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「王子様がたまたま13歳だっただけ」少年と肉体関係を持ち、刑務所内で出産…36歳の主婦が作り上げた“危険な真実”

文春オンライン / 2024年7月12日 6時0分

「王子様がたまたま13歳だっただけ」少年と肉体関係を持ち、刑務所内で出産…36歳の主婦が作り上げた“危険な真実”

ジュリアン・ムーア ©REX/アフロ

 親子ほど年の離れたカップルを「メイ・ディセンバー」と呼ぶという。名匠トッド・ヘインズ監督が新作映画で描くのは、36歳の成人女性と13歳の少年の情事と、夫婦になった彼らのその後の人生。そこに、彼らの過去の事件の映画化のため取材にきたハリウッド女優が絡み、事態はさらに混乱を極めていく。

 かつて、ペットショップで働いていた36歳の主婦グレイシーは、アルバイトとして働く13歳の少年ジョーと肉体関係を持ち、逮捕された。ジョーの子供を妊娠したグレイシーは、刑務所内で出産をしたあと、彼と結婚。そして事件から23年が経ち、過去の事件を映画化するため、ハリウッドから女優のエリザベスがグレイシーたちのもとを訪れる。

 グレイシー役を演じたのは、トッド・ヘインズ監督とは5作目のタッグとなるジュリアン・ムーア。事件を映画化しグレイシーの役を演じようとする女優エリザベス役はナタリー・ポートマン。映画を観て誰もが想起するのは、1990年代のアメリカで実際に起きた、教え子の少年と肉体関係を持ち妊娠した女性教師をめぐる事件。果たして映画と実際の事件との関係とは? 誰かの人生を「物語」として消費することの怖さとは?

これは実話を描いた映画ではない

――トッド・ヘインズ監督との仕事はこれで5作目ですが、彼の映画に出演することにはやはり特別な思いがあるのでしょうか?

ジュリアン・ムーア トッドはすべてにおいて特別な人です。出会った瞬間から、その並外れた才能は一目瞭然でした。物語の綴り方から、既存の映画作品から何をどのように参照するのかまで、彼のスタイルはとても明瞭で、深く心に響くんです。役者としても、ひとりの人間としても、私はトッドにとても強いつながりを感じています。

 私たちがつくる物語は、(『メイ・ディセンバー』や『エデンより彼方に』(02)のように)家族や家庭をテーマに、ドメスティックな状況を描いたものが多いですが、その物語はときに、私たちが実際に生きている世界とよく似ています。トッドは、卓越した映画技法によって物語をさらに大きなものへと変換することで、こうした物語もまた重要なのだと言っているのです。

実話を映画化することの是非

――本作の物語はとても複雑です。実際に起きた事件の当事者たちがいて、その話を映画化しようとする女優が、取材のため彼らに近づいていく。けれどその無遠慮な取材方法を見るうち、私たち観客は、実話を映画化することの是非について考えずにいられません。一方でこの映画自体が、90年代に起きた実際の事件を下敷きにしていますよね。実話ものや事実に基づいた映画作品はどうあるべきなのか、あなたご自身はどのように考えていらっしゃいますか?

ジュリアン・ムーア まず言っておきたいのは、これは実話を描いた映画ではないということ。たしかに本作の脚本家のサミー・バーチは、実際に起きた有名な事件にインスパイアされ物語を書いたし、それが映画の出発点になってはいます。でも脚本はあくまでオリジナルで、私たちが演じたのは映画の中にだけ存在する人物です。

 もし実話を映画化する場合、当然ながら、その物語や人物、そして彼らが経験したことに対して重い責任を負わなければいけません。私が思うに、この映画の主人公であるグレイシーとエリザベスは、共にある種の道徳的な罪を犯しています。それが周囲の人々にどんな影響を及ぼすのか、私たちは映画をつくるうえで、その点を掘り下げていきました。私は人生や社会において何が本当に危険なのか、というテーマに興味があるのですが、私が演じたグレイシーのような人物こそ本当に危険な人物だと思います。なぜなら彼女は、私たちが常識だと考える行動規範の境界線を越えてしまうだけでなく、自分はその一線を越えていないと世間に信じさせようとするからです。彼女は自分の理屈で「真実」を作り上げ、周囲の人々をも危険に晒してしまう。そういう人物を演じるのはとても興味深いことでした。

――では、演じるうえで、実際の事件からインスパイアされた部分はそれほどなかったのでしょうか?

ジュリアン・ムーア インスピレーションはみんな受けたと思いますよ。このような事件はひとつだけでなく、さまざまな場所で何度も起こっていますから。アメリカでも女性の教師と若い男子生徒の不適切な関係という事例がいくつかありましたし、世界中で同じような事件がニュースになっています。この映画は、これまで報道された多くの似たような事件に着想を得て生まれたのです。特にサミーは、アメリカのタブロイド・カルチャーに関心があったと思います。我々の文化において「物語」はどのように形成され流通するのか。その過程で「物語」がいかに実話から逸脱していくのかに興味があったのでしょう。この映画でも「物語」がつくられましたが、それはタブロイドが発信する「物語」とは別物です。

