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グーグルが断言する、効果の出せるチームとそうでないチームの「たった一つの違い」とは

文春オンライン / 2024年7月22日 6時0分

グーグルが断言する、効果の出せるチームとそうでないチームの「たった一つの違い」とは

写真はイメージ ©AFLO

〈 「いい子ちゃん症候群」を生む子育てはもう古い AI時代に求められる教育とは 〉から続く

 生成AIと呼ばれる人工知能がビジネスシーンでも用いられるなど本格的に突入したAI時代。そんな新しい時代を生き抜く子供たちに求められるのが「自己肯定感」だ。20世紀の「躾けていい子にする」子育て法はもはや通用せず、これからはAIにとって代わられない「個性を発揮する」子に育てること。そこで求められるのは「子供の気持ちに寄り添い、その言動にイラつかない子育て役」…まさに祖父母だ。

 祖父母がAI時代を生き抜く孫たちにすべきことを示した『 孫のトリセツ 』(扶桑社)より一部抜粋して紹介します。(全3回の2回目/ 最初 から読む)

心理的安全性

 ここ数年、企業の人事部で「心理的安全性」というキーワードが話題に上っている。グーグルが4年にも及ぶ社内調査の結果、効果の出せるチームとそうでないチームの差はたった一つ、心理的安全性(Psychological safety)が確保できているか否かだ、と言い切ったからだ。心理的安全性とは、「なんでもないちょっとしたことを無邪気にしゃべれる安心感」のこと。つまり、脳裏に浮かんだことを素直に口にしたとき、頭ごなしに否定したり、くだらないと決めつけたり、皮肉を言ったり、無視したりする人がチームにいないことである。結論がなくてもいい、なんなら、その言葉が浮かんだ意図さえも把握できていなくていい。たとえば「さっき、駅の階段でつんのめって怖かったんです(別に落ちたわけじゃないけど)」とか「今朝、夢を見たんですよね(何の夢か覚えてないけど)」のような、オチも結論も対策もない話が抵抗なくできること―それが心理的安全性である。

 数年前、グーグルがこのことを提唱したとき、日本の優良企業は、皆それをキャッチアップしたのだが、なかなか咀嚼できなかったようだ。天下のグーグルの、精鋭チームに必要な唯一の資質が、戦略力でも調査力でも開発力でも実行力でもなく、「なんでもしゃべれる安心感」だなんて……世界を制覇した成果と心理的安全性がどうつながっているのか、それがまったく見えないからだ。結局、「心理的安全性」を「風通しのいい職場」と解釈して、「風通しのいい職場に。ハラスメントをゼロに」というキャンペーンに代えて、お茶を濁している企業も少なくなかった。

 そうはいっても、今さら「風通しのいい職場」なんていうことを、天下のグーグルが世界的に発表するだろうか。グーグルの提言の熱意と、「風通しのいい職場」という帰結のぬるさ。その温度差に、なんとも腑に落ちない、落ち着かない。それが、大方の日本の企業人の感覚だったようだ。実際、ネットで「心理的安全性と、ぬるい会話をどう区別したらいいんだ?」という議論が交わされたりしている。

頭ごなしの対話は、若い人の発想力を奪う

 しかしながら、この提言を聞いたとき、私は雷に打たれたような気がした。

 なぜなら、私の研究の立場からは、「真理」のど真ん中だったから。今まさに、世界中のチームが身につけるべき資質。さすがグーグル、本当にいい企業なんだなぁと、ため息をついた。

 ヒトは、発言をして嫌な思いをすると、やがて発言をやめてしまう。「こんなこと、上司に言ったって、頭ごなしに否定されるだけ」「親に言ったって、説教食らうだけ」「妻に言ったって、イラつかれるだけ」「夫に言ったって、皮肉が返ってくるだけ」-そんな思いを何度かすれば、浮かんだことばを呑み込むようになる。

 最初の何回かは、浮かんだことばを呑み込むのだが、やがて、その人の前ではことばが浮かばなくなる。つまり、「感じる領域」と「顕在意識」を遮断してしまうのである。それは、とりもなおさず、発想の水柱を止めてしまうということ。つまり、いきなりネガティブな反応を返されると、ヒトは発想力を失うのである。発想力だけじゃない、自己肯定感まで下げてしまう。

