ホン・サンス作品への出演は「休息であり魔法のような時間なんです」主演俳優が明かす撮影現場<脚本は当日朝、16分超の長回しも>
文春オンライン / 2024年6月30日 16時0分
左からクォン・ヘヒョ、チョ・ユニ、ソン・ソンミ、ホン・サンス監督 ©AFP=時事
ホン・サンス監督の28番目の作品『WALK UP』で主人公のビョンスを演じたクォン・ヘヒョ。1990年にデビューして以来、映画やドラマ、演劇舞台を合わせ、100本をはるかに超える作品に出演するベテラン役者だ。
ホン・サンス監督とは2012年の作品『3人のアンヌ』の出演を契機に縁が始まり、現在にいたるまで未公開作を含め11本の映画に出演している。
◆◆◆
撮影前日に「今回は君が主役になりそうだよ」
──ホン監督とはどのように知り合われたのですか。
クォン・ヘヒョ(以下クォン) 監督のデビュー作『豚が井戸に落ちた日』(96年)を観て非常に衝撃を受け、この監督とぜひ仕事をしてみたいと思い続けていました。
その後、2009年にムン・ソリさんと舞台をご一緒したのですが、その縁でホン監督が観に来られました。それがきっかけで、オファーが来て『3人のアンヌ』に出演が決まったのです。
──本作の出演のきっかけは。
クォン ホン監督の制作方式は独特です。あらかじめ用意された脚本はなく、撮影当日の朝に渡されます。監督が映画を撮るときにまず先に決めることは、いつからいつまで映画を撮るという時間的な制限なんです。あるいは、ある場所を見て映画を撮ると決めるときもあります。
その後、その場所に誰々が立っていれば、話が出来そうだというイメージが浮び上がると俳優に交渉します。今回も同様でした。
「そこに行ったらとても興味深かった。いつからいつまで映画を撮らなければならないのだが、どんな話になるかまだ分からない。でもそこに君がいればいいなと思うのだがな」というように連絡が来たんです。
撮影前日になって「ところで私はいったいどんな役ですか」と尋ねると、「今回は君がリーディングロール(主役)になりそうだよ」とそこで初めて言われたんです(笑)。
「私はむしろそのやり方が好きです」
──撮影当日になって台本をもらうことは俳優として負担になりませんか。
クォン 私はむしろそのやり方が好きです。私たちの日常は今この瞬間が過ぎると、次はどんなことが起きるか分からない。監督の現場もそれと同じなんです。
現場に到着すると同時に、初めてセリフと向き合わなければいけない。脚本を渡されてから30分くらい経つと、「どう? 覚えた? じゃ、合わせてみようか」という監督の声で1時間ほどのリハーサルをへて本撮影に入ります。
現場では監督や俳優全員が集中しているので、たびたび予想もできないマジックのような瞬間が生じます。
──監督の多くの作品に独特のズームイン・ズームアウトが見られますが、それはなぜでしょうか。
クォン 私が考えるには、ホン監督は、撮影現場のすべてを決定してしまう完璧主義者ではありません。自分が書いたセリフやカメラの中に盛り込む要素に常に悩みながら進める人です。
例えば、撮影現場で気になる木の葉があれば、それを作品に取り入れようとしてとっさにズームインをします。彼は話を伝えるのにカットを分けるのは役に立たないという確信を持っているようです。そのためでしょうか。
ワインを飲むシーンは16分越えの長回し
──本作も過去作同様に、ロングテイク(長回し)がありますね。ロングテイクは大変じゃないですか。
クォン ワインを飲むシーンが16~17分ありますね。これまでで一番長いのではないでしょうか。
この間、3人の俳優はセリフを間違いなく自然に会話を続けなくてはなりません。監督はセリフ一文字も変えないことで有名な方ですが、これには大変な集中力が必要になります。
実際にこのシーンを撮っている間、自分が芝居をしている感覚はありませんでした。ただ、相手の話を熱心に聞いて、自分の主張をすること、それだけを考えていました。
監督はフィルムの編集段階で、撮影した順番を変えたりしません。
作品で見るその順に撮ります。だから最終日の最後の撮影がラストシーンになるわけですが、今回午前から始まって日が暮れるまで、その場面だけで30回を超えるテイクがありました。これが一番大変でした。
──本作で一番印象に残るシーンはどこでしょうか。
クォン 本作は複雑な構造を持った映画です。一人の男の心の中にある欲望とその中から抜け出せない姿が、建物の階別で描かれるエピソードと絡み合っています。
ラストシーンで男はなかなか抜け出せなかった建物を出た後も、建物から離れられないのです。監督のこれまでの映画では見られなかった新しくて、同時に寂しくて興味深いシーンです。印象に残るのはやはりここですね。
ホン・サンス作品定番の「映画監督」「酒」
──ホン監督作品には映画監督の役が頻繁に登場しますね。
クォン 監督はもっともらしい叙事(ストーリーテリング)を極度に嫌う作家です。彼の話は、自分が知っていて周辺で見られるところから出発します。だから彼の映画には、悩む若い監督や失敗した監督、欲望に振りまわされる監督などいろんな監督が登場します。
本作も屋上でビョンスが「済州島で映画を撮る」と言う場面があります。これは「私が突破できることは映画を撮ることだけだ」と常に言っているホン監督自身に重なります。実際、ホン監督は本作が終わった後、済州島に行って映画を撮りました。
──どの作品も必ずお酒を飲むシーンが出てきますが、その理由は。
クォン 監督にとってお酒は、人を率直にさせる装置なんです。自分の本心をさらけだし、相手の言葉に耳を傾けることができますから。監督の映画でお酒のシーンがない作品なんて想像もつきません。
ただ、10年前に比べると、最近のお酒のシーンはかなりマイルドになりましたね。以前のように激しく感情がぶつかるシーンもなく、お酒も焼酎からマッコリへと変わりましたし(笑)。
──キム・ミニさんがプロデューサーとして参加しています。
クォン 監督の映画はプロデューサーとして介入する余地は少ないと思います。プロデューサーは制作の計画を立て、監督にアドバイスをすることが役割ですが、脚本自体がないのですから。
ただ、プロデューサーとしてのキム・ミニは、役者としてのキム・ミニよりはるかに生き生きしていると感じました。受動的な立場である役者に比べ、プロデューサーは能動的な立場だからだと思います。
現場に行く時、遠足に行く子どものようにドキドキする
──監督との共同作業は、すでに13年も続いています。
クォン『3人のアンヌ』以後、2番目の作品となる『あなた自身とあなたのこと』(16年)まではだいぶ期間があきました。おそらく私が監督の撮影スタイルを十分に理解できなかったせいもあったのではないでしょうか。
役者は通常シナリオを受けてから、キャラクターをどう演じるかやセリフを自分のものにすることに没頭し、計画を立てて撮影に応じます。だが、監督との撮影現場はそのようなやり方はまったく通用しないのです。
役者は命をかけて現場に臨むものだと思っていますが、私はそれが限りなく楽しみになっています。朝、現場に行く時、まるで遠足に出発する子どものようにドキドキするんです。「今日はまた何が起きるだろうか」と。
監督の作品に出ることは、私には休息であり魔法のような時間なんです。
クォン・ヘヒョ 1965年韓国・ソウル生まれ。1990年に舞台で俳優として活動をスタート。1992年、イ・ジャンホ監督作『ミョンジャ・明子・ソーニャ』で映画デビュー。以降幅広く活躍し、『冬のソナタ』(02年)、『新感染半島 ファイナル・ステージ』(20年)など多くの話題作に出演している。
『WALK UP』は、ホン・サンス監督作品では『それから』(17年)以来の単独主演作となる。妻は俳優のチョ・ユニで本作でも共演している。
『WALK UP』
監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽:ホン・サンス/出演:クォン・ヘヒョ、イ・へヨン、ソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソ、シン・ソクホ/プロダクションマネージャー・スチール写真:キム・ミニ/2022年/韓国/97分/配給:ミモザフィルムズ/6月28日公開
(金 敬哲/週刊文春CINEMA 2024夏号)
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