「俺、フトシちゃん。覚えてる?」きっかけは1本の電話…マインドコントロール下に置かれた家族6人が互いを拷問・虐殺《北九州監禁殺人事件》はなぜ起きた?
文春オンライン / 2024年7月6日 17時0分
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松永太死刑囚(中学時代の卒業アルバムより/写真提供:小野一光)
マインドコントロール下に置かれた一家6人が互いを拷問・虐殺…日本犯罪史上でも類を見ない凶悪事件「北九州監禁殺人事件」はなぜ起きたのか? 主犯・松永太死刑囚と共犯者・緒方純子の出会いを、新刊『 世界の殺人カップル 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
◆◆◆
家族同士が互いを虐待し殺し合う壮絶事件
1997年から1998年にかけ、家族同士が互いを虐待し殺し合う日本犯罪史上に刻まれる凄惨な事件が起きた。いわゆる北九州監禁殺人事件。そのあまりにショッキングな内容からメディアが報道を控えた本事件は全て主犯の松永太のマインドコントロール下で行われたものだ。共犯の緒方純子が妻子ある松永と男女関係になったのも、緒方家の財産が根こそぎ奪われたのも、緒方の両親・妹を含む一族6人が死亡したのも、そこには松永の類い希なる人心掌握術が働いていた。
「俺、フトシちゃん。覚えてる?」
始まりは1980年夏、松永(当時19歳)が緒方(同18歳)にかけた1本の電話だった。高校の同級生だったものの、ほとんど会話をしたことのない松永からの突然の連絡に戸惑う彼女に、松永は「卒業アルバムを見ていたら、自分の妻と同じ名前(ジュンコ)の君が載っていて懐かしくて電話をかけたんだ。確か、在学中に50円借りていたから、それを返したい」と言う。まるで記憶のない話に純子は適当に受け答えし電話を切ったものの、松永は1年後に再び連絡をよこし交際を迫った。最初こそ警戒していた緒方だったが、明るくユーモアのある話ぶりに心を許し、デートの誘いに乗る。これが彼女が地獄に落ちる第一歩だった。
松永は1961年4月、福岡県北九州市小倉北区で畳屋を営む両親の長男として生まれた。7歳のころ、父親が実家の「松永布団店」を引き継ぐため同県柳川市に転居。入学した地元の小学校では全学年を通して「オール5」で、学級委員長や生徒会役員を務めた。中学1年時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝。理路整然と語る口の巧さは当時から発揮されており、所属していた男子バレーボール部ではキャプテンを担った。成績優秀でリーダーシップもあり、一目置かれる存在ではあったものの、教師からの評判は低かった。
というのも、当時から自分より弱い存在に対して横暴な態度を取っていた他、己を大きく見せるための虚言癖があり、小・中学校時代の一部同級生も、松永の裏の顔をよく知っていたという。
1977年、緒方も在学していた久留米市にある福岡県立三潴高校に入学。風紀委員長として活躍していたが、高校2年生ときに家出した女子中学生を家に泊めたことによる不純異性交遊が発覚、退学処分となり、同じ久留米市の私立高校に編入する。卒業後は大学に進学せず、福岡市内の菓子店に就職するものの、わずか10日で退職した。
その後、親類が経営する布団販売店などを転々としてから、1981年5月に父親から家業を譲り受け、柳川市の自宅を本店とする布団訪問販売会社「ワールド」を設立。持ち前のコミュニケーション能力をフルに発揮し、原価3万円の布団を25万で売りつける詐欺的商売で会社を急成長させ、多くの従業員を抱える。1982年1月に2歳年上のジュンコさんと結婚。約1年後の1983年2月に長男を授かる一方、妻が妊娠中だった1982年10月ごろに緒方と初めて肉体関係を持った。
緒方は1962年2月、久留米市安武町の農家に生まれた。父方の祖父は元村議会議員、父親は農業をする傍ら鋼鉄の線材を作るメーカーに勤めており、家は村の3分の2を占める名家だった。そんな裕福な環境下、緒方は何不自由なく育てられ、地元の公立中学を卒業した後、松永と同じ公立高校に進学。性格はおとなしく地味だったが、成績は優秀で進学クラスに在籍していた。高校を出て福岡市内の短期大学に進学し、卒業後の1982年4月から幼稚園教諭として働き始める。松永に処女を捧げるのは、その半年後のことである。
松永が緒方に接触したのは当初、単なる遊びだった。実際、外面の良かった彼は結婚後も多くの女性と関係を結んでいる。が、緒方と男女の関係となり、彼女の実家が資産家であることを把握すると、その目的は財産へと変わっていく。話術に長けた松永にとって、従順で真面目な緒方はいとも簡単に操れる存在だった。
2人が関係を持って2ヶ月が経過した1982年12月24日のクリスマスイヴ、松永は久留米市にあるホールを借り切って、会社主催の音楽コンサートを開いた。約1千100人のキャパのホールに招待されたのは緒方や当時妊娠中だった松永の妻、他に関係のあった女性ら約50人。松永はワールドの従業員に伴奏させ、自らマイクを握り歌った。全ては自分の見栄と、これから落とそうとしていた女性の気を引くためだった。
当時、会社の経営が順調だったこともあり、数百万円の開催資金は松永個人の持ち出しで、その後、ワールドは1985年に敷地内に鉄筋3階建ての自社ビルを新築。1986年には資本金500万円を投資して有限会社から株式会社化し、松永は代表取締役社長に就任している。
「おまえのせいで俺の人生はめちゃくちゃだ」
一方、いずれ妻とは離婚するとの松永の言葉を信じ、ずるずる不倫関係を続けていたが緒方は日に日に不安を増し、1984年に叔母に全てを打ち明ける。それを伝え聞いた両親は興信所を使って松永の身上調査を行ったり、家に呼んで娘と別れるよう説得する。ところが、口の巧い松永に言い含められるどころか、そのころ青年実業家として成功していた彼に全面的な信頼を置いてしまう。ただ、この一件により、松永の緒方への態度は豹変し、「おまえのせいで俺の人生はめちゃくちゃだ」と、殴る蹴るの虐待が始まった。
竹刀で喉ぼとけを殴り老婆のようなしわがれ声にし、踵落としで太ももをえぐり、胸と太ももにタバコの火と安全ピン、墨汁で「太」と自分の名前を刻印した。当然のように、緒方の母親は娘の身を案じた。しかし、松永は母親を呼び出し、強引に肉体関係を持ち自分の味方につけてしまう。緒方が松永の暴力に疲弊し、勤務先の幼稚園を辞職するのは1985年2月のこと。それでも、彼女が松永との関係を切ることはなかった。
〈 妻の母と妹を強制わいせつ→公表することで“家族の絆”をズタズタに…《北九州監禁殺人事件》犯人男の「凶悪すぎるマインド・コントロール手法」 〉へ続く
(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))
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