 グーグルは、斬新な発想で、今までにない世界観を作り上げてきたデジタル企業だ。

 こんな企業で、若い人たちの発想力を止めてしまったら、それこそ致命的なのである。

 もちろん、同じことが家庭にも言える。大人たちの、良かれと思って繰り出す「いきなりのダメ出し」が、子どもたちの発想力に蓋をしてしまうのである。同時に、自己肯定感も低くなってしまう。このあと詳しく述べるが、AI時代に突入し、人類に必要な資質は、発想力と対話力、そしてそれを支える自己肯定感に集約してきている。

 今、どんな英才教育より、子どもたちの心理的安全性を確保しなければならない。

 この話をすると、「俺たちの時代は、違ったよなぁ」とつぶやく方がいると思う。

 私たちが育った時代はもとより、私たちの子育ても、躾とエリート教育に彩られていたものね。

 20世紀は、親も学校の先生も、スポーツの指導者も、子どもの口答えを許さない。

 誰もが認める一般論的な理想像「お行儀よく、成績がよく、目上の人に逆らわず、タフな実行力にあふれている」を目指して、決めつけの教育が施されてきたのである。

 部活のコーチに「うさぎとび100回!」と言われたら、「それって、何になるんですかね。どこの筋肉に効くの? 膝を痛めるリスクもありそうだし」なんて発想や危機回避をしてはいけないのが20世紀だったのである。

「俺たちの時代」は終わった

 ただ、私たちは、それをあまり気にしていなかった。というのも、脳の中には、頭ごなしのコミュニケーションが活性化する回路があるからだ。それは、「上の言うことを疑わず、死ぬまで走り続けることができる。がむしゃらな気持ち」を作り出す回路である。つまり、頭ごなしの教育は、歯車人間を作り出す仕組みだったのである。

 私は1983年入社で、入社してすぐ言われたのは、「きみたちは歯車だ。小さな存在にすぎないが、歯車が一つ止まれば、組織全体が止まってしまう。責任は大きい」という訓示で、当時の頭では、けっこう感動したのを覚えている。

 歯車には、「なぜ、この方向にひたすら回るのか」はわかっていない。その是非を疑うことも許されない。「こうしろ」と言われたことを、疑わずに遮二無二邁進することで、大きな組織を回すことに喜びを感じるセンスが、当時のエリートには不可欠だった。

 そもそもエリートたちは、幼いころから、母親の「こうしろ」に従って、お行儀よく高偏差値の大学を出て、一流の場所にたどり着いたので、それはお家芸のようなもの。末端の小さな歯車が、やがて大きな歯車になっていくのが出世街道だったのである。

 20世紀にだって、夢を見た人はいた。本田宗一郎しかりスティーブ・ジョブスしかり。けれど、ひとりの夢見る人がいれば、何万人もの歯車人間がそれを支えていたのである。

 そもそも夢の数も、そんなに多くなくてよかった。20世紀は、製品やサービスの機能が単純だったから、企業は生活者の夢を実現すればよかったのである。「車が欲しい」「掃除機が欲しい」「クーラーが欲しい」、そんな生活者が見る夢を。

 ところが、21世紀、製品やサービスの機能は複雑である。家電製品ひとつ買っても、ユーザーの想像を超える機能が付加されていたりする。電子機器なんて、何年使っても使いきれない機能があるくらいだ。では、いったい、誰が夢を見ているのか―企業人たちである。そう、21世紀は、ひとりひとりが夢を見る必要がある。そして、その実現は、かつてのような歯車人間じゃなく、AIが支える。

 残念ながら、「俺たちの時代」は終わったのである。その兆候は、ここ10年ほどあったけど、2023年、息の根が止まった。生成AIがオフィスワーカーの一員のように活用され始めた年に。

 私たちの孫は、想像もつかない未来を生きていくことになる。確実なのは「夢見る力」が必要だということ。そして、それを育むために心理的安全性の確保が不可欠であることも。

〈 「虹はなぜ七色なの?」「あなたはどう思う?」…幼子が返した“あまりに美しい回答”とは 〉へ続く

(黒川 伊保子/Webオリジナル(外部転載))

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