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「苦笑いしてしまった」「打ち切り漫画のように急に話がしぼんでしまう」…ゲームの“リメイク作品”が陥りがちな“落とし穴”とは〈あの有名ファンタジーRPGでは…〉

文春オンライン / 2024年7月29日 17時0分

「苦笑いしてしまった」「打ち切り漫画のように急に話がしぼんでしまう」…ゲームの“リメイク作品”が陥りがちな“落とし穴”とは〈あの有名ファンタジーRPGでは…〉

『Nintendo World Championships ファミコン世界大会』は、かつて北米で開催されていた任天堂公式ゲーム大会をオンラインで再現するというコンセプトの作品。13タイトルのファミコンゲームを楽しめ、記録を世界のプレイヤーと競い合える。画像は任天堂公式サイトより

 昨今、「ビデオゲームのリメイク作品が増えている」と感じる人は多いだろう。

 2024年の任天堂だけを見ても『マリオvs.ドンキーコング』や『ペーパーマリオRPG』といったリメイク作品、『ルイージマンション2 HD』や『ドンキーコング リターンズ HD』といったリマスター作品が発表・発売されている。

 元の作品をアレンジする形で、ファミコンの各種ゲームを作り変えた『Nintendo World Championships ファミコン世界大会』という作品も2024年7月18日に発売されており、リバイバル作品の層が厚い。

 2024年6月18日に実施されたNintendo Directでは、スクウェア・エニックスのリメイク作品が注目を集めた。HD-2Dグラフィックでリメイクされる『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』のみならず、フルリメイクとなる『ロマンシング サガ2 リベンジオブザセブン』など、一般層から古参のゲーマーまで喜ぶ発表となっていた。

 スクウェア・エニックスはリメイクやリマスターに精力的で、リメイク版『ファイナルファンタジーVII』はフルプライスのタイトルを三部作で発売する。かなり力の入っているプロダクトであることは疑いようがない。ほかのメーカーもリメイクやリマスターを出しており、昨今、ビデオゲームのリメイク作品が増えていると感じるのはなんらおかしくないだろう。

 しかし、常に最新技術によって進歩し続けることが特徴であるビデオゲームにおいて、なぜ過去を振り返るような状況が盛り上がっているのだろうか?

Nintendo Switchの現状とビデオゲームの歴史の堆積

 リメイクやリマスターが増えていると感じる原因は複数考えられる。

 ひとつは、任天堂のゲーム機が次の世代に移ろうとしているからだ。

 任天堂はNintendo Switchの後継機を開発中であることを明らかにしており、当然ながら、それに向けてさまざまな作品を開発しているだろう。一方で、まだ現役のNintendo Switchに向けた作品も出す必要がある。

 とはいえ、開発リソースは限りあるものだ。ゆえに完全新作よりもまだ作りやすいリマスターやリメイクが多くなっているのだと理解できる。――もっとも『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』といった新作もあるため、現行機向けに新しいものを作っていないわけではない点には注意が必要だ。

 もうひとつの理由は、ビデオゲームが文化として成熟してきたことにある。クラシック音楽の演奏スタイルが時代によって変遷してきたように、あるいは映画でリメイクやリブートがしばしば行われるように、ある文化の歴史が長くなればオリジナルを作り直される機会が増える、というシンプルな話である。

 2022年にスクウェア・エニックスから発売された『ライブ・ア・ライブ』はその一例で、約30年前のスーパーファミコンのRPGをリメイクした作品である。

 原作はオチが非常に衝撃的で、その後のゲーム業界およびゲームに関連したエンタメに大きな影響を与えたものの、一般的な知名度としてはそこまでメジャーというわけではなかった。それでもファンの声もあってリメイクされるに至り、当時を懐かしむプレイヤーはもちろん、当時を知らない現代のゲーマーにまで届いたのだ。

