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《写真多数》「ウクライナ軍として配備されていたら、プーチンは侵攻したやろか?」トルコにオランダ…友好国の海軍を見て不肖・宮嶋に浮かんだ“ある思い”

文春オンライン / 2024年7月2日 6時0分

《写真多数》「ウクライナ軍として配備されていたら、プーチンは侵攻したやろか?」トルコにオランダ…友好国の海軍を見て不肖・宮嶋に浮かんだ“ある思い”

 日蘭、日土の浅からぬ関係をご存知だろうか。先の大戦では「ABCDライン」にもなったオランダはじつは来年には日蘭の交流が始まって425年を迎える。オランダは日本の皇室とも関係深い王国であり、現国王が皇太子時代もたびたび訪日し、お忍びで地下鉄で東大安田講堂を訪れたのを写真週刊誌カメラマンだった不肖・宮嶋も撮影に成功したことがある。

入港した「トロンプ」艦長「長崎寄港を楽しみにしていた」

 さて江戸時代の1600年、1隻のオランダ船、デ・リーフデ号が現在の大分県に漂着する。その船の航海士だったウィリアム・アダムスが家康に厚遇され、外交顧問にまで成りあがり、「三浦按針」という日本名まで授けられ日蘭の国交が始まる。さらに1636年ここ長崎湾内に人工的に埋められ造られた出島は当時鎖国中の江戸幕府にとっては唯一の西欧への窓口となった。

 日蘭交流425周年を控え、この朝、かつての出島をさらに埋め立て造成された岸壁に接岸した「トロンプ」は艦橋上部に日本のイージス艦にも備わるフェーズドアレイレーダーを4面に備えたAPARレーダーを自国で開発し、イージスシステム同様の高い防空能力を誇る。

 この朝入港歓迎式典に出席した「トロンプ」の女性艦長イヴォンヌ・ファン・ブーゼコム中佐も「乗員ともに長崎寄港を楽しみにしていた。こちらで過去の日蘭貿易について学びたい」と述べられ、乗員とともに原爆資料館も訪れ、長崎名物チャンポンも味わわれ、「おいしかった」と感想も述べられた。

 ホスト側の海上自衛隊の佐世保地方総監部土屋剛管理部長も「歴史的にも両国の親善を深めるためにも意義深い」と歓迎の弁を述べられたぐらい日蘭両海軍は良好な関係を築いている。

中国から受けた挑発行為

 「トロンプ」は日蘭親善のためだけにここ長崎に入港したのではない。この3月母港デンヘルダー基地を出港したトロンプは地中海、紅海を経てシンガポール、インドネシア等に寄港、南シナ海では「開かれたインド・太平洋」のオランダ政府の政策に基づきこの海域での安全な航行とその維持を目的に派遣され、その任についているが、長崎入港前日にも海上自衛隊の護衛艦「あけぼの」と日蘭海軍初めてとなる共同訓練も行っている。

 さらに7日には東シナ海上で北朝鮮による瀬取りを警戒する任についていたといわれる「トロンプ」に対し、沖縄周辺海域を含むこの海域すべてが中国の海やとこく中国人民解放軍の戦闘機2機やヘリが異常接近するという挑発行為を受けた。それはオランダ国防省いわく「潜在的に危険な状況が生じた」というレベルやったのである。

 オランダはかっての海上帝国の威容こそないものの、現在はNATO(北大西洋条約機構)加盟国である。「トロンプ」への攻撃は即、アメリカを含む西欧諸国のほとんどの軍を相手に戦うこととなる。中国はロシア同様相手が軍事的にも経済的にも国防に充分な備えがないと見るやためらわず侵略したり、植民地化を図る。フィリピンしかりベトナムしかりスリランカしかり日本の沖縄しかりである。しかし相手が自分らより強いと見るや、吠えるにとどまるしかない。

