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退院の翌週に『脱力タイムズ』収録『ミヤネ屋』生出演…がんと宣告され「余命10年」でも岸博幸がすぐにテレビ復帰した理由

文春オンライン / 2024年6月29日 6時0分

退院の翌週に『脱力タイムズ』収録『ミヤネ屋』生出演…がんと宣告され「余命10年」でも岸博幸がすぐにテレビ復帰した理由

岸博幸さん ©杉田裕一

〈 「頭を洗うと、ごっそり抜ける」抗がん剤の副作用でスキンヘッドに…落ち込む岸博幸を救ったのは“やしきたかじんの妻”の言葉だった 〉から続く

『全力!脱力タイムズ』など数々のバラエティ番組に出演していることでもお馴染みの、経済評論家・岸博幸さん。現在も出演を続けているが、実は2023年にがんと診断され、余命と向き合うことになったという。

 ここでは、岸さんが“最期に言いたいこと”をまとめた『 余命10年 多発性骨髄腫になって、やめたこと・始めたこと。 』(幻冬舎)より一部を抜粋して紹介。苦しい入院生活を乗り越えて退院後も治療を続けながら、岸さんがすぐにテレビ出演の仕事に復帰した理由とは――。(全3回の3回目/ 最初から読む )

◆◆◆

無菌室フロアでの“軟禁生活”

 2度目の入院では、無菌室フロアの個室に入れられた。抗がん剤を使用することで、感染症に罹患するリスクが高くなるからだ。

 抗がん剤によって、一時的にではあるが白血球の値がゼロになるので、免疫力は著しく下がる。口の中いっぱいに口内炎ができたり、下痢を発症して肛門が傷ついたりすれば、それらの粘膜から菌が入り、全身に回ってしまう危険性もある。

 だから、無菌室フロアに入れられるのは当然のことだと、頭では理解していた。……つもりだったが、この“ほぼ軟禁状態”に、ほとほと辟易してしまった。

 まず、一般病棟の入院では可能だった、コンビニなどの病院内の他のエリアに行き来することが禁じられる。なので、飲み物などを買いたくても、自分で行くことは許されず、看護師さんにお願いすることになる。

 次に、無菌室フロアには、談話室やラウンジのような場所は一切ない。

 長期間入院する患者が多いので、退院後、スムーズに社会復帰できるように患者専用のリハビリルームが設けられているが、それが病室以外で時間を過ごせる唯一の場所。

 さらに滅入ったのが、無菌室フロアで提供される食事はすべて“無菌食”であったこと。生野菜など加熱殺菌処理されていないものは出ないし、お茶やコーヒーにしても、淹れたてではなく、紙パックや缶に入ったものだけ。薄味が基本で、お世辞にもおいしいとは言えない病院食が、さらに味気ないものになってしまったのは、すごく悲しいことだった。

入院から4週間という“最短ルート”での退院

 吐き気がおさまった頃から、僕の日課にリハビリルームでのトレーニングが加わった。リハビリルームには、狭いながらもウォーキングマシンやエアロバイク、最低限のウエイトトレーニングの道具などが用意されている。バイクを漕ぎ、スクワットや腹筋、ストレッチなどで、毎日1時間ほど体を動かした。

 とはいえ、当然ながら、病気になる前のトレーニング通りにはいかない。何より、点滴スタンドが常に傍らにあるのだ。点滴スタンドが倒れないよう、カテーテルが抜けないよう注意しながらの運動は、やりにくいことこの上ない。ちなみに、僕がつけた点滴の最大数は9つ! “シャンデリア状態”の点滴スタンドを引きずってトレーニングに打ち込む姿は、他の人の目には奇異に映ったかもしれない。

 ともあれ、こうしたトレーニングやしっかり食事を摂ったことで、僕は、主治医も驚くほどのスピードで回復した。主治医いわく、基礎体力が抜群にあったことが大きいらしい。若い頃から意味もなくずっと体を鍛えてきたが、それが初めて役に立ったようだ。

