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「人付き合いが苦手」でも「他者とつながりたい」… 苦しみながらも手を伸ばす内気な女性が与えてくれる”勇気”

文春オンライン / 2024年7月21日 17時0分

「人付き合いが苦手」でも「他者とつながりたい」… 苦しみながらも手を伸ばす内気な女性が与えてくれる”勇気”

たびたび死を妄想するフラン。『スター・ウォーズ』シリーズのデイジー・リドリーが主演とプロデュースを務めた ©2023 HTBH, LLC ALL RIGHTS RESERVED.

『時々、私は考える』が心に残る温かい映画だった。原題は「Sometimes I Think About Dying」。「Dying」、つまり時々私は「死について」考える、というタイトルだ。『時々、私は死について考える』という邦題だったらぎょっとしていたかもしれないが、強い言葉を省略した形で名付けられたこの邦題は映画の雰囲気をとてもよく表している。

 日常の中で「私もいつか死ぬのか」と思い出し、途方もない気持ちになることはあっても、自分が死んでいる状況について積極的に想像する時間は、ほとんど持ったことがない。だからたびたび、自分の死について考えてしまう主人公フランのことが、当初とても不思議に思えた。私にはない感覚だった。

明るさが伴う死への空想

 フランが想像する死は、まったく暗いものではない。新しい朝を迎えるとき、同僚たちの雑談にうまくなじめない仕事中、電子レンジの温めを待っている最中。彼女はたびたび空想の世界に逃げ込む。

 自分しか存在しない、安全な想像の世界で、自分が死体となって横たわる姿を妄想している。そこには明るさが伴っていた。幻想的でダイナミックな音楽と、美しい画面構成によってフランの想像は魅力的なものとして描かれる。

 死について考える行為は、自分を殺そうとする暗さからくるものではないようだ。突然やってくる豊かな空想のシーンは、彼女の個性として魅力的に映り、惹かれていくのがわかった。

同僚とも家族とも積極的には交流しない

 舞台はオレゴン州アストリア。静けさの漂う港町だ。フランは、この町で暮らし、働いている。

 事務の仕事に就いており、人付き合いが苦手で不器用な性格の彼女には友達や恋人はおらず、職場でも同僚と積極的には話さない。仕事が終わると真っ直ぐ家に帰り、静かな時間を過ごしている。

 フランは作中でも自己開示をほとんどしないので、観客も彼女について推測するしかない部分がある。

 たとえば夜、彼女の母親から電話がかかってくるシーンがあるが、フランはその電話をとらない。とろうとしなかったのか、ちょうど取り組んでいた数独に夢中で気づかなかったのか、定かではないが、家族とも積極的な交流をしていないことがシーンから伝わる。

他者との関わりがきっと分からないだけ

 フランは徐々に、私の中で応援したい存在になっていった。人との交流が極端に少ないフランだが、他人を拒絶しているわけではないというのが分かってきたからだ。

 それはたとえば、定年退職を迎えた同僚キャロルに対してメッセージを送るとき。あれこれと思い出を振り返るけれど、気の利いた言葉は出てこない。当たり障りのない「定年退職おめでとう」の言葉が、フランの精一杯だ。

 彼女を見送る会でも、フランは所在なさげだった。他の同僚の明るい振る舞いを、彼女は少し離れた場所から見ている。ケーキを受け取り、その場を立ち去っても問題ない雰囲気になったところで、彼女は自分の席に戻るのだった。

 もしも同僚に対して本当にうんざりしていたら、きっぱりと関わらないこともできるはず。しかしそういった流れにささやかながらも関わろうとしている姿から、フランは本当は他者との関わりを望んでいるように見えた。きっと、分からないだけなのだ。

「死」を思うこと=「生」を考えているということ

 そのことに気づいたとき、フランの死の空想の理由が、分かるような気がした。死について考えることは、裏返せば、本当はこの現実と上手くやりたいと思っている、ということでもある。

 一人で過ごし、空想の世界に浸ることは、自分を安全地帯に押し込むこと。自分とは異なる価値観を持つ他者との関わりには、痛みや軋轢が伴う。他者とのつながりには、その痛みはきっと必要なものなのだけれど、フランは勇気が出ない。

 孤独や寂しさを感じたときに、フランは空想の世界に逃げてしまう。安心な空想の世界に。自分から最も遠い「死」を思うことは、「生」について考えているということでもあるのだ。他人と関わることがなければ傷つくことはないけれど、それでもフランは他者とのつながりを望んでいるように見えた。

授業中、教室の窓越しに想像していた世界

 私も昔よく妄想をした。たとえばそれは、高校の数学や物理の授業中だった。

 一年生で文理選択に失敗し、自分の進路を文系に定めたときには、選択した理系のカリキュラムを変更できなくなっていた。受験には関係なくても数学の授業は週に8コマあり、理科系の授業も3コマあったのだが、私はそれらの教科にほとんど興味が持てなくなってしまった。

 窓の外には山が見えて、トンビが鳴きながら高いところを旋回している。夏でも吹き抜ける風が気持ちよかった。見える山々の向こうにある町のことや、トンビから見える世界のこと、まだ行ったことのない町や国のことをたびたび想像した。

 空想はどんどん広がっていく。先生の声ではっと授業に意識を戻すまで、心地よく想像の世界の中を飛びまわった。それこそ、あのトンビみたいに。

 電子レンジが鳴るのを待つわずかな時間で、フランも森の奥に意識を飛ばす。あの頃の自分の想像と重なりあって、なんだか懐かしく嬉しかった。

想像が形になったときの喜びを知ると…

 今はほとんど妄想をしない。妄想ではなく、どうしたら私の頭の中にあるものが短歌や、エッセイや、小説になるかを考えている。閉じた妄想の世界の中でたゆたうのも気持ちよかったけれど、それを形にすることはもっと楽しい。

 苦しさや大変さももちろんあるけれど、想像が形になったときの喜びを知ってから、私は妄想の世界に逃げ込むことはなくなった。

悲しみや不安から目を逸らさず、誤魔化さず

『時々、私は考える』は、フランの変化をゆっくり描く。安全地帯から出ようとするとき、痛みや刺激はつきものだ。フランは悲しみや不安から目を逸らさず、誤魔化したりせず、まっすぐに受け止めようとする。その向き合いの姿勢が素晴らしかった。

 自分一人の寂しく愛しい世界から、他者とのつながりに向かって苦しみながらも手を伸ばすフランに、きっと勇気がもらえる。

 

『時々、私は考える』
STORY

 人付き合いが苦手で不器用なフランは、会社と自宅を往復するだけの静かで平凡な日々を送っている。友達も恋人もおらず、唯一の楽しみといえば空想にふけること。それもちょっと変わった幻想的な“死”の空想。
 そんな彼女の生活は、フレンドリーな新しい同僚ロバートとのささやかな交流をきっかけに、ゆっくりときらめき始める。順調にデートを重ねる二人だが、フランの心の足かせは外れないままで…。

STAFF&CAST
プロデュース・出演:デイジー・リドリー/監督:レイチェル・ランバート/出演:デイヴ・メルヘジ、パーヴェシュ・チーナ、マルシア・デボニス/2023年/アメリカ/93分/配給:樂舎/7 月 26 日公開

(岡本 真帆/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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