1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「三途の川が、はっきりと見えた」1日の食事は“イチゴ3粒”だけ…余命4ヶ月・森永卓郎(66)が苦悩した「がん治療」のリアル

文春オンライン / 2024年7月4日 11時0分

「三途の川が、はっきりと見えた」1日の食事は“イチゴ3粒”だけ…余命4ヶ月・森永卓郎(66)が苦悩した「がん治療」のリアル

森永卓郎さんが教えてくれた「がん治療」の大変さとは? 写真はイメージ ©getty

〈 「来春のサクラが咲くのを見ることはできない」経済アナリスト・森永卓郎(66)が「余命4ヶ月、ステージ4のがん」を受け入れるまで 〉から続く

「容体が急変したのは、その日の夜からだった。気持ちが悪くなり、モノが食べられなくなり、寝込んでしまった。その後、体調はどんどん悪化し、最悪の状態に陥ったのは、2日後の12月29日だった」…ステージ4のがん治療のため、抗がん剤治療を受けるも、薬との相性が悪かった森永卓郎さん。森永さんがそこで見た「死を予感した光景」とは? 新刊『 がん闘病日記 』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

抗がん剤で死にかける

 がんの治療は、摘出手術や放射線治療などもあるのだが、私の場合は、どこにがんがあるかわからないのだから、そもそも手術や放射線治療はできない。唯一の選択肢は、化学療法、つまり抗がん剤治療だった。

 抗がん剤は、がんの部位によって種類が分かれている。私の場合は、「ゲムシタビン」という抗がん剤と、「アブラキサン」という抗がん剤の2種類を同時に点滴することになった。

 主治医は「アブラキサンのほうが効果は高いが、副作用も大きいだろう」という話をしていた。ほぼ間違いなく髪の毛は抜けるし、吐き気を伴う可能性もある。そのほかにも、人によってさまざまな副作用が出てくるという。

 ただ、私は楽観的に構えていた。もともと髪の毛は薄くなっていて、ふだんから帽子をかぶっていたし、我慢強い性格なので、少々気持ち悪くなっても大丈夫だと思っていたのだ。

 抗がん剤の点滴を打つことになったのは、12月27日の水曜日だ。午前中、ニッポン放送の「垣花正 あなたとハッピー!」の生放送を終えて、そのまま電車で病院に直行した。

 点滴を打つ部屋には、ずらりとリクライニングシートが並んでいて、7~8人の患者が抗がん剤の点滴を受けていた。苦しそうな表情を浮かべている患者は一人もおらず、私も軽い気持ちで点滴を始めた。案の定、体になんの変化もなく、「なんだ、簡単じゃないか」というのが、そのときの気分だった。

 容体が急変したのは、その日の夜からだった。

 気持ちが悪くなり、モノが食べられなくなり、寝込んでしまった。その後、体調は

どんどん悪化し、最悪の状態に陥ったのは、2日後の12月29日だった。

 このときは、1日でイチゴを3粒しか食べられなくなり、意識も朦朧としてきた。はた目にも、私の具合が相当悪いことは、はっきりわかったようで、妻は2人の息子を呼び寄せた。

 当時のことを長男の康平は、「情報ライブ ミヤネ屋」で次のように語っている。

 母親に呼ばれて私と弟も家に帰りまして、父親を見たらぐったりしていて、かろうじて会話はできるんですけど、本当に体調が悪かったんだと思うんですよね。3日ぐらいイチゴ2~3粒ぐらいしか食べてないと母親から聞いていたので、このままだと、がんがどうこうより餓死しちゃう可能性もあるので……。

 父親はすごく頑固なので、「入院しろ」と言っても、しないだろうなと思ったら、父親が自分から支度を始めたので、たぶんそれくらい体調が悪いんだろうなと思いました。

 康平の見立てのとおり、このときははっきりと「死」を意識した。三途の川が、はっきりと見えたのだ。

 念のために書いておくと、抗がん剤がいけないと言っているのではない。大部分の人は、すい臓がん用の抗がん剤を打って気分が悪くなることはあっても、それが原因で生死の境をさまようようなことはない。要は、抗がん剤が私には合わなかったのだ。

 朦朧とする意識のなかで、なぜ私が入院・治療を選択したのか。正直言って、そのとき頭のなかにあったのは、「何がなんでも新著を完成させて、世に問いたい」という思いだけだった。新著とは、その後、『書いてはいけない』と題して出版され、ベストセラーになった書籍だ。

 夏ごろに書き始めて、本来は、年内に脱稿する予定だった。ところが予定外のがん宣告を受け、検査が重なったことで、最後の1割、結論部分が書き終わっていなかった。

 なんとかしようと考えたのだが、抗がん剤を打ってから思考能力が落ちていたので、頭のなかで文章化することさえできなかった。

弱った体を元気に蘇らせる新薬

 そこにひとつの情報が飛び込んできた。弱った体を元気に蘇らせる新薬があるというのだ。保険診療の対象とはなっていない点滴薬だが、妻と私のマネージャーが、薬の担当者の話を聞いて、「信ぴょう性があるのでは」ということになった。残念ながら、薬を提供するクリニックのほうから「患者が殺到すると対応ができない」という理由で、新薬の名前を明らかにすることはできないのだが、私は可能性に賭けてみることにした。

 これが「当たり」だった。たまたま私の体に合っていたのだと思うが、夕方に点滴を受けて、翌朝には、思考能力が戻り、ふつうに会話ができるようになった。

 もちろん、新薬は「気付け薬」のようなもので、抗がん剤ではないから、がんの治療に直接つながるものではないのだが、この新薬で一命をとりとめたことは事実だった。

 そして、その1週間後から、私は東京の総合病院に2週間の入院をすることになった。がん治療のためではない。治療ができるように、まず体力を取り戻すためだ。

免疫量はふつうの人の5分の1に

 実際、私の体はボロボロだった。入院当初は、車椅子で移動していた。そして、血液検査の結果、私の免疫量は、ふつうの人の5分の1くらいに落ちていた。とても危険な状態だ。そんな状態で新型コロナなどの感染症にかかったらイチコロだ。だから、とりあえず隔離して、体調を戻す必要があったのだ。

 それまでの人生で、私は入院したことがなかった。治療の準備で、一晩だけ入院したことはあったが、それ以外、医師から入院を勧められても、全部拒否してきた。

 そもそもあれこれ拘束されるのが大嫌いなうえに、食事の選択肢もなくなり、好きなたばこも絶対に吸えない。そんな生活は耐えられない。

 ただ、このときは命がかかっているから「2週間だけ」という条件で、入院をすることにしたのだ。

(森永 卓郎/Webオリジナル(外部転載))

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください