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京都にはあちこちに結界が…“鬼門封じ”を絶対にしてはいけない理由とは

文春オンライン / 2024年7月21日 11時0分

京都にはあちこちに結界が…“鬼門封じ”を絶対にしてはいけない理由とは

京都の航空写真

〈 “よそさん”に知られると都合が悪い? 「なかったこと」にされた“京都の廃墟・廃神” 〉から続く

 インバウンドに沸く千年の古都・京都には、「雅」の裏に隠された得体の知れない怖さが存在する――。『イケズの構造』『京都人だけが知っている』等の著書で知られる生粋の京都人・入江敦彦氏が、このたび「京怖(=京都の恐怖)」の百物語を綴った『 怖いこわい京都 』(文春文庫)を上梓した。

 ガイドブックには決して載っていない、都に暮らす人々だけが知る「異形」の京都の魅力をこっそり教えます。(全4回の3回目)

◆◆◆

  前回 の廃墟について書いたとき細い竹を立てて“張る”「結界竹」についてちょっと話した。神様がいるから入っちゃダメ! という目印だ。神様ならいいじゃんと思うかもしれないが、けっこう気難しくて祟ったり呪ったりなさる方もおられるので。

 京都にはあちこちに結界が張られている。神様ではなく仏様のおられる寺院でも、あちこちに青竹踏み健康法みたいな低い区切りが置かれていて、これもまた「結界竹」と呼ばれる。

 もっとわかりやすく表示すりゃいいのに。黒と黄色の縞々にするとかさぁと思うが、ここは京都。イケズの国だ。上から目線で声を荒げるような真似はしない。頭を下げて視線を外し、囁(ささや)くように、しかしドスの効いた声で「御用のないもの通しゃせぬ」が京都式。意外と効果もあるらしい。

〈鬼門〉なるものも京の日常に散らばる結界のひとつといえよう。あまりにも当たり前にありすぎて目にはつかないけれど……というか目についちゃったらいけないのが鬼門なのだが。

「鬼門は放置が原則」

 おそらく日本に伝わった最古の風水理論書であり、平安京の設計図ともなった『黄帝宅経(こうていたくきょう)』によれば鬼門とは「宅の塞り也、帰缺薄にして空荒なれば吉也、之を犯 せば偏枯淋腫等の災い有」とされる。また「龍腹にして福嚢也、宜しく厚しく して実重なるべければ吉也、缺薄なれば即ち貧窮す」なのだそうだ。どういうことかというと「鬼門は放置が原則」「スルー推奨」でないと「炎上するよ」という意味。

 鬼門の方角は〈丑寅=艮/うしとら〉即ち北東とされる。オリジナル京都の艮に相当する場所にあるのが〈賀茂御祖神社(下鴨神社)〉の「糺(ただす)の森」だというのはきっと偶然ではない。紀元前3世紀ごろからスルーされた原生林が残っている。

「鬼門除け」というのは鬼を除けるという意味ではない。敷地や建物の北東角を欠(か)こませ、存在していないことにして厄を逃れる方策なのである。いわば逃げの一手。鬼門からやってくる連中は絶対に防げないので、むしろどうぞどうぞとお通りいただき、ほな、さいならと裏鬼門から出てってもらうわけだ。

「鬼門封じ」ダメ。ゼッタイ。

 近年「鬼門封じ」という言葉が使われる。マンガでならいいが、この表現を多用する人や本は信じちゃダメ。ゼッタイ。封じられないからこそ鬼門と呼ばれるわけで下手に防御したり戦ったりしようとしたら、どんな災難がふりかかるかわからない。鬼門には猿知恵がいちばんなのだ。

 猿知恵といっても「浅い」という意味ではない。〈赤山禅院〉や御所の〈猿ヶ辻〉など鬼門に関わる場所にしばしば猿の偶像が置かれる。これは天から降りた日本の創造主を道案内したサルタヒコという神様の霊力で鬼を素通りさせようという作戦。

