「女子バレーには女性マネが絶対必要」パリでのメダル獲得に期待が高まる…日本代表チームのために揃えた“こだわりのスタッフ体制”
文春オンライン / 2024年7月28日 11時0分
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眞鍋政義監督 ©文藝春秋
〈 東京オリンピック予選敗退に「次の監督は苦労するだろうな」と思っていたが…女子バレー日本代表監督・眞鍋政義が名乗りを挙げた“覚悟の理由” 〉から続く
女子バレー日本代表チームは、6月14日に国際大会「ネーションズリーグ」でパリ五輪出場を決め、強豪国に打ち勝って準優勝にまで上り詰めた。躍進するその姿に、パリでのメダル獲得への期待も高まっている。
ここでは、そんな日本代表チームを引っ張る眞鍋政義監督の 『眞鍋の兵法 日本女子バレーは復活する』 (文藝春秋)より一部を抜粋して、強さの理由を探る。
一度はロンドン五輪で銅メダル獲得までチームを導いた眞鍋監督。東京オリンピックでの予選敗退という厳しい結果を受け、再び代表監督に名乗りを挙げたあと、どんな体制を整えたのか――。(全4回の3回目/ 続きを読む )
◆◆◆
アメリカで経験を重ねた川北コーチ
私が代表監督を退いてから5年。選手は世代交代が進んでいる。スタッフまで一新して試行錯誤をしている余裕はない。そこで中核には、第一次眞鍋ジャパンでともに戦い、気心の知れたメンバーを配置した。
総括コーチは川北元、マネージャーは宮﨑さとみ、アナリスト(現・チームマネージャー兼コーディネーター)は渡辺啓太、メンタルコーチは渡辺英児。さらに、監督付戦略アドバイザーとして竹下佳江を迎えることにした。
コーチの川北元とはひょんなことで知り合った。
彼はもともと順天堂大学のバレー部出身。しかし、選手の道は早々に諦め、大学院でスポーツ科学を学び、中学校、高校の非常勤講師となった。その傍ら、母校の順大でコーチをしていたのだが、もっとバレーの道を究めたいという情熱を抑えることができず、教員を辞めて、アメリカへと旅立つことになる。
なんの伝手もなく、最初は英語もしゃべれなかったが、アメリカのバレー界では有名なブリガムヤング大学のカール・マクガウン監督のもとを訪ねていく。そして、「何でもいいから手伝わせてほしい」と言って、1ヶ月ひたすらボール拾いをするところから始めた。
バイタリティとガッツは人一倍。愛嬌があって誰からも好かれる人柄。マクガウン監督にもすっかり気に入られた。あるとき、練習を見学に来ていたペンシルベニアの州立大学の監督から声をかけられた。「きみはこれからどうするんだい?」「もっとコーチの勉強をしたいんです」「じゃあ、うちに来ないか」という話になり、アシスタントコーチとして採用された。
そこで経験を積みつつ、次に川北が目指したのがアメリカ代表チームである。2005年、郎平(ロウ・ヘイ)がアメリカ代表の監督になると、川北はアポなしで訪ねていった。郎平は現役時代に中国代表として三大大会すべてで金メダルを獲得。監督としてはアトランタオリンピックで母国を銀メダルに導いている。その名将の下で学ぶチャンスを逃すわけにはいかない。最初は郎平も驚いていたが、数日間テストをするうちに川北を気に入ったようで、正式にナショナルチームのコーチに採用された。
川北コーチとの出会い
私が川北と知り合ったのは、2008年のワールドグランプリのときだ。予選ラウンドが神戸で行われることになり、来日したアメリカ代表が久光製薬の体育館で練習することになった。当時、久光製薬の監督だった私が練習を見ていると、スタッフに日本人がいるではないか。おや? と思っていたら、「川北と言います。郎平監督の下でコーチをしています」と挨拶された。それが最初の出会いだった。
その直後に行われた北京オリンピック。解説の仕事が終わり、日本食でも食べに行こうと思っていたら、体育館の外で偶然、川北に出くわした。これも何かの縁。いっしょにご飯を食べることになった。