 歴史が積み重なれば、メーカーごとの過去の資産も増えるわけで、それをリメイクして再び世に出すようになるのは当然であろう。かつては海外向けに発売されていなかったゲームをリメイクで出せば、より大きな市場に改めて売り出すチャンスを得られるというメリットもある。

少子高齢化もまたビデオゲームに変化を与える

 さらに違う視点もありうる。

 それは単純に人口の問題である。日本では少子高齢化が進み、現在では50代前後の人口が最も多い。

 より多くゲームを売るときの手段としてまず考えられる方法はなんだろうか? そう、ボリューム層に向けたゲームを作ればいいのである。

 ファミリーコンピュータが発売されてからすでに40年以上が経過しており、当時ゲームに親しんでいた人々も、もうすっかりいい大人。使えるお金も多いはずである。となれば、そういった人たちに向けた作品が出るのは道理である。

 しかし、これには良い側面と悪い側面があることを理解しておきたい。

 需要に沿った作品が発売されることは素晴らしいし、古い作品を若い人たちが楽しめるチャンスにもなるだろう。あるいは昭和レトロのように、時代が異なるものを今の目線で見た新鮮さを楽しむ可能性もある。

 ただ、ノスタルジーが必ずしも価値の再発見・再評価となるわけでもないのだ。

 スーパーファミコン向けタイトルのリメイク作品であるは、懐かしさを感じてもらうためか、ストーリー部分はなるべく原作を作り変えないという選択をとった。

 しかし、レトロゲームをそのままリメイクしようとすると、齟齬が発生する。

 たとえば、昔は解像度の低いドット絵だったので、細かい部分はユーザーがある程度自由に解釈して楽しめていたわけだが、3Dグラフィックで精巧に描かれるとそうはいかない。ストーリーも昔は大雑把で許されたが、いまはそうもならないのである。

 そして、『聖剣伝説3 TRIALS of MANA』は、そのストーリー面が奇妙なことになっているのだ。例として挙げられる場面はいろいろあるが、なかでも筆者が苦笑いしてしまったラストシーンを紹介しよう。

 ある主人公がラスボスにさらわれた弟を助け出そうとするのだが、実際に助け出す場面は描かれず、仲間から「私が助け出して送っておいたから」と伝えられるという雑な省略がなされ、打ち切り漫画のように急に話がしぼんでしまうのだ(これはオリジナルに忠実であるがゆえに発生している問題だ)。

 こういった“昔だからこそ許された雑な展開”を“現在の美麗な3Dグラフィック”でやられると脱力してしまうわけだ。

リメイク自体は良くも悪くもなく、足を止めることに問題がある

 一方で「原作そのままだからこそ懐かしくてよい」と解釈するユーザーもいる。

 もちろん、懐かしむ行為自体はなんら悪くない。しかし前述のようにビデオゲームは進歩の早い文化であり、それこそ数年でゲーム機が代替わりするように、常に変化を続けている。インターネットやスマートフォンの登場によってビデオゲームは大きく変化したし、ARやVRといった技術が生まれれば、それを活用しようと柔軟に態様を変えるものなのである。

 にもかかわらず「古いものこそがよい」といった考えに囚われてしまえば、ビデオゲームは進歩を捨て去ることになり、同時に新しい層も開拓できず、単なる古臭いものに成り下がってしまうだろう。

 改めて書くが、リメイクが良い悪いという話ではない。ただの懐古に過ぎないものはビデオゲームと相性が悪い、というだけである。リメイクでありながらも進歩したゲームはあり、たとえば「バイオハザード」シリーズのリメイクは懐かしさと新しさを両立した作品として世界から高い評価を得ている。

 いずれにせよ、新しい商品を出すための都合、ビデオゲームの文化としての成熟、そしてゲームを好む高めの年齢層の人々が増えた……といった要因から、今後もさまざまなリメイクやリマスターが出続けるのは間違いない。ビデオゲームもまた、若くない文化になりつつあるのだ。

(渡邉 卓也)

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