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「家族の誰ひとり、事実がわからなかった」息子まで攻撃の対象に…“いじめ告白”記事炎上の日々、小山田圭吾の家族が体験した試練

文春オンライン / 2024年7月24日 6時10分

「家族の誰ひとり、事実がわからなかった」息子まで攻撃の対象に…“いじめ告白”記事炎上の日々、小山田圭吾の家族が体験した試練

小山田圭吾氏 ©文藝春秋

〈 「友人と思っている」段ボールに閉じ込めて、黒板消しの粉を振りかけて…小山田圭吾が語る“後悔” 〉から続く

 2021年7月、ミュージシャン・小山田圭吾氏は表舞台から姿を消した。過去に雑誌に掲載された自身の“いじめ告白”記事がSNS上で炎上し、東京オリンピック開会式音楽担当の辞任を余儀なくされたのだ。

 炎上の発端となったX(旧ツイッター)の投稿がされたのは、就任が発表された翌日の早朝。小山田氏は不安を抱えながらバンドのリハーサルを行っていたが、事態は徐々に深刻さを増していった。「誰ひとり、事実がわからなかった」小山田氏の家族も過熱するバッシングに動揺していたという。

 ここでは、ノンフィクション作家の中原一歩氏が小山田氏本人や関係者に取材してまとめた『 小山田圭吾 炎上の「嘘」 』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介。小山田氏とその家族、そしてマネージャーの高橋氏は“試練の日々”をどう過ごしたのか。(全4回の3回目/ 最初から読む )

◆◆◆

初めてのスキャンダルにマネージャーも動揺

 夕方、緊張が走った。五輪開会式のクリエイティブチームの担当者が、高橋に電話をかけてきたのだった。高橋は一呼吸置いてから電話に出た。

「小山田さん、ネットでちょっと燃えていますね……大丈夫ですか?」

 電話の口調は落ち着いていて、むしろ小山田の状況を案じる内容だった。この時点で、7月23日の開会式まであと8日。高橋は「直前にもかかわらず、小山田のことで組織委員会にも迷惑をかける結果となり、申し訳ありません」と謝罪した。

 そして高橋は、当時、小山田がなぜあの雑誌インタビューに答えてしまったのか。具体的にどんな内容のインタビューだったのか。なぜ今になって炎上したのかなど、自分が知りうる事実を包み隠さず、正直に伝えた。事務局関係者は小山田の置かれた状況を理解し、熱心に話を聞いてくれたという。

 この時、高橋は勢いあまって、胸の内を切り出していた。

「こういう場合、どう対応したらよいのでしょうか。やはりコメントとか出したほうがいいのでしょうか?」

 情けない話だと、高橋は振り返る。というのも、フリッパーズ・ギター時代からあの時まで、小山田はスキャンダルらしいスキャンダルに、一度も遭遇したことがなかったのだ。とにかく音楽を作ることだけに専念してきた。それゆえ危機管理に精通している人間は、事務所の内にも外にも見当たらなかった。

 高橋自身も初めての経験だった。SNSで所属アーティストが炎上した際、何をどうすればよいのか、誰に相談すればよいのか、見当すらつかなかった。本来であれば、こういう時にこそ、マネージャーの力量が問われる。だが、小山田にどう声をかけ、どう励ませばいいのか、正直、わからなかったという。電話口の事務局関係者が言った。

「そうですね。できればご本人がいいのですが、それが書けないのであれば、事務所からでもいいので、何かしらの発表をしたほうがいいですね。そう、声明文とか」

 セイメイブン――。高橋は呆然とした。まさか自分の人生で、声明文を書く日が来るなどとは思わなかったからだ。

次々に寄せられる、見知らぬ人々からの抗議メール

 この頃、事態はまたひとつ、新たなステージへ登っていた。Xのトレンド欄に「小山田圭吾」「いじめ自慢」が常時、表示されるようになったのだ。急転したのは、『毎日新聞デジタル』の報道だった。これをきっかけに先鋭的、攻撃的な投稿が増えた。事務所の代表メールには、見知らぬ人物からの抗議が、次々に寄せられた。