その頃、久光製薬がアメリカ代表のローガン・トムと契約したこともあって、彼女の情報を聞いたのだが、それ以上におもしろかったのが川北のこれまでのキャリアだった。「ところで、きみはオリンピックのあとどうするの?」と訊ねると、「まだ決まってません」と言う。「だったら、ローガンといっしょにコーチ兼通訳で久光に来てくれよ」「え!? 僕でいいんですか」ということで、久光への加入が決まったのである。
彼の最大の長所はコミュニケーションスキルだ。アメリカでの経験が長いから、選手を楽しませながら練習するコツを心得ている。英語が話せて、世界のバレー界に人脈も持っている。これは日本代表にも欠かせない人材だと思い、私が代表監督になると同時に、代表でもコーチになってもらった次第だ。
彼はその後、木村沙織の移籍に合わせてトルコのワクフバンクでもコーチを経験。リオオリンピックのあとは、Vリーグのデンソーエアリービーズの監督に就任した。監督としても手腕を発揮していたのだが、今回、第二次眞鍋ジャパン発足にあたって、お願いして再び代表のコーチになってもらった。
マネージャー宮﨑さとみとの信頼関係
もうひとり、私の片腕的な存在がマネージャーの宮﨑さとみだ。彼女は神戸の出身で、高校時代は強豪の須磨ノ浦高校でキャプテンを務めていた。大学までプレーを続け、卒業後は神戸を本拠地とするVリーグのオレンジアタッカーズでチームマネージャーとなった。
しかし、チームの経営状態が悪化。2000年に久光製薬がスポンサーにつくことになり、新たに久光製薬スプリングアタッカーズとして再出発することになった。そのチームが久光製薬スプリングスとなり、2005年に私が監督に就任した。その縁で宮﨑と知り合うことになったのだ。
宮﨑はとにかく仕事がテキパキしている。遠征や合宿の手配、取材の調整などは彼女に任せておけば安心。選手たちの気持ちも理解し、アドバイスや生活指導もしてくれる。男性監督の私が気づかない部分まで目配りしてくれて、ときには忖度なしで厳しい意見も言ってくれる。ありがたい存在である。
最初に代表監督になったとき、彼女にはスタッフに入ってもらった。ただ、その最初の大会で、彼女はらしくないミスをした。試合前にメンバー表の提出を忘れたのだ。幸い試合が続行され、チームも勝利した。「本当にすみません」と謝る彼女に、私は「勝ったんだから、もうええよ。これからはこういうミスもしないやろう」と言って、いっさい怒らなかったそうだ(私は覚えていないのだが)。それ以来、宮﨑は「この人が監督をやっているかぎりはついていこう」と思ってくれているらしい。
激務を引き受けてくれた宮﨑
女子バレーチームのマネジメントでなにが大変かと言うと、合宿や遠征時の部屋割りである。基本的にツインルームなので、誰と誰を組ませるかで頭を悩ませることになる。部屋割りに失敗すると、プレーにも影響する。
同期や仲良しで組ませればいいかというと、必ずしもそうとは限らない。部屋で先輩が後輩にアドバイスするのも大事な時間だ。考えなければいけない要素が多くて、部屋割りはまるで難解なパズルのようである。私だけではとても解けないので、選手の性格、人間関係を隅々まで把握している宮﨑に毎回助けてもらっている。
女子バレーには女性マネージャーが絶対に必要だ。と同時に、監督は女性マネージャーを味方に付けなければいけない。マネージャーが選手側に付いて、「対監督」でまとまってしまったら万事休すである。
リオのあと、彼女にはヴィクトリーナ姫路のマネージャー・広報をやってもらっていたが、代表監督に戻るにあたって、再び彼女を連れていくことにした。だが、代表のマネージャーは激務だ。宮﨑には「もう無理です」と断られたのだが、いろんな人から説得してもらって、やっと来てくれることになった次第である。
