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「男の名字を名乗るのも、女の名字を名乗るのも平等とはいえない」“夫婦同姓”に疑問を投げかける、福沢諭吉の意外な主張

文春オンライン / 2024年7月31日 17時0分

「男の名字を名乗るのも、女の名字を名乗るのも平等とはいえない」“夫婦同姓”に疑問を投げかける、福沢諭吉の意外な主張

写真はイメージ ©︎moonmoon/イメージマート

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 日本では結婚後に夫婦どちらかの姓を選ぶ「夫婦同姓」制度が採用されています。しかし、2022年の厚生労働省の調査によると、結婚した夫婦の94.7%が男性側の姓を選択しており、「選択的夫婦別姓」制度導入を望む声は年々高まっています。

 ここでは、社会学者の阪井裕一郎さんが「結婚」の常識を問う 『結婚の社会学』 (筑摩書房)から一部を抜粋して紹介します。そもそも日本の歴史において「夫婦同姓」はいつ始まったのか。福沢諭吉が提唱した意外な案とは――。(全4回の4回目/ 最初から読む )

◆◆◆

 基本的に、明治以前は庶民が苗字をもつことは許可されていませんでした。江戸時代は、「苗字帯刀御免」といわれ、苗字を名乗ることは帯刀とともに武士階級の特権でした。百姓や町人は、幕府や領主の許可がなければ苗字を公称することができなかったのです。

夫婦同姓はいつから始まったか

 明治時代に入って、政府はこうした身分特権を否定する政策をとります。1870年に「自今平民苗氏被候事」という太政官布告が出され、平民も苗字を公称することが認められました。

 明治政府は、不平等条約の改正などの対外的な事情によって、強力な中央集権国家を建設する必要に迫られていました。徴兵や治安維持、教育などの必要から国民すべてを「戸籍」を単位として掌握するため、氏と名で特定することが求められたのです。

 ここで戸籍作成のためにすべての国民が姓を名乗ることを義務づけたわけですが、これは「夫婦の姓」ではなくあくまで「家の姓」だという点も重要な点です。姓は家を示し、名は家の中での個人を判別するものになりました。

 このころより、一度決まった戸籍に届けた氏を変えることは禁止されます。

 それまでは、名字も名前も気軽に変えることはありふれたことだったのです。日本には人生の節目ごとに名を改めるという慣習も多く存在していました。生涯を通して複数の名前をもつことは、まったく珍しいことではありませんでした。

 明治初頭におこなわれた民法編纂の過程では、政治家や専門家のあいだで姓の規定をめぐって議論が闘わされましたが、初期の議論では、姓は生涯変わらないとすべきという考え方が優勢でした。

 たとえば、1872年の司法省による民法草案『皇国民法仮規制』の第40条では、男女ともに婚姻後も氏を変更しないと規定されています。それから約20年後の1891年の司法省指令においても、女性は結婚後も生家の氏を名乗るという規定は残っています。つまり、妻の氏についての明治政府の政策は、それまでの慣習にしたがって実家の氏に固執していたわけです(井戸田博史『夫婦の氏を考える』)。

 1898年の民法により、ここで初めて一戸籍同一氏(同じ戸籍なら同じ氏)が確立します。民法制定を機に、夫婦は結婚後同じ姓を名乗るべきだとする、現在まで続く夫婦同姓原則が法制化されたわけです。

 同性を採用した理由のひとつが、不平等条約の改正でした。欧米、特にドイツの法律を模倣した部分も大きいのです。

 こうした政府の動きに対しては、儒教的道徳を重んじ、別姓を伝統としてきた旧武士層から多くの反発が生じます。家や伝統を破壊するといった批判や、西洋への同調に対する批判が噴出しました。

 現在の、選択的夫婦別姓制度を「伝統の破壊」や「西洋への追従」とみなす夫婦別姓に対する批判と真逆の構図ですね。

福沢諭吉が提唱した「新苗字」

 参考までに、福沢諭吉が「日本婦人論」(1885)という論考で、「新苗字」を提唱していたことも紹介しておきましょう。

 福沢は、封建社会を批判し、近代化の必要を繰り返し説いた思想家ですが、家の継承こそ封建的な身分制度の基盤だと考えていました。家の系譜を重視するのは身分制の悪しき慣習だと考えたのです。

 福沢は、その解体のために夫婦は結婚したときにふたつの苗字を合体させ、まったく新しい苗字を作るようにすべきだとして、次のように書いています。

 ……人生家族の本は夫婦にあり、(……)新婚以て新家族を作ること教育の当然なりとして争うべからざるものならば、その新家族の族名すなわち苗字は、男子の族名のみを名乗るべからず、女子の族名のみを取るべからず、中間一種の新苗字を想像して、至当ならん。(……)かくのごとくすれば女子が男子に嫁するにもあらず、男子が女子の家に入夫たるにもあらず、真実の出会い夫婦にして、双方婚姻の権利は平等なりと云うべし。

 福沢に言わせれば、結婚して男の名字を名乗るのも、女の名字を名乗るのも平等とはいえない。二人の名字を合体させて夫婦が新しい名字を名乗ってこそ、「〇〇家世代云々……」といった身分制度の名残は消えるだろうというのです。

 福沢は、同姓か別姓かという二元論を超える議論を展開していたのです。

 この案が採用されることはありませんでしたが、今でも夫婦で新しい姓を創出するのがよいという「夫婦創姓」の主張は存在します。

夫婦別姓をめぐる裁判

 戦後に家制度が廃止され、妻が夫の家に入るという「入籍」の結婚形式はなくなっていき、結婚した際に新たに夫婦単位で戸籍をつくるようになります。

 夫婦の姓について、民法750条は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」とされました。

 実は、戦後の民法改正の過程では、最初、日本政府は「夫婦は夫の姓を名乗る」という案を提出しています。しかし、GHQの司令部から、夫の姓を名乗るという規定は「両性の平等に反する」と批判され、結局「夫又は妻」になったのです(我妻榮編『戦後における民法改正の経過』)。

 夫婦同氏の原則を踏襲することになったものの、結婚の際に「協議」によってどちらの姓にするかを選ぶようになった点は大きな変化でした。

 しかしながら、現在でも全夫婦の約95%が夫の姓を選択しているわけです。

 1990年代初頭から高まった「夫婦別姓の法制化」を含む民法改正論議は、改正間際までいきながら頓挫し、現在に至るまで実現されていません。

 2011年には、夫婦同氏制が憲法や女性差別撤廃条約に違反するとして、事実婚カップルを含む5名の原告が東京地裁に提訴をおこないました。

 しかしながら、2015年、最高裁大法廷は、これを「国会で論ぜられ、判断されるべき事柄」として、民法の夫婦同姓の規定は「憲法に違反しない」という判決を出しました。ちなみに、民法750条を合憲と判断した裁判官は10名、違憲と判断した裁判官は5名であり、15名中3名の女性裁判官の全員が「違憲」と判断していました。

 2021年6月には、再び最高裁大法廷は夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定を憲法24条に違反しないと判断しました。

 最高裁大法廷決定の趣旨では、2015年判決以降に女性の就業率の上昇や管理職に占める女性割合増加などの社会変化があったこと、選択的夫婦別姓制度の導入に賛成する人の割合が増えるなど国民の意識の変化があったことを認めつつも、「これらの諸事情を踏まえても、大法廷判決の判断を変更すべきものとは認められない」と記し、「夫婦の姓についてどのような制度を採るのが立法政策として相当か」という問題は国会で議論し、判断すべき事例だとしています。

(阪井 裕一郎)

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