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「ADHDと診断されて、お母さんは大泣きしました」天皇の誕生日を祝って炎上→高校退学した“女子高生のその後”

文春オンライン / 2024年7月7日 11時0分

「ADHDと診断されて、お母さんは大泣きしました」天皇の誕生日を祝って炎上→高校退学した“女子高生のその後”

今から9年前、「天皇たんおめツイート」で注目を集めたくりおねさん。当時の喧騒をどう振り返る?(写真:文春オンライン編集部)

「天皇誕生日おめでと あんま絡みないけど、素敵な82歳にしてね」――今から9年前の12月23日、天皇(現上皇)の誕生日を祝って炎上したのがくりおねさん(24歳)だ。

 当時、高校生だった彼女はなぜそんなツイートをしたのか? そして、その炎上が人生に与えた影響とは…‥? インタビュー前編をお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

「天皇たんおめツイート」の真相

――まず「天皇たんおめツイート」について。9年前、どのような気持ちであれを……?

くりおね 天皇誕生日って、日本だと祝日ですよね。もともと私の家は記念日や祝日といったお祝いごとが好きなんです。だから天皇誕生日もあまり深くは考えず、七夕だから短冊飾ったみたいな感じでお祝いツイートをしたんです。こう言っちゃうと、また叩かれるのかもしれないですけど。

――9年前の投稿画像には、天皇陛下の写真をハートで囲み、「祝82才♡♡ 我らが天皇♡♡」と手書きメッセージを添えて。さらにセーラームーンのスタンプと「HAPPY BIRTHDAY」というセリフもデコレーションしていました。

くりおね 当時、高校生の間で、誕生日デコが流行っていたんですよね。それで天皇にも同じことをしたら面白いかなと思って。でも別に私が日本で初めて天皇誕生日にツイートしたわけでもないんですよ。ただ投稿した画像がキャッチーなだけで。

――投稿したら、あっという間に反響が?

くりおね 0時過ぎに投稿したんですけど、朝起きたらリプ欄がすごいことになってて。「親の顔が見てみたい」というツイートを私の家族が見て爆笑するなんてこともありましたね(笑)。

 ただ、バズったあとにすぐ担任の先生から連絡が来て。投稿の削除とリプライに返信しないことを命じられました。「学校が言うなら消したほうがいいんじゃない?」とお母さんからも言われて、その投稿はすぐ削除しましたね。私、意外と親のしつけが厳しくて、この世でいちばん怖い存在がお母さんだったんです。

――「炎上」してるなと思いましたか?

くりおね そもそも炎上って何なんですかね? リプ欄には「不敬だ」と批判する人もいましたが、面白がって褒めてくれる人もいたし……。

――批判についてどう思いましたか?

くりおね まぁ、今となってはその気持ちもちょっとわかるよぐらいですかね。

高校退学の原因は…

――その後、学校に改めて呼び出されたんですよね?

くりおね うちの学校は携帯を持ち込むのが禁止でした。たんおめツイートのあとに携帯の中身を見せなきゃいけなくて、そこで校内で撮った写真が見つかってしまい怒られてたんです。それで学校から校則違反に当たるので、「退学」か「携帯解約」かの二択を迫られて……。

 でもまぁ、普通に考えて携帯を持っているだけで退学は厳しすぎるじゃないですか。だから、あえて厳しい選択肢を提示することで、どうしても携帯解約のほうを選ばせたかったんだと思います。

 あのツイートのせいで学校にもいっぱい電話が来てたみたいだし……今思うと、学校側としても何かしら“処分した感”を出さないといけなかったのかもしれません。

――結局その後に退学していますが、投稿との関係は?

くりおね 退学はたしか高2の夏休みだったかな。でもTwitterとはぜんぜん関係ありません。何かトラブルがあったわけでもなく、普通に人間関係がうまく築けない自分が嫌になってやめたんです。

 私って、ADHDなんですよ。ものごとを長く続けられないし、人間関係も上手に築けないタイプ。人生で唯一続いているのはSNSだけで、だから今も昔もネットに張り付いている部分もあって。

ADHDとわかって、お母さんは泣いた

――ADHDというのはいつ自覚を?

くりおね 中1のときです。振り返れば小学校時代は、忘れ物が多い、宿題や部屋の片付けができない。いつも同じことで怒られたりしていましたし、それが原因でお母さんからもよくビンタされたりもしていました。学校では男子と殴り合いの喧嘩をしたり、授業中に逃走もしたりしていたので、“何をしでかすかわからない子”扱い。教室の席は常に先生が見張っていられるよう、6年間ずっと教卓の前でした。

 でもお母さんがやっぱりこの子はおかしいと思ったのか、ある日病院に連れて行かれたんです。そこでADHDと診断されて、お母さんは大泣きしました。「もう叩かない。叩くのやめる」とも言ってくれましたね。以来、私の個性を伸ばそうと自由に色々なことをさせてくれたり、ADHDについての勉強もしてくれました。そのおかげで伸び伸びと育つことができたと思います。

――ADHDとわかった後は生活が変わりましたか。

くりおね 私的には「みんなと違うんだぜイェイ!」って感じでした(笑)。けど、いざ先生がクラスメイトにそれを伝えると、ますます人が近寄らなくなりましたね(笑)。でも、ADHDの薬を飲み始めるようになってからは、初めてお母さんの言いつけを思い出せるようにもなりました。

退学後は何をしていたのか?

――では中学校までは頑張って学校にも通っていたんですね。

くりおね 限界が来たのが高校です。退学の条件として、親には「金輪際、私の人生にお金を払わなくていい」と約束しました。働いて通信を卒業すると。実際、自分でお金を貯めて、通信は卒業しました。

――退学後はどんなお仕事を?

くりおね 地元のとんかつ屋さんやファミレスとか、いろんなところを転々として100万円くらい貯めました。だいたい週5で8時間労働。通信を卒業したあとは、美容系の専門学校にも入学したんですけど、やっぱりやめちゃいました。

 なんか、やりたいことが「やらなきゃいけないこと」に変わった瞬間から、やる気を失っちゃうんです。今までずっとつまみ食い。今年25歳になるので、そろそろつまみ食いのままで大丈夫なのかなと思いつつ、将来設計がなくて逆にワクワクもしています。私は鳥のように生きていたいんです。

〈 「自分より不幸な人間のやること」天皇の誕生日を祝って炎上した24歳・女性が語った「SNSで誹謗中傷にハマる人の特徴」 〉へ続く

(吉河 未布)

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