ロンドンでメダルを獲ってから、「女性のチームをどうマネジメントするか」というテーマで講演の依頼を受けることが増えた。聞きに来てくださるのは、主に企業の経営者や管理職の方々だ。私なりの試行錯誤を紹介し、ありがたいことに好評をいただいている。しかし、私が女子選手をまとめることができたのは、私ひとりの力によるものではない。宮﨑さとみという優れた女性マネージャーがいてくれたからこそだ。
カリスマ監督から集団指導体制へ
その他にもアシスタントコーチやトレーナー、ドクターも含めると、スタッフは総勢20人ほどになる(毎年若干入れ替えがある)。分業制を敷き、スタッフの人数が多いのも、眞鍋ジャパンの特徴と言える。
たとえば、コーチはディフェンス、ブロック、サーブ、戦術・戦略というように分野ごとに置いている。技術面だけでなく、フィジカル、メンタル面もいまのスポーツ界ではきわめて重要。情報収集も一人ではとてもカバーできない。だから、トレーナー、メディカルスタッフ、アナリストも複数人必要になる。
一昔前の女子バレーは、大松博文さんや山田重雄さんのように一人でチーム全体を仕切る人が多かった。絶対権力を握るカリスマ監督だ。そういう監督はあまりコーチを使わない。コーチがいても、監督に許可を得ず選手指導したりすることは好まない。自分ですべてを決めないと気が済まないのだ。
私はそういう性格じゃないし、カリスマ性もない。技術面でも、自分の専門であるセッターならいくらでも教えられるが、他の分野はそれを専門にやってきた人に頼ったほうがいいと考えている。
時代の流れもある。いまどき昭和のように「俺についてこい!」と言っても、選手もスタッフもしらけてしまうだろう。
それにもかかわらず、女子バレーの現場には悪しき伝統が残っていて、独裁型の監督が選手に命令し、選手は唯々諾々と従うという雰囲気がある。男子のように自分たちの頭で考え、工夫するという事が少ない。それが最近の男子代表と女子代表の差にもつながっているように思う。
目標達成の要は「メダルを獲る!」という全員の本気
バレーはチームスポーツだ。監督の私がどれだけメダルを獲りたいと思っても、それだけでは獲れない。選手一人ひとり、スタッフ全員が本気で「メダルを獲る!」と思わないかぎり、目標は達成できない。メンバー全員が自分の頭で考え、自発的に行動する風通しのいい組織に変えるためには、まず監督がトップダウン式、一方通行の指導をやめることだ。私は選手とスタッフを、同じ目標を持ち、同じベクトル、同じ熱量を持った同志だと考えるようにしている。
人間、一人でできることは限られている。しかし、得意分野を持った人間が複数集まれば、思ってもみなかった大事業を成し遂げることができる。現代は一人のカリスマに頼るのではなく、“チーム”で戦う時代。監督に求められるのは、それぞれの分野で優秀な専門家を集め、彼らがチームとして機能するようにマネジメントする手腕だ。
私は久光製薬の時代からそういう考えだったから、コーチやトレーナーを複数置いていた。最初に代表監督になったときも、当時の日本バレーボール協会強化事業本部長の荒木田裕子さんに分業制の重要性を説明し、スタッフの数を増やしてもらった。
最初に分業制を採り入れたときは、いろんな方から「おまえは女子バレーというものが分かっていない」「そんなやり方が成功するわけがない」と言われた。
でも、野球をはじめ他のスポーツでは昔から分業制が敷かれていたし、企業や一般社会でも分業制のほうがスタンダードだろう。女子バレーの世界が、あまりにも監督中心で、特殊な世界だったと言える。
コーチやスタッフも、もっと注目されるべき
私が分業制を採り入れるまで、女子バレーのコーチやスタッフはまったく光が当たらない存在だった。監督に睨まれないように、たえず陰に隠れ、前に出ないようにしていたのだ。
でも、それではスタッフのモチベーションも上がらないし、いい仕事はできない。私はスタッフもチームジャパンの一員として、もっと注目されるべきだと考えた。
