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あの時、なぜうつ病の妻を追い込んでしまったのか…「記憶を失くすほどの痛みや傷を与えてきた」男性が“モラハラ夫”になってしまったワケ

文春オンライン / 2024年7月13日 11時0分

あの時、なぜうつ病の妻を追い込んでしまったのか…「記憶を失くすほどの痛みや傷を与えてきた」男性が“モラハラ夫”になってしまったワケ

中川瑛さん 本人提供

「あなたのために、よかれと思って」していたことが、妻への“加害”だったと気づいた中川瑛さん。妻との関係を改善した後に、かつての自分と同じ加害者が変わるための支援をする自助団体「 G.A.D.H.A(ガドハ) 」を立ち上げ、“モラハラ”加害者の変容を描いたコミック『 99%離婚 モラハラ夫は変わるのか 』(KADOKAWA)では、原作者を務めている。

 この記事はノンフィクションライター・旦木瑞穂さんの取材による、中川さんの半生と「トラウマ」、そして中川さんに起きた変化についてのインタビューだ。

 旦木さんは、自著『 毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~ 』(光文社新書)などの取材をするうちに「児童虐待やDV、ハラスメントなどが起こる背景に、加害者の過去のトラウマが影響しているのでは」と気づいたという。

 親から負の影響を受けて育ち、自らも加害者となってしまう「トラウマの連鎖」こそが、現代を生きる人々の「生きづらさ」の大きな要因のひとつではないか。そんな仮説のもと、中川さんに負の影響を与えたであろう、幼少期の体験に迫る。(全3回の1回目/ 続きを読む )

◆◆◆

「お前は馬鹿だ!愚かだ!間違っている!」

 関東在住の中川瑛さん(32歳)は、24歳のときに1年のフランス留学から帰ってきた後、イベントで同い年の女性と意気投合し、1年ほどの交際を経て結婚した。

「僕自身はあまり結婚ってことに関心はなかったんで、別にしてもしなくてもいいって感じだったんですけど、妻が『大学院が終わるタイミングで家を出たい。同棲はNG』という状況だったため、結婚しました」

 2人は2017年2月に結婚。

 ところが結婚生活は「幸せ」とは言えないものだった。

 結婚から2年経った頃、妻は、勤め先での激務に蝕まれてうつ病を発症。

 休職した妻に対し、中川さんはこう言った。

「辛い辛いってあなたは言うけど、それは実力の問題でもあると思うよ。◯◯とか××ということをやった上で、マネージメントに対しては△△をやらないからあなたが問題なんじゃないの?」

 SNSを見ていた妻が、あるタレントを「カッコいい」と言ったとき、中川さんは怒り狂った。

「僕と結婚してるのに、他の人をカッコいいって言うのは僕に失礼だろう!」

 そして、妻が休職してから1年が経とうとしていた頃。

「この1年どうだった? 休めて良かった?」

 中川さんが尋ねた。すると妻は、

「全然。ずっと死にたいって思い続けた1年だった」

 と答えた。途端、中川さんはテーブルを叩き、大声を上げる。

「俺がこの1年間、ずっとお金を出し続けてお前の生活全部を支えてきたのに、お前はそれに対して感謝もなければ嬉しさもなくて、『ずっと死にたかった』だと? それ失礼だろ? 何で分からないんだ! お前は馬鹿だ! 愚かだ! 間違っている!」

 このときのことを、現在の中川さんはこう振り返る。

「その時の自分に対して、かなり強い殺意が湧いてきます。どれだけひどいことを、妻が傷つくことを言ってきたんだろう。現在の妻は、僕に言われたことをあまり覚えてないんですよ。記憶が飛びまくってるんです。解離してるんですよ。記憶を失くすほど、耐えられないほどの痛みや傷を妻に与えてきたのが自分だと気付いたときも、自分に殺意が湧きました……」

 中川さんが妻にしてきた言動は、中川さん自身が育った家庭の家族から受けてきたものと同じだったという。

噛み合わない両親

 北海道出身の中川さんは、北海道大学を出たサラリーマンの父親と、短大を卒業した母親のもと、4人きょうだいの三男として生まれた。中川さんの下は妹だった。

 中川さんが物心ついた頃、父親は遠方にある職場に自分の実家から通勤しており、平日は不在。存在感が薄かった。

「父はもともとあまり喋るタイプではなく、理屈っぽくて、人の気持ちがわからない人でした。多分、子どもに興味がないわけではないけれど、大して子どものことをわかっていないのに、時々上から目線で、僕からすると意味のわからないアドバイスをしてくるんです。小さい子どもなら身体を動かす遊びで満足するので仲良くできますが、成長して意志を持つようになると、喋れない父は仲良くなれないんですよ」

