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27歳・9浪めでついに早稲田大に合格 濱井正吾(33)「学歴コンプレックスを克服した」はずが、まさかの“10浪目”に突入した意外な理由とは

文春オンライン / 2024年7月14日 11時0分

27歳・9浪めでついに早稲田大に合格 濱井正吾(33)「学歴コンプレックスを克服した」はずが、まさかの“10浪目”に突入した意外な理由とは

©志水隆/文藝春秋

〈 「本気で言うてんの? みんな働いてんねんで」5浪目に突入した息子(33)に年収180万家庭の母親が言い放った一言《地方×底辺校×貧困家庭の三重苦》 〉から続く

「9浪はまい」こと濱井正吾氏(33)は、27歳・9浪めで念願の早稲田大学教育学部に合格。「学歴コンプレックスは完全に解消した」と笑顔で語る濱井氏だが、昨年から大学院入試のため、またもや“浪人”生活に入っている。

 さらに学歴を重ねようとする彼は、何を目指しているのか。本人に話を聞いた。(全3本の3本目/ 1本目を読む )

◆◆◆ 

9浪めは「人間として完全にヤバい領域に踏み込んでいました」

――8浪めは、6大学11学部を受けて全落ち。もう受験をやめようと思いませんでしたか?

濱井 気分はどん底でしたが、数字を見ると学力がついてきた実感がありました。センター試験の7科目の得点率は、6浪め39%、7浪め49%、8浪め58%と確実に上がっていて、文系3科目だけで見ると、8浪めは72%だったんです。

――文系科目で受験できる私大ならば、かなり現実的な数字に?

濱井 はい。72%という数字を信じれば、同志社や明治に手が届く気がしました。そこで9浪めは京都の予備校に入り、下宿を借りました。ただ勉強のためとはいえ、ひとり暮らしを始めたことで、人間として完全にヤバい領域に踏み込んでいました。

――「ヤバい領域」とは? 

濱井 9浪スタート時は貯金残高が150万だったので、限界まで節約しました。家賃1万2000円で4畳のアパートに住み、もちろんエアコンはなし。でも京都の夏は暑すぎて寝られないので、布団に水をまいたら畳がダメになり、3万払いました。

――判断力も失っている感じがします。

濱井 1日に15時間ぐらい勉強していたので、顔の表情も無くなるんです。ドライアイで目が血走り、歯医者も行けないので虫歯は神経に達していました。夏までは予備校に行く交通費も惜しくて、参考書を読みつつ2時間かけて徒歩通学。しかも、服は洗濯しなくてもバレにくいと思って、毎日スーツでした。絶対に臭かったと思います。

――でも、当時はわかっていなかった? 

濱井 他人の目は構っていられませんでした。「また落ちるかも」という不安だけでなく「お金が尽きるかも」という恐怖心もあったんです。

 そんな最悪の9浪めでしたが、京都の予備校に変えたのは大正解でした。ここで私は英語の「構文」を初めて理解しました。それまでは、単語を暗記すれば英文を読めると勘違いしていたので、勉強のやり方がやはりおかしかったんです。赤本もやり込み、早稲田の過去問だけで複数の学部を合わせて国語60年、英語60年、日本史は80年分解きました。

27歳で9浪め、6大学12学部を受験しついに…

――そして27歳で9浪めの受験ですね。

濱井 9浪めはセンター3科目で73%を取り、立命館、同志社、明治、立教、慶応、早稲田の6大学12学部を受け、ついに合格を4つもらいました。

2018年 9浪めの受験結果

センター試験 73%(3科目 英語135〈リスニング18〉、国語148、日本史85)

〇 立命館大学 文学部 東アジア研究学域

 全学統一方式

× 立命館大学 文学部 東アジア研究学域

 全学統一方式

〇 同志社大学 文学部 国文学科

 全学部日程

〇 同志社大学 文学部 国文学科

 個別学部日程

× 同志社大学 文化情報学部

 個別学部日程

〇 同志社大学 社会学部 産業関係学科

 個別学部日程

× 明治大学 文学部 国文学科

× 立教大学 文学部 史学科

× 慶應義塾大学 文学部

× 早稲田大学 文化構想学部

× 早稲田大学 文学部

× 早稲田大学 スポーツ科学部

× 早稲田大学 人間科学部 健康福祉科学科

〇 早稲田大学 教育学部 国語国文学科

 合格したのは立命館大学文学部、同志社大学文学部と社会学部、そして早稲田大学教育学部国語国文学科です。第一志望だった早稲田は、文学部やスポーツ科学部など5学部受けましたが、合格したのは教育学部だけでした。

──その瞬間の気持ちは?

濱井 電話で合格を知りましたが、実感がわきませんでした。浪人生活が長すぎて「落ちて当然、人生報われない」という思考回路になっていたんです。だから、合格したという状況が呑み込めなかったんだと思います。

――周囲の人は喜んでくれましたか?

濱井 実は、祝福してくれる人ばかりではありませんでした。実家に戻って意気揚々と合格を報告したら、親戚に「そりゃ早稲田5学部も受けたら、いっこくらい受かるやろ」と鼻で笑われるように言われて。

――早稲田に合格したのに。

濱井 「すごいと思われるはず」と自分でも勝手に期待していたんですが、周りの人間はそんなに変わりませんでした。

「母も私の学費のためにパートを掛け持ちして働いてくれていました。それなのに…」

――27歳で憧れの早稲田大学へ入学。入学金や学費などの工面はどうしたのですか。

濱井 アルバイトに加え、給付型奨学金と親からの援助です。父に合格を報告したら「おまえ天才やな」と喜んでくれたので「実は相談が……」と。初年度の学費120万弱は、父の退職金を使わせてもらいました。

――喜んでくれたのですね。

濱井 その父は、私が早稲田2年のときに亡くなりました。10歳のときに倒れてからも苦労をかけ続けて、親孝行できるタイミングが訪れる前に他界してしまったのは、本当に心残りです。

 後で知ったのですが、母も私の学費のためにパートを掛け持ちして働いてくれていました。それなのに、私は母とろくに話さない状態が何年も続きました。本当に最低の人間だったと思います。

――今は少し関係は落ち着いたのですか?

