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「ヒグマと鉢合わせたら…」「ツキノワグマの方が断然怖い」多数のクマと遭遇したカメラマンが語る“対処法”と“適正な距離”

文春オンライン / 2024年6月30日 11時0分

「ヒグマと鉢合わせたら…」「ツキノワグマの方が断然怖い」多数のクマと遭遇したカメラマンが語る“対処法”と“適正な距離”

二神は「最近、ようやく距離から解放された」と話す。「昔はどうやって近づくかばかりを考えていたけど、近づかなくてもいいんだと思ったら楽になった。その方が自然な表情のクマの写真を撮れるので」  ©中村計

〈 「ヒグマが突進、死ぬほど怖かった」“子連れグマ”との距離は数メートル、手が震えて…動物カメラマンが恥を忍んで告白 〉から続く

 日本で今、もっともクマの写真を撮っているカメラマン、二神慎之介は昨年、日本全国でクマが大量出没した“好機”に、ほとんどクマの写真を撮らなかったという。その理由について、「怖かったから」と素直に語る。二神の最大の弱点。それは長年の濃密な撮影活動による「クマ恐怖症」を抱えているということだ。日本で今、もっともクマの写真を撮る男は、もっとも“ビビり”な男でもあった。

 クマと人との遭遇事故が頻発する昨今、二神はこう警鐘を鳴らす。「クマの本能が変化してきている。『共生』という言葉では、追いつかない時代がすぐそこまで来ています」――。(全3回の3回目/ #1 から読む)

◆ ◆ ◆

――二神さんは本州でツキノワグマの撮影もしていますよね。昨年からツキノワグマの事故も相次いでいますが、ヒグマとツキノワグマの習性の違いというか、怖さの違いみたいなものもあるものなのですか。

二神 僕がツキノワグマを撮り始めたのは2014年からなんです。ただ、ツキノワグマの経験値はまだまだ低いです。ツキノワグマを追いかけ始めたころ、ヒグマの経験があるからレベル3ぐらいから始められると思っていたんですけど、ぜんぜんジャンルが違いました。ヒグマ以上に会える回数が少なくて。ヒグマはうわっという感じで現れますけど、ツキノワグマはトコトコトコって現れる。かわいいんです。でも僕はツキノワグマの方が断然、怖いです。ヒグマ以上にストレスを与えちゃいけない感じがします。ツキノワグマは体が小さいぶん、ヒグマ以上に臆病な感じがするんですよね。なので、ちょっとしたことでパニックに陥って、突進してくるイメージがあるんです。

「共生」という言葉は生ぬるい

――現状、クマに対して一般人が使える武器はクマスプレーしかありません。昨年10月、大千軒岳(北海道)では消防隊員がヒグマの喉元にナイフを突き刺して撃退したというニュースもありましたけど、あれはそうそうできることではありませんよね。

二神 あれは奇跡的というか、とんでもない武勇伝ですよね。あんな話、聞いたことがありません。普通の人はできるなんて思わない方がいいですよ。パニックになって、何もできないのが普通ですから。

――スプレーはいろいろな弱点を指摘する声もありますが、実際のところ、どれくらいの撃退能力があるものなのでしょうか。

二神 僕は実際に使ったことまではないのですが、近年は数件ですがクマスプレーで撃退したという報告もあります。なので、一定の効果はあると思います。ただ、クマスプレーの弱点として、早撃ちができないんですよ。ホルダーから取り出して、ストッパーを外さないと噴射できないので。

――私が二神さんと北海道の山を一緒に歩いているときも、両サイドに茂みが迫っているような場所で腰のホルダーからスプレーを取り出して、構えていましたもんね。私も後ろで真似して構えていました。

二神 ああいう場所でヒグマと鉢合わせしてしまったら、準備しておかないと、もうアウトなんですよ。

――昨年、クマの事故が相次いだことにより、今年からヒグマとツキノワグマが「指定管理鳥獣」に指定されるなど、ここにきて人とクマの関係が急速に変化しています。そんな中、「共生」という言葉が多く聞かれるようにもなってきましたが、二神さんの実感としてクマとの共生は可能だと思いますか。

二神 少し厳しい言い方をすると、僕は「共生」という言葉は生ぬるいんじゃないかなと思っています。作家の熊谷達也がマタギを描いた小説『相剋の森』の中で〈山は半分殺してちょうどいい〉という言葉を使っているんですけど、もし共生という理想郷がありうるとしたら、自然に全力で抗って抗って、ようやく手に入るという種類のものだと思います。昔の人は畑を守るために鉄砲撃ちを雇っていたわけですから。ただ、人間の殺傷能力が高くなり過ぎて、一時期ヒグマは絶滅寸前まで追い込まれてしまった。減り過ぎたので保護の方に針が振れたわけですが、今度は増え過ぎてしまった。それが今の状態だと思うんです。