 そんな口数の少ない父親だったが、こと母親に対しては少し違った。

「馬鹿だとか頭が悪いだとか、なんでこんなこともできないんだみたいなことは、夫婦喧嘩というか、すごい陰湿な感じで僕たちの前でもチクチクと言い続けていました……」

 また、アルコールが入ると人に絡んできた。外出先で父親がお酒を飲むと、帰りは母親が車の運転を代わる。すると助手席で、「運転が下手だ!」「あっちから車が来ているのが見えないのか!」などといちいち口を出し、場の空気を悪くした。

「いま考えると、母が多分、かなり強いADHDで、注意欠陥系なんですけど、時間感覚が全くなくて、家族で旅行に行くときなんかも出発時間を全然守れない。そうすると父は、もう何十回も、毎回準備の時間がどうだとか、なんでこういつも待たせるんだとか言って必ずキレてて、すごい険悪な空気で家族旅行が始まるんです。『母はもう、どう考えても時間が守れない人なんだから、鷹揚に構えてりゃいいのに、毎回毎回イライラしてて、頭悪いなあ』ってずっと思ってました」

学歴コンプレックス

 そんな母親には学歴コンプレックスがあった。「学歴の高い人」に憧れを持っていたため、北海道大学卒の父親と結婚したようだ。

「母自身、お金がない家に育ったので、子どもには教養を与えたいという感覚がかなりあったようです。しかし、長男も次男も勉強や文化的なことよりスポーツが得意で、三男の僕がドンピシャだったんですよね。文化的なものが好きな母親の好みに……」

 家にあった画集やクラシックのCD、分厚い児童文学全集などを、読んだり聴いたりして楽しんだのは、きょうだいの中で中川さんだけだった。

 やがて高校受験を迎えた中川さんだったが、通える範囲には、偏差値50を切る普通科の高校が1校だけ。あとは商業高校と工業高校しかなかった。中川さんは普通科の高校に入学すると、常に学業成績上位をキープ。教師からは、「東大にも行けますよ」と言われた。

 すると、それを聞いた母親の期待は跳ね上がってしまう。

「さすがに僕自身は東大に行くイメージが湧かなかったんですが、母はすごく嬉しかったんでしょうね。でも、北海道の田舎町だったので、そもそも進学塾がない。塾に行かせるお金もない。高校の先生たちも、英語の先生以外は東大レベルの先生なんていなかった。本屋さんもないんですよ。唯一あったTSUTAYAに行っても、大学受験の棚は少ないし、東大レベルの問題集なんて置いてなかったんです」

 それでも独学で勉強して東大を受けたが、結果は不合格。

 中川さんは浪人を決意し、自宅で勉強を続けることに。

 ところがある日のこと。母親からこんなことを言われる。

「そんな辛気臭い顔やめてくれない? こっちまで気分が滅入るわ」

 中川さんは愕然とした。

「受験に失敗しているのですから、やっぱり落ち込んでいるわけです。なのに、『気分が滅入るから、辛気臭い顔やめろって……常に笑顔でいろってこと?』って思いました。今振り返ると、母親から言われたこの言葉ってモラハラとかDVとかと本質的にすごく近い部分があって。お金もないし、塾とかにも行かせてもらえなかったしっていう結構腐った気持ちもあったうえ、問題解決が不可能な状況なのに、落ち込む感情でいることを許されなかったことに深く傷つきました」

 こうしたことが何度あったのか、いつあったのか。中川さんの記憶は曖昧だ。しかしおそらく母親は、心無い言葉を口にし続けたのではないだろうか。その度に中川さんは深く傷つき、ついに堪忍袋の緒が切れたのだと想像する。

 あるとき、中川さんは突然泣きながら暴れ出し、リビングにあるものを手当たり次第に壊しまくった。手に負えなくなった母親は、近くに住む長男を呼んだ。長男が駆けつけたときには、中川さんはめちゃくちゃになった部屋の真ん中で、うずくまって泣いていたという。

 その何日か後、中川さんは家出をした。

〈 「あれ? 照れ隠しではなくて、本気で喜んでいないんだ」妻の体調不良すら許せなかった、“モラハラ夫”が自分の加害に気づいた瞬間 〉へ続く

(旦木 瑞穂)

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