濱井 だいぶ普通に話せるようになりました。特に母には「あんな高校でイジメを受けたのも母のせいだ」という逆恨みを募らせたのが申し訳なくて、謝りました。9浪の後半数年はずっと冷戦だったのに、陰で応援してくれたことには感謝しかありません。

――濱井さんの根深い学歴コンプレックスは、早稲田に入ったことで解消しましたか?

濱井 そうですね。完全に解消したと思います。それに実力合格もうれしかったですが、入学後は感動することが多くありました。

 早稲田は「苦節〇年の多浪」で入った人や留年者も多いので、学生の年齢層が広いんですよ。だから私のような27歳の大学1年生がいても、誰も否定しない。現役合格の同級生に「9浪で合格したんだ」と話すと、「そんな長い間、めげずによく頑張ったね」と言われました。それまで私の周囲には、勉強することや浪人をバカにする人しかいなかったので驚きました。

――反応が全く違った。

濱井 早稲田のキャンパスに立っただけで「27歳の自分もいろんなことができそうだ」とワクワクしたんです。9年間頑張ってよかったと心から思えました。

早稲田で初めて味わった「承認欲求が満たされる感覚」

――浪人専門家「9浪はまい」としての活動は、早稲田大学のときに始めたのでしょうか。

濱井 バンカラジオという、早稲田の学生がつくるYouTubeに出たのがきっかけです。そこで「9浪」が人に与えるインパクトを知りました(笑)。

 あと、自分の失敗勉強法なども含め、これまでの努力をわかってもらえるのがとてもうれしくて。承認欲求が満たされる感覚を初めて味わって、やみつきになりました。

――話を聞いてもらえる、という感じでしょうか。

濱井 まさにそうです。早稲田には、小さい頃から「勉強を頑張ろう」「努力はいいこと」という環境にいた人が多い。私は正反対の環境で「勉強するのはカッコ悪い」という人たちに囲まれていたので、早稲田に入ってようやく自分が正しかったとわかり、救われました。

 Xでも発信を始めたら「自分は機能不全家族で進学を諦めた」「勉強は大事と気づくのが遅かった」など、似た環境で育った方から連絡をもらうことが増えました。私も大学進学はまったく視野になかったのが、偶然とラッキーが重なり早稲田に入った。だから、地方で教育格差に苦しむ人を見過ごせないんです。

――でも、濱井さんのXは自虐や学歴厨ネタも多く、ひろゆき氏に「はまいは『早稲田に受かった俺すごい』だけ。話が高校生レベル」と言われたことも。ご自身ではどう思っていますか? 

濱井 悔しいですがおっしゃる通りです。私はまだ教育学部を出ただけで、教育格差や貧困家庭について発信しても、説得力がないのはわかっています。だからこそ、大学院でもっと勉強したいと思っているんです。

――まだ受験は続く。

濱井 はい。教育格差と社会について本格的に研究したいと思い、大学院を目指すことにしました。ちゃんと勉強して社会的信用がつけば、できることも増える。昨年は東大大学院の教育学研究科を受けて、一次の筆記は通過しましたが、二次面接で惨敗しました。今年こそ合格を目指し、東大以外に一橋や早稲田の院も受けるつもりで、今は研究計画書を作成中です。

――さらに学歴の高みを目指すんですね。濱井さんの最終目標は何でしょうか。 

濱井 「生まれた環境で人生が決まってしまう」という状況を撲滅したいんです。そこが、自分が一番憤りを感じて悔しかったところなので。幸い私は抜け出すことができましたが、この社会にはまだ同じような人が大勢いる。その人たちが、自分の頑張り次第で人生の行き先を選べる世の中に変えたいと思います。

「東京に行くなんて、私立に行くなんてありえない」という呪縛

――かつての濱井さんと同じような子どもがいたら、どんな言葉をかけますか。

濱井 ……たぶん、私が何か言うよりも、相手の話を聞くと思います。その子にとって私は“よく知らない大人”のひとりだと思うんですよ。だから、まず対等な関係で話を聞くことで「この人はもしかすると、周りの大人とは違うかも」と思ってもらいたい。

 早稲田の4年時に教育実習で地元丹波の中学校に行ったとき、子どもにどこの大学か聞かれたんですね。「東京の早稲田大学です」と答えたとき、私は内心「すごい」という言葉を期待していました。でも返ってきたのは「お金、大丈夫ですか?」でした。それがいまだに忘れられません。

――今も丹波には「東京の私大に通うとお金がかかるから自分には無理だ」と思う子がいる。

濱井 その子には、おそらく周りの環境が「東京に行くなんて、私立に行くなんてありえない」という呪縛をかけているのではと思いました。その子との会話がそこで終わってしまったのがひっかかっていて。もう一度会えたら「諦めることはないよ、こんな自分でも早稲田に行けたんだから。僕はやり方が下手で9年もかかったけど、君たちはもっとスマートに夢を叶えられるはずだよ」と伝えたいです。

(前島 環夏,濱井 正吾)

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