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全学連を指揮した若きカリスマ その生き方が胸に沁みる――亀和田武「テレビ健康診断」

文春オンライン / 2024年7月6日 7時0分

全学連を指揮した若きカリスマ その生き方が胸に沁みる――亀和田武「テレビ健康診断」

©文藝春秋

 ドキュメンタリー『映像の世紀バタフライエフェクト』を観る。この日は「安保闘争 燃え盛った政治の季節」の映像が流れた。

 岸信介が首相になり、日米安保条約の改定を強行しようとし、国民の広汎な反対がおきた一九六〇年。

 反対闘争の先頭に立ったのが全学連(全日本学生自治会総連合)だった。五九年六月の全学連大会。北海道大学の唐牛(かろうじ)健太郎が委員長に選ばれた。

 ナレーションは「飾らない性格と人懐っこさで誰からも好かれる男だ」と唐牛を紹介し“全学連のカリスマ”とまで呼んだ。唐牛は記者会見で「平均年齢二〇・五歳の全学連が、天真爛漫にストライキをもって闘いたいと思います」と爽やかに語ってみせた。

 学生はもとより、多くの市民が(何かが変わった)と感じた。それまでは東大のいかにもインテリ顔した若者が指導者だった全学連の新しいトップは、街の兄(あん)ちゃんと同じ愛敬があった。

 六〇年四月二六日。全学連六千人のデモ隊は、国会前で機動隊と対峙する。国会前にズラッと並ぶ装甲車の上に飛び乗った唐牛は、この装甲車を乗り越えて国会に突入しようと演説し、自ら先頭で飛び降りた。

 日本共産党を除く、多くの日本人は全学連と唐牛にますます好感を抱く。番組には登場しないが、戦前の武装共産党の委員長で、その後、転向してからは右翼、フィクサーと呼ばれた田中清玄もその一人だ。

 彼は「文藝春秋」で全学連へのエールを贈り、唐牛たちにも会いたいと告げる。このときの担当編集者が、入社間もない桐島洋子だ。

 自伝エッセイで、桐島は書く。ともかく誰もが唐牛に恋をしているの、と。清玄もオマエら、金がないだろといって何百万円という資金を提供したという。

 ラストには七一年のNHKドキュメンタリーの映像が流れた。北の海でアザラシ漁をする小さな船に「かつて英雄と呼ばれたあの男が乗っていた」。三四歳。コック長、兼雑役。

「なんでこの船に乗った?」と訊かれて「ん? 何でったってしょうがねえな」と日焼けした顔で答える。

 六〇年安保ブントの多くは大学に戻り、教官となった。親しかった西部邁は記す。「唐牛の物語は六〇年安保の全学連委員長という十字架のうえに刻まれていた」「唐牛は委員長にふさわしい生き方を追い求めていた」

 天才少年ランボーが詩作を放棄し、砂漠の奴隷商人になった逸話と重なる。「無頼になり切るには知的にすぎ、知的になり切るには無頼にすぎるという二律背反に挟撃されている。それが唐牛の実相である」(西部)

 知性も無頼も欠き、上昇志向と偽善で世渡りしてきた二人の政治屋が都知事選を競ういまだからこそ、胸に沁みる番組だった。

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『映像の世紀バタフライエフェクト』
NHK総合 月 22:00~
https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/

(亀和田 武/週刊文春 2024年7月11日号)

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