街中にもクマが出没してパニック

――人に危害を加える可能性のある野生動物を適正な頭数で維持するというのは、本当に難しいんでしょうね。ひと昔前まで、北海道の人でもヒグマなんて生涯、一度も見たことがないという人がほとんどだったらしいですもんね。

二神 大昔、ヒグマを見られることが当たり前の時代があった。次の段階として、見ることはなくなったけど感じることはあるという時代になった。つまり、気配ですよね。山に入ると足跡があるとか、植物をむさぼった跡があるとか。ただ、それを過ぎると不感症というか、クマを感じ取ることができない時代になってしまう。そういう時代になりつつあったタイミングで昨年、街中などにクマが出没したからみんなパニックになってしまったと思うんです。僕はクマの姿は見たことないけど、感じられるという関係性がいちばん理想だと思うんですよね。

――適正な距離ということですね。ただ、現代人の中には生き物を殺すというだけでアレルギー反応を示す人たちもいます。

二神 僕の知り合いが言っていたのですが、現代人は死ぬことを許さない、と。死を嫌うとか、死を怖がるというのは普通のことだと思うんです。でも、死を許さないというのは異常な心理状態だと思います。

――クマは今、史上、もっとも増えているのではないかという説も出ています。ある意味、人間との生息域の奪い合いですよね。どちらが生き残るか。

二神 クマが増え過ぎている。人間も増え過ぎてしまった。確かに、ちょうどいいクマの頭数を残すというのは難しいと思うんです。ただ、人間たちは動物を絶滅させると生態系に致命的なダメージを与えるということにはもう気づいていますから。そこは救いですよね。

クマを撃ちたいと思うことは?

――二神さんはクマを撃ちたいと思うことはないのですか。

二神 憧れはあるんです。自分で獲ったものを自分で食うみたいな生活に。ただ、硝煙の臭いがついたら、もう動物の写真は撮れなくなるかなとも思っているんです。物理的なものというより精神的なものですかね。狩猟者になるということは自然体系の中で主役になることでもあるんですよ。一方、僕がやっている撮影行動の主人公はやはり動物たちなんです。なので、狩りをするということは、その主体と客体が入れ替わってしまうことでもあると思っていて。

――ちなみに今年もまた昨年のようにクマが人里にたくさん現れるのでしょうか。

二神 クマの食性は多様なので、そんなに簡単に飢えたりはしないものなんです。ただ、昨年はいろいろな種類の木の実やサケなど、クマの餌が軒並み少なかった。だから、人里に出てこざるをえなかったと思うんです。ただ昨年、かなりの頭数が駆除されていますし、今年もあらゆる山の中の食物が不足するということは考えにくいので、昨年のようなヤバい状態になることはないと信じたいですね。

クマの気配が感じ取れる写真

――今年は精力的にクマの撮影をしようと考えているのですか。

二神 今年はやろうと思っています。ただ、今、僕が考えているテーマは「サイン」なんです。クマの気配が感じ取れる写真。もともと僕がヒグマに興味を持ったのも、観光で北海道に来たとき、クマが食い散らかしたサケの残骸を見たからなんです。そのとき、強烈にヒグマの存在を感じたんです。「ここにクマが来たんだな」「さっきまで、ここにクマがいたんだな」と。想像力は無限なので、実際に見たときの感動を超えることもあるじゃないですか。

――ヒグマって、ある意味、見えないから怖いんですよね。

二神 昨年のクマ騒動で、日本人の脳にものすごく強烈にクマのイメージが焼き付いたと思うんです。でも、それも時間が経つと忘れてしまう。だからクマを感じるという感覚を残すためにも、これからはクマの存在を想像させる写真により力を入れていきたいなと思っているんです。見えないけど、感じる。それが野生動物と人間の適正な関係だし、幸福な関係でもあると思うんです。僕がクマを撮り始めた頃、丸2年間、ほとんどクマに会えませんでしたけど、それでも幸せだったんです。妄想の世界で何度も会っていたので。会ってしまったら、それでおしまいですから。近い将来、そんな人とクマの理想的な距離感を「サイン」という表現方法で何らかの形にしたいと思っているんです。

(中村 計)

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