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描いた絵コンテは数百枚――成蹊高校映画研究部2年で初の8ミリ作品『FANTASTIC★PARTY』で手塚眞監督が経験したこと

文春オンライン / 2024年8月2日 6時0分

描いた絵コンテは数百枚――成蹊高校映画研究部2年で初の8ミリ作品『FANTASTIC★PARTY』で手塚眞監督が経験したこと

©藍河兼一

 いま日本映画界を第一線で支える映画監督たちには、8ミリ映画を自主製作し、才能を見出され、商業映画にデビューした者たちが少なくない。

 そんな日本映画界の「青春時代」を、自身も自主映画出身監督である小中和哉氏が聞き手として振り返る映画ファン必読のインタビューシリーズ第3弾は、『ばるぼら』などの商業映画からアートフィルムまで多岐に活躍するヴィジュアリスト、手塚眞監督。(全4回の1回目/ #2 、 #3 、 #4 を読む)。 

◆◆◆

 ヴィジュアリストとして商業映画からアートフィルムまで幅広く活躍する手塚眞監督は、僕にとっては、高校の映画研究部の一つ上の先輩。当時小学生の時から大ファンだった手塚治虫さんの息子さんと同じクラブになったことに驚いたが、眞さんの天才的な映画作りにも驚かされ、自主映画から商業作品へ進む姿に大きな影響を受けてきた。共に過ごした8ミリ時代を振り返りつつ、手塚監督のユニークな映画観を語っていただいた。

てづか まこと 1961年東京生まれ。父は漫画家・手塚治虫。成蹊高校在学中に8ミリで映画製作を始め、大島渚監督を初めとする映画人の高い評価を得る。日大芸術学部在籍中から映画、テレビ、ビデオを初めとする様々なメディアで活躍。映画を中心としながら、小説やデジタル・ソフト、イベントやCDのプロデュースも手掛け、先進的な内容やスタイルが注目されている。主な作品に『星くず兄弟の伝説』『妖怪天国』『白痴』『ブラックキス』『ばるぼら』など。

成蹊高校映画研究部で初の8ミリ作品を製作

―― 手塚さんが成蹊高校映画研究部に入部した時、どのような印象を持ちましたか?

手塚 まず先輩がしっかりしていたということですね。社会派のドラマも作っていたし、脚本の段階から討議して、すごく真面目に作っているんだなという印象があった。僕は一緒に入った仲間とテレビの『空飛ぶモンティ・パイソン』みたいなくだらないのを作ろうと思っていたんだけど、そんなこと言っていられないなと。

―― 手塚さんが1年の時に監督したのは寺田敏雄(注1)さんですね。

手塚 僕の1つ上の代がいなくて、その上の3年生です。本当にしっかりと映画を作っていた人たちで、今でも寺田さんは脚本家として仕事をされていると思います。

―― 手塚さんが2年になって新入生として映研に入ってきたのが僕たちです。文化祭映画を手塚さんが監督で作りました。 

手塚 小中さんも知っている通り、この映研はみんなで脚本を出し合うんですね。それをお互いが読んで、意見を交わして、一番みんなが望むものを一つ選んで作る。

―― 非常に民主的というか、合議制で決めていく。

手塚 そうですね。高校のクラブ活動ですから、大学の映研とはちょっと違うのかなと思いますけど。

―― 1年生の僕らも投票して手塚さんの『FANTASTIC★PARTY』に決まりました。

手塚 1年生の意見もちゃんと聞いて、それで納得できる意見は全部取り入れて作るという感じですね。

―― 「ヒマヒマクラブ」というサークルの少年たちと、マドンナ、吸血鬼を自称する青年、自殺癖の少女などが巻き起こす騒動を描いた物語でした。僕が覚えているのは、幽霊のキャラクターが変わったことです。

手塚 そうなんです。途中で幽霊が出てきて、実は幽霊じゃなくて妖精だったという話になっています。でも元の脚本では最後まで幽霊なんです。けれど、同じ話の中で自殺願望のある女の子が出てきてそれをみんなで止めようとしているのに、幽霊が現れると辻褄が合わないんじゃないかという意見があって。

―― 「死んじゃいけない」という話をやっているのに、死んだらかわいい幽霊になれるなら説得力がない、みたいな意見でしたね。そういう議論をしながら作る映研でした。

手塚 僕は良し悪しだと思いましたけどね。高校生なんだから、もっと自由に作りたいようにやっていいんじゃないかと。ただ、多くの人が集まってみんなで意見を言い合って作る共同作業は学べることがあるかなとは思いました。

全カットの絵コンテを描いた1冊だけのノート

―― 映研の中でキャスティングされましたが、イメージ通りでしたか?

