還した登山者に羽根田治氏が取材した著書『 ドキュメント生還 』(ヤマケイ文庫)より、丹沢・大山(おおやま)で起きた遭難事例「低山で道迷いの4日間」を紹介する。(全2回の1回目/ 後編に続く )

◆ ◆ ◆

祖父・母・妹と日帰りハイキングへ

 早苗(仮名・24歳)が母親(49歳)と妹(22歳)、それに父方の祖父(86歳)の4人で丹沢・大山(おおやま)への日帰りハイキングに出かけたのは2006年10月15日のことである。

 祖父の登山歴は50年以上で、海外登山の経験もあり、以前ほどではないにしろ、86歳になった現在もたまに山に登っていた。大山にもこれまで二、三度登ったことがあるとのことだった。ほかの3人にはほとんど山登りの経験はないが、父親がキャンプ好きだったため、早苗らが小さいころからよく家族でキャンプに行っていた。

 また、早苗はこの年の8月に登山用具を一式そろえ、友達と富士山に行っている。今回のハイキングは、早苗が祖父に「山に行きたいね」と話を持ちかけ、それに母親と妹が加わって実現したものだった。

 4人は朝7時15分に神奈川県内の家を出て電車で伊勢原へ行き、そこからタクシーで大山ケーブル駅へ向かった。ケーブルカーで上がった阿夫利(あふり)神社下社では、おみくじをひいたり記念撮影をしたりして小一時間ほど過ごした。そして10時半ごろから歩きはじめ、大山山頂には12時10分に着いた。祖父の歩調に合わせて歩いていたためペースはかなりゆっくりで、たくさんのハイカーが「お元気ですねえ」などと声を掛けながら彼らを追い抜いていった。この日の天気は絶好のハイキング日和。富士山も遠望でき、山頂では昼食をとるなどして約2時間の大休止をとった。

 下山にとりかかったのが午後2時ごろである。祖父が立てた計画では、往路をもどるのではなく、日向薬師(ひなたやくし)に下りることになっていた。

 しばらく登山道をたどっていくと、標識とベンチのある分岐点に出くわした。ここから道は三方向に分かれていた。標識はわかりづらかったが、祖父が「こっちこっち」というので、3人は疑いもなくその言葉に従った。しかし、30分ほど行ったところで「どうも違うらしい」ということになり、分岐まで引き返してきて、今度は祖父が「絶対にこっちだ」という別の登山道に入っていった。

だんだんと道が怪しくなってきた

 そのコースは、途中までは明瞭な道で、手すりが設けられている箇所もあった。ところが、あるところからぷっつりと手すりが現われなくなり、気がつけばいつの間にか沢沿いを歩くようになっていた。

 そのうちにだんだんと道が怪しくなってきた。おまけに日暮れも近づきつつあった。最初のうちは「今から引き返したら、今日中に帰れないんじゃないか。だったらもうちょっとがんばって歩いて、下に下りたほうがいいだろう」と思っていた早苗も、さすがに不安になってきた。母親も同じ思いだったようで、「このまま行っても大丈夫なのかなあ。もどったほうがいいんじゃないの」と2人で祖父に提案した。だが、彼はそれを頑として聞き入れなかった。主導権はまだ祖父にあった。

 いよいよあたりが暗くなり、不安にかられた早苗が「ほんとうにこっちでいいの?」と尋ねたときに、祖父は初めて「迷った」と認めた。

真っ暗で行動できずビバークすることに

 時間は5時半。山のなかはもう真っ暗で、それ以上行動することはできず、やむをえずビバークをすることにした。ビバークした場所は沢から斜面をちょっと上がった樹林帯のなか。木はそれほど密ではなく、地面は落ち葉で覆われていた。枯れ枝はそこらじゅうに落ちていたので、集められるだけ集めて焚き火を起こした。ライターはタバコを吸う祖父が持っていた。

 祖父と早苗の装備は比較的しっかりしていたが、母親と妹はまったくの軽装だった。早苗は自分の雨具のズボンを妹にはかせ、母親は出かけるときに父親に持たされたビニールの合羽を地面に敷いていた。

 夜、焚き火を囲みながら祖父は地図を出してきてこう言った。

「今いるのはここだから、あと3時間行けば必ずキャンプ場に着く」

 計画から推測するに、祖父が言ったキャンプ場というのは、「日向山荘キャンプ場」か「ふれあいの森 日向キャンプ場」を指していたものと思われる。

 夜の寒さは思いのほか厳しかった。焚き火を絶やさないように、女性3人が約2時間ごとに交代で火の番をした。くべる薪がなくなってきたら、ヘッドランプを点けて交代で拾いにいった。早苗が富士登山のときに購入したヘッドランプが、このとき役に立った。

食料は全部食べてしまった

 翌16日は、朝6時ごろから行動を開始した。今日中には帰れるものと思っていたので、残っていた食料、チョコレート1箱、菓子パン2個、スナック菓子の残りは、この日の朝までに全部食べてしまった。あとはわずかにタブレット菓子が残っているのみだった。

「ここを下っていけばキャンプ場に出る」という祖父の言葉を信じ、4人は前日下ってきた沢をさらに下っていった。しかし、道は険しくなるばかりで、崖や滝も現われるようになった。出発して約3時間半後、早苗は「これは絶対違う!」と確信し、「引き返そう」と提案した。「今からでも引き返していけば、大山の頂上まではもどれる。そうしたら確実に家に帰ることができるんだから」と。それに対して祖父は「下り続けるべきだ」と強く反対したが、結局は「もどろう」ということになり、祖父も渋々従った。

疲労から祖父が幻覚を見るように

 ビバーク地点までは、問題なくもどることができた。だが、そこからしばらく登っていったところで、どちらへ行ったらいいのかわからなくなってしまった。前日、ほとんど周囲の景色を見ずに下っていたからだ。

 時間は昼ごろ。朝から6時間も行動し続けて、祖父は疲労から幻覚を見るようになっていた。「あそこに人がいる」「あっちに道路がある」などと言っては、そちらのほうへ走っていってしまうのだ。早苗は「そんなものはないから、お願いだから私たちといっしょに行動して」と泣いて説得した。このときがいちばん怖かったと、彼女は振り返る。

 この時点で、一行は救助を待つことを決断する。4人が帰ってこないことを心配した父親が、きっと警察に捜索願いを出してくれているはずだと信じて。

 ビバーク地点は、前日と同じように、沢から一段上がった樹林帯のなかに定めた。捜索のヘリコプターに発見されやすいように、なるべく開けている場所を選んだ。早速、焚き火を起こし、昼過ぎからはほとんどその場所を動かずに過ごした。

「私たち、どうなるんだろう」

 その日の夕方近くには、ヘリの音が聞こえてきた。期待していたとおり、捜索が始まったようだった。音は全然違う方向から聞こえてきていて、ヘリの機体も見えなかったが、捜してくれていることがわかっただけでもずいぶん心強く感じられた。

 3日目の17日は、朝の8時半ごろからヘリの音が聞こえはじめ、ビバークしていた場所からもヘリの機体が何度か見えた。そのたびに生木を焚き火にくべて煙を出し、赤い雨具を振り回し、大声で叫んだ。しかし、気付いてもらえないまま、その日は暮れていった。

 登山歴の長い祖父はともかく、ほとんど登山の経験のない女性3人にとって、思いもかけないビバークは大きなストレスとなった。1日目の夜には妹が、3日目の朝には母親が弱気になって泣き出してしまった。3日目の夜には早苗もこらえることができなくなり、「私たち、どうなるんだろう」と言って泣いた。

 誰かが不安に押しつぶされそうになったときには、ほかの者がそれを受け止めた。優しく抱きしめながら、「大丈夫だから。絶対に帰ろうね」と励ました。早苗が言う。

「3人で助け合っていました。誰も『もうダメだ』というようなネガティブなことを口にすることはありませんでしたね。心で思っていても、言ってしまったらほんとうにそうなりそうで怖かったんです。心配だったのは、自分たちのことよりも、残された人たち、父親や弟のことです。2人のことばかり心配していて、どうやったら生きていることを伝えられるんだろうという話をしていました」

 さすがに祖父が涙を見せることはなかったが、責任を感じて落ち込んでいた。

「自分のせいでこんなことになってしまって、ほんとうに申し訳ない」

 そう詫びる祖父に対し、3人はこう言って慰めた。

「起こってしまったことはしょうがないじゃない。助かればいいんだから。巻き込んだのが他人じゃなくてよかったわよ」

ビバーク3日目、高齢の祖父の体力は…

 ビバークも3日目になり、高齢の祖父の体力はだいぶ落ちてきているようだった。早苗らはときにマッサージをし、またときに抱きしめて祖父の体を温めた。祖父には少しでも体力を温存してもらい、とにかく救助されるまでがんばってもらいたかった。

(羽根田 治)

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