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「頭を洗うと、ごっそり抜ける」抗がん剤の副作用でスキンヘッドに…落ち込む岸博幸を救ったのは“やしきたかじんの妻”の言葉だった

文春オンライン / 2024年6月29日 6時0分

「頭を洗うと、ごっそり抜ける」抗がん剤の副作用でスキンヘッドに…落ち込む岸博幸を救ったのは“やしきたかじんの妻”の言葉だった

岸博幸さん ©杉田裕一

〈 「オレはバカじゃないか」余命は短くて10年…経済評論家・岸博幸が振り返る、がんを宣告された日の医師との“押し問答” 〉から続く

『全力!脱力タイムズ』など数々のバラエティ番組に出演していることでもお馴染みの、経済評論家・岸博幸さん。現在も出演を続けているが、実は2023年にがんと診断され、余命と向き合うことになったという。

 ここでは、岸さんが“最期に言いたいこと”をまとめた『 余命10年 多発性骨髄腫になって、やめたこと・始めたこと。 』(幻冬舎)より一部を抜粋して紹介。多忙の中でようやく入院が決まり、苦しい治療に落ち込む岸さんを救ってくれたのは、2014年に食道がんでなくなったやしきたかじんさんの妻だった――。(全3回の2回目/ 最初から読む )

◆◆◆

病名判明から40日後にようやく入院

 病気が判明して約40日が過ぎた2月28日、ようやく病院に入院して、本格的な治療が始まった。骨の中に溜まった骨髄腫細胞を血管に押し出して尿と共に体外に排出するという、第一弾となる治療を夏まで通院で続けるにあたり、内臓に悪影響が出ないかどうか、経過観察をするためだ。

 この治療は、毎日2リットルもの点滴に加え、輸血に注射、服薬と盛りだくさんだったが、幸い体への支障はほとんどなく、2週間で無事に退院。息子の小学校卒業式にもなんとか間に合い、参列できた。

 治療第2弾を受けるために、再び入院したのは、7月20日のことだった。そこで行ったのは、造血幹細胞移植。自分の血液中から、血液をつくる造血幹細胞(自家造血幹細胞)を採取して凍結保存した後、抗がん剤を使って、がん化した形質細胞を攻撃。極限まで減らしてから、凍結しておいた造血幹細胞を解凍して体内に戻し、造血機能を回復させるという治療法だ。

 最初の入院の際は、病気のことはごく一部の人にしか伝えていなかった。けれど今回は、あらかじめ主治医から、入院は4~6週間の期間になると告げられていた。

 仕事のスケジュールは調整したとはいえ、身動きがとれなくなる期間が長くなるのだから、仕事の関係先や友人・知り合いに病気と入院のことを知らせた方がいい。そう考えたものの、個々に連絡するのは面倒くさい。そこで、入院中の7月24日、仕事先や知人への同時通報のつもりで、X(旧Twitter)に多発性骨髄腫にかかっていること、その治療のために8月下旬まで入院する旨を書きこんだ。

 ところが、それが思いがけずネットニュースに取り上げられ、予想以上に多くの人からお見舞いや励ましの連絡をいただくことになった。この一件で、僕は、人のやさしさに感動すると同時に、ネットの威力を改めて思い知った。

造血幹細胞の採取、そして、抗がん剤投与

 入院して最初に受けたのは、あのイヤな骨髄穿刺をはじめ、さまざまな検査だった。首を通る太い血管に挿入されたカテーテルを通じて造血幹細胞の採取や抗がん剤投与、毎日の点滴や輸血が行われたが、当初は、カテーテルという“異物〞が体内にある違和感と痛みに、かなり悩まされた。

 7月26日、造血幹細胞の採取が4時間かけて行われた。カテーテルを通じて血液を採取し、機械を使って造血幹細胞だけを取り出して、残りの血液は体内に戻すという作業だ。

 この作業は体への負荷が大きかったのか、終了後には疲れがどっと出てしまい、何もする気が起きなかったほどだ。もっとも、必要な量の造血幹細胞が採取できなかったら、翌日も同じ作業をすることになっていたので、1日で終わったのはラッキーだった。

 その後、7月30、31日の2日間にわたって抗がん剤投与が行われたが、これが予想していたより遥かに大変だった。

 抗がん剤の副作用といえば、髪が抜けるとか猛烈な吐き気とかが知られているが、口内炎もそのひとつ。抗がん剤は、粘膜にも悪影響を及ぼすため、口内炎を発症しやすいそうだ。口内炎は感染症リスクを高めるし、ひどい場合は口の中が口内炎だらけになるので、吐き気もあいまって食事が摂れず、栄養不足になって体力も落ちてしまう。患者にとって、非常に厄介な副作用だ。