手塚 役に1人ずつ当てはめていくと、1人どうしても足りなかった。それで同期の人たちが「手塚、お前、自分でやれよ」という話になったんです。僕は監督に専念したかったけれど。

―― ちょっと理屈っぽくてひねくれたキャラクターだけど、手塚さんがやってかわいらしくなったと思いました。

手塚 同じことがその後もう一回あって。僕が初めて商業映画に俳優として出演した『ねらわれた学園』という大林宣彦監督の映画です。台本が送られてきて読んだら、同じようにガリ勉でちょっと嫌な役なんですよ。こちらは敵役で、本当に嫌なやつなんですね。どうしようかなと思って、映画仲間に相談したんです。そうしたら「これは普通の俳優がやると本当に嫌な役になっちゃうけど、手塚がやると愛される感じになるからやったほうがいい」と言われたんですよね。

―― まさにそう見えました。大林監督のあの世界観の中では、きっとそれが一番よかったと思います。僕も『FANTASTIC★PARTY』ではヒマヒマクラブのメンバーの1人で、発明家の役で出させてもらいました。当時から手塚さんは絵コンテを描いていましたね。

手塚 はい。ここに絵コンテがありますけれども。普通のノートにこうやって全カット描いて。台本はガリ版を刷って作るんだけど、当時はコピーとかないので、絵コンテは本当にこの1冊があるだけなんですよ。

―― みんなで回し読みしました。

手塚 これを現場でみんなに見せて、こうだとやっていく。アクションつなぎとかも丁寧に絵コンテに描いています。(絵コンテを示し)これは利重剛(当時は笹平剛)(注2)さんが屋上から落ちてしまうアクションシーンです。結構細かいカットの積み重ねなんですよ。本当に1秒に満たないようなカットを、こういうふうに撮っておけば後でつなぐと高いところから落っこちるように見える。

―― 自殺しようとする女の子を助けようとして自分が落ちてしまう場面。

手塚 そうです。本当に数秒なんだけど、その数秒をかなり綿密に割ってますよね。これは僕の癖なんだけど、一つのアクションの中に別の人間のアクションを放り込むんです。普通は1人のアクションを追っていくんですよ。だけど、1人のアクションの途中に別のアクションを挟むんですね。最近でもそういうことしています。

―― こういう時に試してみて、それが自分の思っている感じになったから、自分の演出になっている。

手塚 上映時間が50分あったので、数百カットの絵コンテを作りました。この処女作でずいぶん勉強しました。

―― 普通には撮れない場面も、絵コンテにすると、1カットずつ撮り方を検証できる。

手塚 家全体が空に浮いていくとか、そんなのどう撮ればいいんだという感じだけど、そこをコンテで「こうだよ」と説明すると、「なるほど」と分かってもらえる。

文化祭上映では教師まで並ぶ長蛇の列ができた

―― 家が浮いているシーンは大胆に2重露出でやってましたね。どうやって撮っているかはバレバレだけど、そういう画面があるから、ちゃんとそのイメージが伝わります。

手塚 空に浮いている家はミニチュアで、追いかける人と別々に撮って編集することは誰でも考える。一つの画面の中に入れようと思うと合成になるじゃないですか。でもこれが入るか入らないかで面白さが変わってくると思うんです。

―― 全然違いますよね。

手塚 それが映画というものなんだと、その時うっすらと思っていたんですね。だから、技術的には下手なんだけど、それを入れたいという気持ちが強かった。

―― 完成した作品を見て、どう感じましたか? 

手塚 やっぱり1本目なので、全然思ったようにいかなくて。好きなシーンもあるんですけど、トータルとしてやっぱりぎこちないし、人に見せたくないな、ぐらいに思ってました。

―― でも文化祭で上映して、大きな反響がありました。

手塚 2日間で6回上映したんですけれど、最初はそんなにたくさん来なくて、知り合いが見に来たんですね。だけども、笑わせるところでは笑っているし、脅かすところには驚いているし、終わった後、みんながワーッと拍手してくれたんです。思っている以上にいい反応だったので嬉しくなったんですけど、2回目、3回目と回を重ねるごとにお客が増えていく。

 2日間で倍々ぐらいに増えていって、最終回の上映は入りきらなかったんですね。外まで長蛇の列で先生とかも並んでいるんです。「先生、どうしたんですか?」と言ったら、「これが面白いと聞いたので見に来たんだけど」とか言われて。ビックリしたと同時に、ちょっと自信がつきましたね。

 これで学んだのは、お客さんはまた別の視点で見ているし、自分で駄目だと思っても、それがイコールその映画が駄目ということじゃないなということ。それ以来、映画って見せないと完成しないと思うようになった。最初の1本でいろんな思いができてよかったと思います。

注1 寺田敏雄(脚本家)代表作:テレビシリーズ「交渉人」「ドクターX~外科医・大門未知子~」 映画『グッバイ・ママ』

注2 利重剛 映画監督、俳優。成蹊高校映画研究部で小中と同期。『教訓Ⅰ』(1980)でPFF入選。代表作:『BeRLiN』『クロエ』『さよならドビュッシー』

<聞き手>こなか かずや 1963年三重県生まれ。映画監督。小学生の頃から8ミリカメラを廻し始め、数多くの自主映画を撮る。成蹊高校映画研究部、立教大学SPPなどでの自主映画製作を経て、1986年『星空のむこうの国』で商業映画デビュー。

1997年、『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』でウルトラシリーズ初監督。以降、監督・特技監督として映画・テレビシリーズ両方でウルトラシリーズに深く関わる。特撮、アニメーション、ドキュメンタリー、TVドラマ、劇映画で幅広く活動中。

主な監督作品に、『四月怪談』(1988)、『なぞの転校生』(1998)、『ULTRAMAN』(2004)、『東京少女』(2008)、『VAMP』 (2019)、『Single8』 (2022)、『劇場版シルバニアファミリー フレアからのおくりもの』(2023)など。

〈 「『ジョーズ』の一番怖いシーンは?」手塚眞監督(62)がスピルバーグの名作から学んだ“恐怖の演出術”《死んだ漁師さんの顔が…》 〉へ続く

(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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