「トロンプ」は14日、長崎を出港、2年ごとに開催される史上最大の海軍合同演習RIMPAC2024(環太平洋合同演習)に参加するためハワイに向かった。

日土の固い絆のきっかけとなった「エルトゥールル号遭難」

 かたやトルコ海軍コルベット「クナルアダ」の寄港である。実はトルコの軍艦が訪日するのは初めてやない。9年前にもフリゲート「ゲディズ」が訪日しており、今回で5回目となる。その主目的は日土国交樹立100周年を祝しての訪日であり、停泊中は一般公開もされている。しかしトルコとの関係は100年前よりさらにさかのぼり、134年前に始まる。さすがにオランダとの425年には及ばんが134年前の1890年日土の固い絆が築かれるきっかけとなった事故が和歌山串本町(当時)沖で起こった。

 それが「エルトゥールル号遭難」である。

 1890年、当時のオスマン帝国のフリゲート・エルトゥールル号は明治天皇への叙勲も含めた親善訪日使節団を乗せイスタンブールを出港、11カ月かけ横浜港に到着、オスマン帝国初の親善訪問使節団として大歓迎を受けた。その帰路、和歌山県串本町沖で台風による強風と高波により、座礁沈没した。この事故で587名の乗員が亡くなったがその一報がもたらされた串本町民による文字通り命がけの救助活動により69名が助け出された。救助された乗員は帝国海軍の初代「金剛」と「比叡」でイスタンブールまで送り届けられた。その艦隊に「坂の上の雲」の主人公となり、日露戦争の天王山となった日本海海戦を勝利に導いた秋山真之が少尉候補生として乗り込んでいたのを因縁と感じるのは、不肖・宮嶋だけやろうか。

イラン・イラク戦争で日本人を救ってくれた

 トルコはそれから確固たる親日国家となり、ロシアを日露戦争で破った日本にさらなる親しみを覚えるようになり、1980年突如勃発したイラン・イラク戦争で日本人を救うことになる。

 イラン・イラク戦争でイラン首都テヘランに、邦人215名が取り残された。当時自衛隊機どころか自衛隊を海外に派遣する法令すらなく、日本政府は海外で唯一運航していた路線を持つ日本航空に邦人救出を依頼するも当然断わられ、途方に暮れていた。そこに「我々トルコ人はエルトゥールル号の恩を忘れていない」と救いの手を差し伸べてくれたのがテヘラン駐在のトルコ大使や、トルコ航空やったのである。かくして命がけのフライトになると承知でテヘラン空港に舞い降りたトルコ航空機で215名全員が脱出できたことはあまり知られていない。

 さらに、エルトゥールル号事故にはさらに後日談がある。1990年、イラクの独裁者サダム・フセイン大統領に率いられたイラク軍がお隣の産油国クウェートに突如侵攻して始まった湾岸戦争、それに対抗した多国籍軍の反撃を恐れ、フセイン大統領はイラクの首都バグダッドに駐在していた日本人商社マンらを人質として某所に監禁した。

 その救出にイラクに向かうと同時にバグダッドで歌や踊りやプロレスの興行まで打ち、失意の日本人商社マンとその家族をはげまそうと図った生前のアントニオ・猪木参議院議員(当時)らに経由地のイスタンブールまでチャーター機を手配し、実際向かったのもトルコ航空である。不肖・宮嶋もそのチャーター機に乗っており、機内では気勢を上げるため機内放送のマイクを使い、河内家菊水丸氏らの歌合戦が始まったが、飛び入りでそのチャーター機の機長もコックピットから歌合戦に参加してきたのにはびっくりしたのを昨夜のごとく覚えている。まあ結局は猪木氏らのご尽力のおかげというよりサダムの気まぐれで日本人に限らず、全国籍の人質が解放され、その後多国籍軍のイラク空爆が始まることになり、その禍根はイラク戦争まで尾を引くことになる。