 その予防策として、30分かけてカテーテルから抗がん剤を投与する際、ずっと氷を口に含み、しゃぶり続けた。口の中を冷やすことで、口内炎の発症がある程度抑えられるためだ。

 口の中の氷が溶けては新しい氷を口に含む。これを30分続けるのは、思いのほか辛かった。めんどうだし、疲れるし、ただでさえ冷房が効き過ぎている病室はとにかく寒い! 外は猛暑なのに、僕は、寒さとも闘わなければいけなかったのだ。もっとも、この苦行(⁉)に耐えた甲斐あって、口内炎を発症せずに済んだけれど。

 抗がん剤の投与が終了した翌日の8月1日に、カテーテルを通じて造血幹細胞が移植された。移植自体はスムーズに終わったものの、この後、僕は本格的に抗がん剤の副作用に悩まされることになる。

吐き気と食欲不振、抜け毛に悩まされる

 翌日から覚悟していた副作用が出始めた。8月1日から5日間にわたり、胸がムカムカして、吐き気もひどく、何も食べられない状態が続いたのだ。甘いものが大好きな僕が、事前にコンビニで買っておいたお菓子を見ただけで、気持ちが悪くなったくらい。

 ベッドの上で上体を起こしているだけで気分が悪くなり、活字を読むとめまいがする。ひどい二日酔いの状態で、大波に揺れる船に乗っているようなものだ。それが5日間続いたのだから、心身共に疲弊した。

 それでも、抗がん剤投与から6日が過ぎた頃には吐き気がだんだんとおさまり、食事も食べられるようになった。人によっては3週間くらいは何も食べられない状態が続くこともあるそうなので、看護師さんいわく、すごく早い回復ペースだった。人並み外れた体力のおかげのようだ。

 5日間は、点滴で薬と共に栄養分やカロリーを補給していたので、食事を食べられる喜びを改めて実感した。

 吐き気と食欲不振に次いで、8月10日あたりから、次の副作用が始まった。抜け毛だ。シャワーを浴びて頭を洗うと、髪の毛がごっそりと抜ける。朝起きると枕の上に大量の抜け毛が散らばっている。入院してすぐに病院内の理容室で3ミリの丸刈りにするなど“対策〞は講じていたが、それでも、シャワーの際、手のひらにごっそりとついてくる抜け毛を見ると、すごく悲しい気持ちになった。

 それからわずか数日で、カッコ良く言えばスキンヘッド、要は、ハゲになってしまった。僕は元来、髪が太くて、硬く、そして多い。薄毛とは無縁と思っていたから、やはり最初はかなり落ち込んだ。

 それを救ってくれたのが、やしきたかじんさんの奥様だ。

 たかじんさんには、『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ。現『そこまで言って委員会NP』)という番組でお世話になり、テレビの世界のイロハをいろいろと教えてもらうなど、ずいぶんとかわいがってもらった。僕にとって大恩人のひとりなのだが、とても残念なことに、2014年に食道がんで亡くなってしまった。

 奥様とは、たかじんさんが亡くなってからは交流が途絶えていたのだが、僕の病気をニュースで知り、メールをくださった。

 メールには、たかじんさんも、抗がん剤で頭髪が抜けたことが書かれていて、当時の写真が添付されていた。

 これまで見たこともないくらい髪を短く刈り込んだたかじんさん、そして、スキンヘッドになった後に髪が少し生えてきた頃のたかじんさん。

 たかじんさんも、僕と同じような思いをしながら頑張ったのだと思うと、ものすごく励まされた。

 と同時に、たかじんさん、そしてバラエティ番組で鍛えられた、どんなことでも楽しんでしまうという精神が蘇ってきた。頭から髪の毛という存在が消えたのは、60年の人生で初めてのこと。いずれまた髪が生えてくるのだから、今この刹那のハゲを、思い切りエンジョイしよう。そんな風に、考え方が百八十度転換できたのだ。

 奥様が送ってくれたたかじんさんの写真は、今もお守りとして僕のスマホの待ち受け画面になっている。

〈 退院の翌週に『脱力タイムズ』収録『ミヤネ屋』生出演…がんと宣告され「余命10年」でも岸博幸がすぐにテレビ復帰した理由 〉へ続く

(岸 博幸/Webオリジナル(外部転載))

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