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腸が体から引っ張り出され子宮や膀胱も切除、喉や顔面はズタズタに…19世紀のロンドンを震撼させた“切り裂きジャック”犯行の内幕

文春オンライン / 2024年6月30日 17時0分

腸が体から引っ張り出され子宮や膀胱も切除、喉や顔面はズタズタに…19世紀のロンドンを震撼させた“切り裂きジャック”犯行の内幕

©AFLO

 19世紀の終わり、イギリス、そして世界を震撼させた凄惨な連続殺人事件がある。5人の女性たちが次々に殺害された「切り裂きジャック事件」だ。書籍化されたり、ジョニー・デップ主演の「フロム・ヘル」で映画化されたりしたので、ご存じの方も少なくないことだろう。殺害された被害者の遺体は、喉や腹部が切り裂かれたり、内臓が抉り出されたりするなど見るも無惨な状態で発見された。

著名人犯人説も浮上、現在も特定できない「切り裂きジャック」

 そんな遺体の状況から、人体解剖学について十分な知識を持っている人物や屠殺業者が捜査の対象となった。「切り裂きジャック事件」と称されるようになったのは、捜査を行ったロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)に“切り裂きジャック”と名乗る犯人から多数の手紙が届いたからだ。

 捜査の過程では、100名を超える容疑者が捜査され、ヴィクトリア女王の孫アボンデール公爵アルバート・ヴィクター王子や『不思議の国のアリス』で知られる作家ルイス・キャロル、「切り裂きジャックの寝室」という油絵を描いた画家ウォルター・リチャード・シッカートなどの著名人犯人説も浮上したが、今に至るまで犯人は特定されていない。 

   しかし、事件から136年経った今も「切り裂きジャック事件」はイギリスで大きな注目を集め続けている。今年3月には、事件を捜査していた警部が保管していた捜査資料が公開され話題となった。捜査資料の中には、切り裂きジャックが警察に送ったとされる手紙「親愛なるボスへ(Dear Boss)」や「生意気なジャッキー(Saucy Jacky)」のコピー、最初の被害者の遺体の写真も含まれていた。

「世界で最も悪名高き殺人犯の一人」と言われている切り裂きジャックはどんな人物だった可能性があるのか? また、5人の女性たちはどんな人生を辿って、殺害されるに至ったのか? 

売春をして生計を立てていた、最初の被害者メアリー

 事件が発生したのは、1888年8月31日から11月9日にかけてのことだった。場所は、ロンドンのイースト・エンドにあるホワイト・チャペル地区。当時、イースト・エンドは、ユダヤ人やロシア人の移民が商売を始める地域として知られていたが、貧しい人々が居住し、犯罪も多発していた。売春宿も数多くあり、被害者の中には売春をして生計を立てていた女性もいた。

 “切り裂きジャック”の最初の被害者メアリー・アン・ニコラスもその一人だ。メアリーは結婚して5人の子供をもうけたが、夫の浮気や自身のアルコール中毒が引き金となって離婚。当初は別れた夫からの仕送りで暮らしていたものの、メアリーが売春をしていることに怒った夫は仕送りを止めた。仕送りが途絶えたメアリーは救貧院で暮らしたり、事件が起きた年はメイドとして働いたりしていたが、メイドを務めていた家から3ポンド相当の衣服を盗んで逃走し、事件当時は、貧困者用の共同住宅に住んでいた。8月31日、バック・ロウという通りで発見されたメアリーの遺体は、喉が切り裂かれ、膣と腹部が刺されていた。

2人目の被害者は腸を引っ張り出され、両肩に掛けられ…

 2人目の被害者アニー・チャップマンもまた不幸な人生を送っていた。父親は幼少期に自殺し、アニーは若くしてアルコールに走った。結婚するも夫との関係に亀裂が入り始め、生まれた3人の子供のうち、一人は身体障害児で、一人は12歳で亡くなった。アニーは離婚するが、別れた夫が肝硬変で他界したことから、仕送りが途絶え、売春で生計を立てるようになる。

 事件当時は貧困者用の安宿に住んでいたが、宿代が払えなくなり、9月8日、宿を追い出された後殺害された。人家の裏庭で見つかったアニーの遺体は、喉が切り裂かれ、切られた腹部は丸見えで、腸は腹部から引っ張り出されて両肩に掛けられていた。子宮や膣、膀胱も切除されていた。

 この事件後の9月28日、事件を捜査していたスコットランド・ヤードは、“切り裂きジャック”と名乗る犯人から初めて手紙を受け取ったと言われている。手紙は「親愛なるボスへ」と宛てられていた。

切断中に邪魔が入ったのか? 三人目の被害者

 3人目の被害者エリザベス・ストライドはスウェーデン生まれ。イギリスに移住後結婚したものの離婚し、別れた夫は結核で死亡した。メアリーやアニーのように、エリザベスもまた、生計を立てるために売春を始め、アルコール中毒になった。

 9月29日夜、おしゃれをして出かけたエリザベスが地面に叩きつけられる様子が目撃され、その約1時間後、彼女は遺体で見つかった。エリザベスもまた喉が深くかっ切られており、首はほとんど切断に近い状態だった。しかし、前の二人の被害者ほどは身体がメチャクチャに切り裂かれていなかったことから、警察は、途中で誰かが遺体切断の邪魔に入ったのではないかとみていた。