 赤山禅院、糺の森という京の北東鬼門ライン上にある〈幸神社〉。「さいわい・じんじゃ」ではなく「さいのかみ・の・やしろ」と読む。幸神とは「塞の神(さえのかみ)」からきている。道路と集落の境目で、外部から来る厄介=疫神や悪霊などを防ぎ止める神で、道祖神とも呼ばれる。

 必ず鬼門に置かれるわけではなし、祭神も自然石やお地蔵さんのことが多い。けれどここは京都の北東部とミヤコを結ぶ出雲路の道祖神だったので鬼門除けの性質を強め早い段階で猿田彦を主神に置いたようだ。「猿田彦大神御神石旧跡」の石碑も立つ。

 そんな複雑な成り立ちゆえ、この神社の狭い境内には平安京以前からの“奇妙”がぎゅうぎゅう詰め。

 板塀に囲まれた本殿東側の軒下には前述した御所、猿ヶ辻の猿と同じ木像が置かれている。そもそもこちらの本殿は人が参拝するためのものではなく神様の通路であることを示す「立砂(たてすな。盛砂のこと)」が両脇に置かれている。これは〈上賀茂神社〉〈八大神社〉〈鷺森神社〉。鬼門ラインに当たる神社にしばしば見られる。誘導灯のようなものかもしれない。

 これ、料理屋さんなどが玄関に出す「盛り塩」の原型といわれている。良客を招き、鬼門から来たような客は素通りしてもらうための呪術なのだ。

 本殿南東角に積まれた大小の丸い石も意味ありげだし、なんの説明もなく「石神さん」とだけ名札がかかった自然石も厳重に立ち入り禁止になっていてドキドキする。あと、末社に荒ぶる神スサノオを祀る疫社があるのは定石(じょうせき)だが、ご神体を収めた祠の扉が壊れて中がむき出しなのはヤバい気がした。いまはきっと修理されているだろうが。

 これら奇妙のひとつひとつが京都人の鬼門に対する本気度を物語っている。「真剣」と書いて「マジ」と読むくらいハンパじゃないよ。夜露死苦。

完璧な鬼門除け

 京都人がどれくらい鬼門にマジなのかを示す好例が四条河原町角のエディオン(旧阪急百貨店)地下にある。阪急電車乗り場と四条通出口の接続部分の違和感に気づく人はどれだけいるだろう。見事なまでに不自然に凹んでいるのだ。そこになんの表示もないドアがひとつ。内部は一辺1mほどの三角形の空間。京都随一の繁華街にある絶好のスペースが鬼門除けとして使われているのだ。

 ほんとうに完璧な鬼門除け。あとはドアの枠上部に棚でも作って猿像を設置し、立砂を備えればいうことない。が、きっと人目を引きたくなかったのだろう。なにせスルーが原則だから。

 おそらく京都はあの世とこの世の間が安アパート並みに薄い。鬼門観察していると思う。だから地獄なんかも近いよ! 「板子一枚下は地獄」とは船乗りさんの危険な毎日を言い表した言葉だけれど、京の暮らしも似たようなものだ。

 地獄でぼーぼー燃える亡者を描いた〈矢田寺〉の絵馬は京都人の日常を象徴しているのかも(笑)。ときに絵馬にはなかなかアナーキーな絵柄があるけれど、こちらの一枚はとりわけインパクトがある。

 千本ゑんま堂こと〈引接(いんじょう)寺〉におられる日本最大級の閻魔(えんま)像も親密な地獄との近所付き合いを物語っている。観ていただければわかる。確かに厳めしいお顔だが、脅すような威嚇するような圧はない。わたしはいつも「お仕事お疲れ様でございます」と感謝の気持ちを込めて手を合わせる。

 あ、ここにいらっしゃるなら拝殿の内陣を取り囲む杉板の地獄絵も忘れず鑑賞してこられたし。経年劣化でかなり薄れてしまっているけれど、それがかえって想像力を刺激するパワーになっている。

(入江 敦彦/文春文庫)

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