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9歳のベトナム人少女を日本人男性が殺害「日本とベトナムをつなぐ架け橋」が夢だったのに…《千葉小3女児殺害事件》はなぜ起きた

文春オンライン / 2024年7月15日 17時0分

9歳のベトナム人少女を日本人男性が殺害「日本とベトナムをつなぐ架け橋」が夢だったのに…《千葉小3女児殺害事件》はなぜ起きた

亡くなったレェ・ティ・ニャット・リンさん(写真:筆者提供)

 2017年、千葉の松戸で殺害されたレェ・ティ・ニャット・リンさん(当時9歳)。「日本とベトナムをつなぐ架け橋になりたい」という夢を持つ幼い少女はなぜ殺されたのか? 事件後の家族や加害者を追った高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「 日影のこえ 」による新刊『 事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

「日本とベトナムをつなぐ架け橋になりたい」

 小学校の入学式直前に撮られた動画には、家族の何気ない日常が記録されていた東京タワーを中心として広がる、東京・芝公園の一角である。雲一つない空の下、遊歩道でスマホのカメラを構えるベトナム国籍の父親レェ・アイン・ハオ(事件当時34歳。千葉県松戸市在住)を目指して、ピンク色の靴を履いた娘のレェ・ティ・ニャット・リン(同9歳)が楽しそうに駆け寄る。絵に描いたような、強い絆で結ばれた家族の理想の休日像である。だが、この動画が撮られた約3年後の2017年3月24日、少女は行方不明になった。

 その日、元気よく登校したリン。授業が終われば、いつもは15時には帰宅していた。ところが、夕方になっても、夜が明けても帰ってこない。両親の要請で、警察や地域住民による捜索が始まる。そして3月26日、自宅から約10キロ離れた千葉県我孫子市の排水路脇で、少女は冷たい雨が降るなか遺体で発見された。

 その約3週間後に逮捕されたのは、渋谷恭正(同46歳)。リンが通う小学校の保護者会で会長を務め、通学路で子供たちを見守る活動までしていた男だった。なぜ、渋谷はリンを狙ったのか。動機は裁判でも明らかになっていない。ただし、リンが出生よりこのかた眩いばかりに輝いていたことは、学校の授業で書いた作文の一節にはっきりと残されている。

〈日本とベトナムをつなぐ架け橋になりたい〉

 家族をベトナムに残し、2007年から単身日本でIT技術者として働いていたハオも娘と同じ思いだった。

「小学生がひとりでランドセルを背負って学校に行く姿を見て、感動しました。日本はなんて安全で良い国なんだろうと。ベトナムでは考えられないことです。だから自分の子供にも日本で育ってほしいと思っていました。日本とベトナムの架け橋になるような人間に育ってほしいと」

 ハオは、娘リンのミドルネームをベトナム語で日本を意味する「ニャット」とし、生まれてすぐに家族と共に日本に呼び寄せた。しかし皮肉にも、父の願いは最悪の結果を招く。まだ小学3年生ながらも、異国の地で暮らす外国人ならではの夢を抱いていた少女は、顔見知りの男の犯行により不慮の死を遂げるのである。

死体遺棄現場にはピンク色の祠(ほこら)が…

 2021年4月、私は事件から実に4年ぶりにリンの死体遺棄現場に立っていた。現地の光景は当時と変わっていない。用水路の奥に広がる、まだ田植え前の田園。秋には一面に黄金色の稲穂が実ることだろう。

 唯一変わっていたのは、祠が建てられていたことだ。リンが好きだったピンク色の小さな殿舎である。彼女の生前写真はピンク色の服を着るものばかりであることからも、ハオが建てたものに違いない。新しい花がいくつも手向けられている。ここだけは生命が宿っていた。

 現場に来た目的は事件の総括である。少しでもリンの足取りを明確にしておきたい。

〈 「キャンピングカーの中からは血痕とDNAが…」非情の限りを尽くしたうえで9歳のベトナム人少女を殺害《千葉小3女児殺害事件》犯人男の身勝手 〉へ続く

(高木 瑞穂,YouTube「日影のこえ」取材班/Webオリジナル(外部転載))

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