舌足らずな喋り方にしたのは私のアイディア

――グレイシーという人物を演じるにあたって、どのような役作りをされたのでしょうか。彼女の声色や服装は、どこか子供っぽく、幼い印象を受けます。

ジュリアン・ムーア グレイシーとジョーとの過去の関係について、彼女が語る話はごくシンプルで、自分たちは激しい恋に落ちたというものです。でも相手が13歳だったと知れば、周囲は当然この関係は間違いだと判断する。だからグレイシーは少年を大人の男として扱い、逆に自分を頼りない存在として描写します。自分は頼りになる王子様に助けられた、王子様がたまたま13歳だっただけなのだ、それが彼女の信じる物語なのです。

 そういう物語をつくりだし、自分自身に信じさせる人物とはどのような人なのか。その選択をするに至った背景とは何なのか。グレイシーの人物造形は、そういった要素から考えていきました。彼女にはとてもフェミニンで子供っぽいところがあるので、身振りや服装をまずそこに近づけ、話し方もそれに合わせて変えていきました。舌足らずな喋り方にしたのは私のアイディアです。より子供っぽくなるし、グレイシーになりきろうとする(エリザベス役の)ナタリーが真似しやすくなるなと思って。

 あの喋り方は、グレイシーが世間に自分をどう見せたいのかを表すいい例だと思います。彼女は、自分のことをあどけなく、子供っぽい、人畜無害な人間だと他人に見せたいのです。実際、彼女はそういう家庭環境で育ってきたんですよね。自分はひとりで生きていく力のない弱い人間で、不幸な結婚生活から抜け出すためには他の誰かと恋愛をするしかない。そう思い込まされて生きてきた結果、あのような事態につながったのです。

――劇中では、鏡を使ったシーンがいくつも登場します。特に、グレイシーが化粧室の鏡の前でエリザベスに化粧をしてあげるシーンは印象的でした。

ジュリアン・ムーア 面白いショットがたくさんある映画ですよね。なかでもあそこはとても興味深いシーンです。グレイシーがただエリザベスにメイクをしているだけでなく、まるで自分の顔をエリザベスの顔の上に重ね描きしようとしているように見えます。あの場面で、グレイシーはエリザベスにこう言います。私であることがどういう感覚なのか感じてほしい、と。彼女たちはお互いにとても惹かれあっていて、同時にお互いを支配しようと争っているのです。非常に女性的な方法で二人は惹かれ合い、反発し合っている、そんな特別なシーンです。

 撮影は、たぶん5テイクくらい重ねたと思います。長回しのシーンだったので、ナタリーと私とで芝居のリズムをコントロールすることができたのは最高でした。苦労したのは、ナタリーに本当にメイクをしなければいけなかったこと。彼女が振り向いたとき、ちゃんと私のように見えないといけない。正しい場所にメイクできているか、タイミングはどうか、ワンテイクのなかで細部にまで気をつけながら芝居をするのは本当に大変でした。とはいえ、とても挑戦的で刺激的な経験でした。

哀しく、危険で、ドラマティックな映画なのです

――本作には、ミシェル・ルグランの音楽をアレンジした曲が使われていますが、この曲を使うことは、監督から事前に聞いていたのでしょうか?

ジュリアン・ムーア ええ、聞いていました。トッドからは事前にルグランの曲を使った映画ジョゼフ・ロージーの『恋』(71)を観てほしいと頼まれ、こう言われました。「ジュリアン、僕はこの音楽が本当に好きなんだ。こういうドラマティックな音楽を使って、映画に強弱をつけたいと思っているんだ」。

 撮影現場でも、トッドはいつもルグランの音楽をかけていました。ただ、それはどんな曲が映画のどのあたりにつけられるかをみんなが感じられるようにするためで、実際には後でオリジナルの曲をつけるはずでした。ですが、編集作業に入り、新たに音楽をつけようとしたところ、トッドはもはやルグランの曲なしにはこの映画は完成しないと感じたのです。そこで彼は、ルグランの曲を作曲家に改めてレコーディングしてもらい、それを使用することにしたのです。

――この映画は、痛烈な風刺劇のようであり、ブラックユーモアに満ちた喜劇のようにも感じました。果たしてこの映画は、風刺劇か喜劇か、どちらだと思われますか?

ジュリアン・ムーア 私はただ「ドラマ」だと思います。たしかに笑える箇所もあるけれど、トッドは誰かを揶揄したりしているわけではないし、何かを風刺しているとも思わない。心を動かされる映画だと思っています。これは、自分が映し出したいイメージを世界に投影している人々について描いた映画ですから。

 人は誰しも自分自身を見つめることを恐れています。特にこの二人(グレイシーとエリザベス)は、自分と自分が犯した罪を見つめることを徹底して拒む人たちです。自分がつくりあげた世界や、世間に提示する「物語」にしがみついているのです。それは真実とは別のものなのに。この映画の登場人物たちが話していることの多くはとても不快で、ときには居心地が悪過ぎて笑ってしまうかもしれません。でも私にとっては、これはただ哀しく、危険で、ドラマティックな映画なのです。

Julianne Moore/1960年生まれ。『ブギーナイツ』(97)、『ハンニバル』(2001)、『アリスのままで』(14)など話題作に多数出演。トッド・ヘインズ監督とは長年協働し、『エデンより彼方に』(02)ではヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞した。

(月永 理絵/週刊文春 2024年7月18日号)

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