 こうして僕は、8月18日、この治療では“最短ルート”となる4週間での退院を果たした。

仕事復帰、そして新たな治療が始まる

 退院後、早速仕事を再開した。いくらトレーニングを続けていたとはいえ、やはり4週間も入院し、かつ抗がん剤を投与されていたとなると、体力はかなり落ちる。少し動いただけでも、すぐに息切れを起こしてしまうくらいだったけれど、それでも、退院3日後からほぼ通常モードで仕事を始め、翌週には、『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ)の収録に参加、『情報ライブミヤネ屋』(読売テレビ)に生出演し、講演会もこなした。

 退院直後はゆっくり休んだ方がいいと言われた。でも僕には、そんな気は毛頭なかった。退院してすぐに仕事を再開し、テレビにも早期に復帰したのには一応理由がある。

 重病を患うと、自分の見た目が変わってしまったことに引け目を感じたり、周りに迷惑をかけるのを気にして、すぐに仕事に復帰するのを避ける人も多いらしい。

 でも、今は2人に1人ががんを患う時代である。そんな遠慮をせずにむしろ積極的に早く社会復帰すべきではないだろうか。重病を患っても、見た目がハゲに変わってしまっても、気合と根性があればすぐに仕事に復帰して明るく元気にやれるんだ、と体を張って示したかったのだ。

 とはいえ、退院後も当然治療は続く。仕事の量は徐々に増やしていったけれど、週1回の通院は何にも勝る最優先事項になった。2月に入院をめぐって主治医と押し問答した頃に比べれば、ずいぶん意識が変わったものだ。

 9月下旬、主治医から「11月から第3弾となる治療を行いたい」と、告げられた。血液数値が予想よりも回復しておらず、まだ病気が体内に残っているとのことで、今度は、新たな注射と飲み薬を使って、血液数値の改善を目指すという。

 週1回ペースで注射を打ち、毎日朝に5種類、夜に4種類もの薬を服用することになったが、薬剤が内臓に悪影響を及ぼす可能性があるため、治療開始から1週間は経過観察の必要があるとのこと。10月26日に、再び入院することになった。

 ただし、今回は無菌室フロアではなく一般病棟だし、経過観察だから8月の入院に比べたら楽勝! そう思っていたが、甘かった。注射も薬も強いせいか、全身がだるく体調が優れない。それは、退院してからも変わらず続いた。

 特にショックだったのは、たばこだ。ご存じの方もいるかもしれないが、僕はかなりのヘビースモーカー。世間がどんなに禁煙推しになろうとも、たばこ愛は揺らぐことなく、毎日何十本も吸い続けてきた。それは、病気が判明してからもだった。

 それなのに、この治療を始めてから、たばこがおいしくなくなってしまった。男の意地(どんな意地だ!?)で吸い続けてはみたものの、数は激減してしまった。

 僕にとって、たばこがおいしいかどうかは、その時々の体調をはかるバロメーターでもある。つまり、たばこがまずい=体調が思わしくないということ。多発性骨髄腫という病の厄介さと治療のしんどさを、心から実感することになった。

 2024年に入って、ようやく薬剤に体が慣れてきたのか、体調が悪い日も減ってきた。この治療を始めてから血液の数値は徐々に改善を続けているので、当分はこれを続けることになるのだろう。

 もともと体力が抜群にあったのに加え、規則正しい生活を送るようになったおかげで、顔色も良くなり、元気に見られるようになったのは本当に良かった。正直に言えば、治療で体力はかなり落ちたし、日によって体調にはアップダウンがあり、体調の良くない日はやはりしんどい。

 骨がもろくなっているのにも気を遣うので大変だ。でも、文句を言ってもしょうがない。辛抱強く治療を続けながら、明るく楽しく仕事と遊びを頑張るしかない。

 もしかしたら、この先期待するほどの回復が見られなければ、新たな治療に移ることになるかもしれない。それでも、病気が見つかった頃の「異常なレベル」に比べれば、血液検査の数値は改善している。そう考えると、僕は本当に運が良いと思う。そもそも人間ドックを受けたこと、その後、血液内科の専門医にすぐに診てもらえたことからして、幸運が重なった結果なのだから。

 それに……、病気になったこと、そして、余命10年と理解したことで、人生観がすごく大きく変わった。大事な悟り、というか気づきを得ることができたのだ。だからきっと、人生残りの10年は、すごく楽しく過ごせると思う。今となっては、この病気が見つかったのは、僕にとってラッキーなことだったと強がりではなく心から思っている。

(岸 博幸/Webオリジナル(外部転載))

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