“From Hell(地獄より)”と記された切り取った腎臓入りの手紙

 4人目の被害者はキャサリン・エドウズ。エリザベスの遺体が見つかった45分後に、遺体が発見されている。キャサリンはパートナーと3人の子供を育てていたが、アルコール中毒が原因で家族の元を去る。キャサリンもまた安宿に住み始めるが、前の3人の被害者のようには売春はしていない。事件当時、キャサリンは付き合っていた男とホップを収穫して生計を立てていたが、仕事は上手く行かず、住んでいたアパートから追い出され、アルコールに走っていた。

 9月29日午後8時頃、警察は通りで倒れているキャサリンを発見、警察署に連行したものの、9月30日に入った深夜、釈放した。午前1時45分、彼女の遺体が発見されたが、その殺され方は凄惨だった。喉や顔は切り裂かれ、内臓はえぐり出され、左の腎臓と子宮の大部分が切除されていた。犯人は、三人目の被害者エリザベスの遺体切断を途中で邪魔された怒りをキャサリンにぶつけたのではないかと警察は考えた。

 遺体の近くには「ユダヤ人は、何の罪にも問われない」という落書きもあったという。警察はその落書きが事件と関係があるかどうか確信が持てず、また、反ユダヤ主義の暴動が起きることを恐れて、その落書きを無視したという。

 この事件から数週間後、警察は、腎臓の一部が入っている手紙を受け取る。差し出し人のアドレスには“From Hell(地獄より)”と記されていた。

もっとも悲惨な最後の被害者は、内臓を部屋にばら撒かれ…

 最後の被害者メアリー・ジェーン・ケリーは、もっとも悲惨な殺され方をしている。ケリーは炭坑夫と結婚するも、夫が事故死したことから、高級売春宿に住み込んで売春を始め、そこで出会った男と一緒に暮らすようになるが、喧嘩が絶えず、アパートから追い出される。

 11月8日夜、この男と会って別れたメアリーが、一人でパブで飲んでいるところが目撃されている。11月9日午前0時過ぎには、メアリーの部屋から彼女の歌声も聞こえていた。

 同日午前、大家が家賃を取りに彼女の部屋に行くが返事がないため、窓から中を覗き込んだところ、そこには直視できないメアリーの遺体があった。頭はねじ曲げられ、腹部からえぐり出された内臓は部屋中にばら撒かれていた。鼻、頬、眉、耳、腕は部分的に切り落とされ、両乳房は切り取られていた。心臓は見つからなかったという。

容疑者となった外科医の息子ドルイット

 アルコール中毒、夫の死、売春、安宿からのキックアウト…。荒んだ生活を送っていた5人の女性たちを殺害した容疑をかけられたのはどんな人物なのか? 

 容疑者の一人にモンタギュー・ジョン・ドルイットという外科医の息子がいる。ドルイットはオックスフォード大学で学び、法廷弁護士を務めるエリートだったが、最後の被害者メアリーの殺害から1ヶ月後の1888年12月、テムズ川で遺体で発見される。死因は自殺とみられた。

 ある国会議員が、切り裂きジャックは「外科医の息子」で最後の殺人を犯した後自殺したと主張したことから、記者や警察は裏付け調査に乗り出したものの、ドルイットを殺人事件に結びつける確固たる証拠は見つからなかった。遺体の切断状況から犯人は医療技術があると見られていたが、ドルイットは医療技術の訓練を受けていなかった。また、ドルイットはうつ病に罹患していることを憂慮しており、弟に「私にとって一番いいのは死ぬことだ」と自殺をにおわせるメモも残していたことから、結局、自殺はうつ病に起因しているとみられたのだ。

絞首刑になった容疑者チャップマン

 ポーランドで外科医の見習いとして働き、1887年頃、ロンドンに移住したジョージ・チャップマンも容疑者として調査された。チャップマンは、1891年、ロンドンで出会った女性とアメリカに移住したが、チャップマンに虐待されたその女性はロンドンに舞い戻り、チャップマンも彼女を追ってロンドンに戻る。その女性とは別れたものの、その後、チャップマンと関係を持った内縁の妻たちはみな、奇妙にも胃の不調を訴えて死亡、後にチャップマンに毒殺されたことが明らかになった。チャップマンは最終的に殺人罪で有罪となり、1903年に絞首刑に処されている。

 当時、ロンドン市警の警部フレデリック・ジョージ・アバーラインは「チャップマンが犯人だと確信する証拠がたくさんある」とし、チャップマンがロンドンに移住後、殺人事件が始まり、彼がアメリカに移住した後殺人が止まったと指摘した。また、警部は、チャップマンが熟練した外科医で、当時、殺人事件の現場近くに住んでいたことにも注目していた。

 もっとも、チャップマンが殺害した女性たちはみな、彼が個人的に知っていた女性たちであり、凶器が毒物で、ナイフで見知らぬ人を殺して遺体をバラバラにするのはチャップマンのやり方ではないこと、また、チャップマンは確かに手術の経験があったものの切り裂きジャックが実際に外科医だったかどうかは不明であることから犯人とは断定されなかった。

◆◆◆

事件から136年経った今、最新の法医学が明らかにする犯人像とは…「 誰がロンドンの売春婦たちを惨殺したのか…136年経って浮かび上がった“切り裂きジャック”の犯人像 」を読む

〈 誰がロンドンの売春婦たちを惨殺したのか…136年経ち、最新の法医学で浮かび上がった“切り裂きジャック”犯人像 〉へ続く

(飯塚 真紀子)

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