そこで前回の監督就任時から、なるべくコーチ陣にもスポットライトが当たるように工夫してきた。たとえば、取材でサーブについて質問されたら、「サーブコーチに聞いてください」、ブロックなら「ブロックコーチに聞いてください」と言って、コーチがインタビューされる機会を増やしたのである。コーチだけじゃない。私がiPadを使い、データ重視を打ち出してから、アナリストもよく取材を受けるようになった。
スタッフだって注目されたほうがモチベーションが上がるし、生き生きと自発的に働くようになる。そうすればチームの雰囲気もよくなるし、何より監督の私が助かる。監督の嫉妬や支配欲のせいで、分業のメリットを捨ててしまうのはもったいない。
とはいえ、単にコーチに任せるだけでは、チームはばらばらの方向に進んでしまう。スタッフが一体となり、同じベクトルで力を発揮できるように、コミュニケーションにはたえず気を配っていた。
コロナ禍でのコミュニケーションの苦労
前回の8年間の監督時代は、毎日、全スタッフによるミーティングを行っていた。といっても重苦しいものではない。夜、それぞれの仕事が終わったあと、三々五々ミーティングルームに集まる。そして、ビールを飲みながら、その日あった出来事をみんなで報告し合い、情報を共有するようにしていたのだ。
たとえば、コーチと選手がマンツーマンで練習していた時、言い合いになって、険悪な雰囲気になってしまったとする。そういうときも、情報を共有しておけば、別のコーチが「明日、俺がその選手をフォローしておくよ」といった解決の仕方ができる。私がマイクロマネジメントしなくても、スタッフ同士で助け合って自律的に処理してくれるのだ。そうなるとチームはうまく回り出す。
ところが、今回代表監督になってからは、そのコミュニケーションの面で苦労することになった。
ひとつにはコロナ禍の影響があった。最初にチームが集まったのは2022年の春。ワクチン接種が進み、緊急事態宣言こそ出なくなっていたが、まん延防止等重点措置が終わったばかり。代表チームで感染が広がれば、活動に支障が出る。当然、みんなで集まってお酒を飲むのは自粛せざるをえなかった。
もうひとつは私の個人的な事情だ。現役時代からさんざん酒を飲んできたせいか、健康診断の数値が悪化し、体重も過去最高を更新してしまったのである。さすがに医者からも注意され、禁酒することになった。2023年にコロナ禍が明けてからも、私の禁酒は続いた。
コロナ禍と禁酒。2つの理由から、夜のミーティングはなくし、夕食後は早めに寝るようにした。おかげで私自身は体重も減り、血液検査の数値も改善した。でも、それと反比例するように、チーム内のコミュニケーションに問題が生じ始めていた。
日頃のメンテナンスが大事な人間関係
あるときマネージャーの宮﨑が「眞鍋さん、スタッフのコミュニケーションが少なすぎますよ」と言ってきた。彼女は観察眼が鋭く、チーム内の人間関係をじつによく把握している。その宮﨑が言うのだから間違いない。スタッフの中核は昔なじみのメンバーだが、半分は新しいメンバーだ。全員が理解し合っているわけではない。自分の問題に気を取られて、そこに気づいていなかった。
「しまった!」と思い、2023年のオリンピック予選前からミーティングを増やすことにした。だが、人間関係は常日頃のメンテナンスが大事。急にミーティングを増やしても、すぐにうまくいくものではない。この点は大いに反省した。
もちろん、昼間のミーティングはしっかりやっていたのだが、それだけでは微妙な人間関係のすり合わせはできない。昭和的な“飲み二ケーション”にも効果があったんだなあ……とあらためて思った次第。2024年のオリンピックに向けては、あらためてコミュニケーションをテーマに掲げ、しっかり取り組もうと思っている。
〈 「古賀はショックを受けた様子だった」コンビネーションがうまくいかない…女子バレー古賀紗理那選手(28)に監督が突き付けた“意外な言葉”とは 〉へ続く
(眞鍋 政義/ノンフィクション出版)
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