「非常に腹立たしい 常識にかけている 謝罪して辞退しろ」

「あなたの、人間の尊厳を貶める行為に吐き気を催します。オリンピックの名誉のために、どうか辞退してください」

「あなたが関与するという事実だけで、開会式を見ることができません。オリンピックは世界の人々が見ます」

 なかには、被害者に謝罪しに行けというメールもあった。

「ちゃんと謝罪に行ってください。そして、それが実際に行われたことを紙一枚ではなく、写真撮影して公表すべきです。紙一枚で発表しても信憑性に欠けます」

 これらはすべて、実名で書かれたものだった。

 この日の夜を、高橋は忘れることができないという。住宅街に佇む一軒家の、物音ひとつしない部屋で、高橋は声明文を書くためにパソコンに向かった。

 しかし、そもそも何を書けばいいのか。まったく見当がつかない。パソコンで「声明文」と検索してみても、当たり前だがテンプレートなど存在しない。「お騒がせして申し訳ありません」のひと言と、「一部事実とは違う部分がある」などしか書けず、その日は終わった。

家族への釈明と徹夜で書いた声明文

 16日の午前中。小山田、高橋、事務所の社長である岡の3人は、今後の対応を協議するため、事務所に顔を揃えた。重い空気の漂う会議だった。

 この日、『毎日新聞』朝刊の紙面には、デジタル版と同じ記事が掲載されていた。また、『日刊スポーツ』は、『クイック・ジャパン』から、より具体的にいじめが描写された部分を抜き出して記事を配信。タイトルは「みんなでプロレス技かけちゃって/小山田圭吾氏の障がい者いじめ告白」だった。

 その矢先に、事務所のインターホンが鳴った。

「『朝日新聞』ですけど、話題になっている過去のいじめ発言の件について、小山田さんにお話を伺いたいのですが……」

 すでに事務所の代表メールに、ワイドショーなどから取材の問い合わせは来ていた。だがメディアにインターホンを押されたのは初めてだった。その場に緊張が走った。

 玄関先で対応したのは岡だった。今日の午後、なんらかの文書を出す旨を伝え、ひとまず、引き上げてもらった。とうとうここまできたか。高橋は、対応を急ぐべきだと考えた。

「やっぱり、事務所として声明文を出したほうがいいと思います。このまま何も発信しなければ、さらに事態がよくない方向に向かうと思います」

 そう言って、作りかけの声明文案を取り出すと、小山田がこう呟いた。

「僕も書いてきたんだ」

 取り出した紙には、びっしりと謝罪と釈明の文章が綴られていた。

 前日の夜は、小山田の家族にとっても、忘れることができない長い一夜だった。

 リハーサルを終え、自宅に帰ってきた小山田は、自分が置かれた状況を家族からの報告で知ることになる。しかし、時間が経っても炎上は止まるどころか、すさまじい勢いで拡大し続けていた。どうすれば止めることができるのか。どうすれば、どうすれば……。小山田の心は乱れた。

 追い打ちをかけたのは、知人の中にも、小山田を批判するポストがあったことだ。理由は「開会式の音楽担当という形で、五輪に関わった」からだ。コロナ禍での東京五輪開催に関しては、世論が割れていた。小山田の周囲には、どちらかというと、東京五輪開催に反対の立場の人が多かった。いじめ問題よりも、東京五輪に関わったことへの批判も噴出していたのだった。小山田が言う。

「小山田君にはがっかりした、五輪に音楽担当で関わるなんてダサい、むかつくとか書かれていました。知人からも言われて、暗い気持ちになってしまいました」

 その一方で、知人が小山田を擁護するあまり、Xに過激な書き込みをして、逆に炎上。バッシングの対象となる「負の連鎖」も始まっていた。親しい人が巻き込まれ、ネット上で火だるまになっていく姿を見るのは、自分のこと以上に辛かったという。攻撃の対象には、息子の小山田米呂も含まれていた。

「仕事をしていても、状況をとりあえず把握しようとして、小山田がXとかニュースなどを気にしてしまうんですよ。でも、もう本人には見せたくなかった。どんどん状況が悪くなってゆくのを見て、なんとかしないといけないと思いました」(高橋)

 そこで、XなどSNSの世界に飛び交う誹謗中傷から本人を遠ざけるため、小山田についてのニュースは家族が本人のかわりに確認し、本人に伝える。また、何か対応する必要がある時は、家族が高橋に連絡する、というルールを作った。

〈 深夜に玄関チャイムが鳴り続け、留守電に「殺す」と何十件も…“いじめ告白”炎上の裏で、小山田圭吾と家族を苦しめた「殺害予告」 〉へ続く

(中原 一歩/ノンフィクション出版)

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