日本のメディアではほとんど報道されなかった美談

 さらにや、なぜか日本で全然報道されんかった美談がある。1999年8月トルコ北西部でM7.4の地震が発生、最も被害の大きかった町の名をとり、イズミト地震と呼ばれ、死者約1万7000人、負傷約4万4000人、約60万人が家を失う大災害であった。日本政府はその4年前発生した阪神淡路大震災で被災した神戸市民のために使用していた仮設住宅500戸を被災地に送るべく神戸からイスタンブールまで海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」、掃海母艦「ぶんご」、補給艦「ときわ」を派遣した。不肖・宮嶋もその航海に、エジプト、アレキサンドリア港からイスタンブールまで同乗したが目的地のイスタンブールや被災地のイズミトでは大歓迎を受けたのはいうまでもないんやが、それを報じた日本のメディアはほとんどなく、同乗取材したのは不肖・宮嶋のほか防衛ホームの記者1人だけであった。この美談の裏には隠れた悲話もあった。海上自衛隊の艦艇が他国海軍に比べ、むちゃくちゃきれいなのはよく知られているが、この航海では神戸の仮設をコンパクトに折りたたみ500戸も積み込んだまでは良かったんやが、その500戸に自衛艦にはまったくいなかったはずのゴキブリが大量に潜んでいたのである。そのため航海中乗員はゴキブリ退治に追われるはめになったのである。

日本では串本のほか3都市にも寄港

 さて「クナルアダ」やが4月にイスタンブールを出港、4カ月かけ、親善と訓練を兼ね20カ国、24の都市に寄港するが、日本にはエルトゥールル号が遭難した串本やここ東京、さらに広島、呉と3都市にも寄港する。東京に寄港する途中のソマリア沖アデン湾ではジブチを拠点とし情報収集任務等で活動中の海上自衛隊P-3C哨戒機と親善訓練も行ったし、6月10日には串本市の「エルトゥールル号」慰霊碑前では日土協会総裁でもあられる三笠宮彬子様のご臨席を仰ぎ、岸本周平和歌山県知事、田嶋勝正串本町長、コルクット・ギュンゲン駐日大使やクナルアダのセルカン・ドアン艦長はじめ約130人の乗員も出席、慰霊碑に献花し、犠牲者を追悼した。

 東京でもこの親日国家トルコの新鋭艦の人気や関心は高く、不肖・宮嶋が取材した14日金曜日に行われた一般公開は午前10時から12時までの半日だけで740人が訪れた。

ウクライナに輸出される予定だった姉妹艦

 さてと、ここから先はちょいときな臭くなるが、じつはこのクナルアダ、ステルス性を備えた独特のシルエットが特徴の他、排水量2400トンのコルベットのこのどんがらで最高速31ノット(約57キロ)はまあ常識的なんやが、艦首に76ミリ速射砲、8基のトルコ国産ミサイルも含むハープーン対艦ミサイル、多連装短距離対空ミサイル発射機SeaRAM1基、連装魚雷発射管2機、さらに後部のヘリ格納庫には撮影は認められなかったがシーホーク1機、さらにさらに甲板四隅には前の大戦時のドイツ軍のMG42機関銃と同型のMG3機関銃まで備えられているとまあトップヘビーというかハリネズミ状態であった。このクナルアダと姉妹艦のアダ級コルベットをトルコはウクライナに輸出する予定で建造も進んでいたが、ロシア軍によるウクライナ侵攻でストップしたまま。

 もし、このアダ級コルベットがウクライナ軍の艦艇として黒海に配備されていたなら、果たしてプーチンはウクライナ侵攻に踏み切ったか否か、まあ少なくとも黒海の戦況は大きく変わっていたかもしれん。それでもウクライナの前線ではトルコ製の攻撃型無人機「バイラクタル」が大きな戦果をあげ、ロシア軍の脅威となっている。そんなトルコもオランダ同様NATO加盟国、それながらロシアともうまく立ちまわっているのが現状である。

 しかし、現在の日本政府や自治体にはトルコやフィンランド、台湾などの親日国に信頼されるに足る資格や政策はあるのか。ロシアに堂々と立ち向かった明治政府の政治家や軍人が持っていた戦略や気概があるのだろうか?

撮影 宮嶋茂樹

(宮嶋 茂樹)

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