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9歳の伊藤沙莉は「近寄りがたいほどの天才子役」だった…21年後、朝ドラヒロインになっても変わらぬ“わきまえない魅力”

文春オンライン / 2024年7月23日 9時0分

9歳の伊藤沙莉は「近寄りがたいほどの天才子役」だった…21年後、朝ドラヒロインになっても変わらぬ“わきまえない魅力”

伊藤沙莉さん ©文藝春秋

 “朝ドラ”こと連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)の人気は、伊藤沙莉の魅力に依るところが大きい。

 彼女が演じているヒロイン寅子は、女性ではじめて裁判官になった三淵嘉子をモデルにした人物。決して周囲に媚びず、我道を行く信念の人で、上司にも言いたいことをぶちまける。法律では男女平等になったとはいえ、やっぱり男性が優位だった戦後、誰に遠慮することなく自分の意見を声に出す。

 判事となった寅子は、娘と実弟と義姉とふたりの甥と5人の食い扶持を稼ぎだし、まるで家長のような存在になった。家事は義姉に頼り、仕事でお酒の席に参加して帰宅が遅くなった上にお酒の匂いをさせていたり、やりきれないことがあると「あーーーー」と絶叫したりなど、こういう人が実際にそばにいたら、ちょっと苦手かもというところもあるにはある。

 だが、今や朝ドラ名物になった、SNSでの視聴者による「#反省会」の俎上にたびたび上がってしまうような自由でワイルドな振る舞いは、伊藤沙莉だからぎりぎり許容できるのだ。「仕事行きたくなーい」と畳の上を転がりまくる伊藤の所作は見事だった。

彼女の好感度の理由

 かつて、『ミステリと言う勿れ』(フジテレビ系 22年)で、伊藤が原作とはだいぶキャラ変をした役(風呂光さん)を演じていたときも、キャラが変わったことへの疑問はあれど、演じた伊藤までがネガティブな反応の海に溺れることは回避された。ともすれば、演じる役のイメージに自身の印象が影響されかねないところを、伊藤には、そうならないようにきっちり本人のキャラと役をしっかり切り分ける技量があるのだ。

 朝ドラヒロインは、俳優が懸命に演じているという純度が優先になることが少なくない。そんな中で、高度な技量によって喜劇的な部分もきっちり演じられたのは藤山直美と安藤サクラと伊藤沙莉くらいであろう。

 伊藤の好感度の理由のひとつは、ふだんから、『虎に翼』における「スンッ」にあたる澄ました顔をしていないことがある。俳優やタレントはどうしたって、芝居においても愛想を振りまくものだけれど、伊藤はそれほどニコニコ笑顔を振りまいているふうにも見えない。つねに自然体である。『虎に翼』の寅子もヒロインであるにもかかわらず、いつも眉間にシワを寄せている。こういう朝ドラヒロインはあまり見かけない。

当て書きでは、と思うほど重なる伊藤と寅子

 寅子には厳然たるモデルがいるが、一部、伊藤沙莉の当て書きではないかと思う節がある。

 2021年に出版された彼女のフォトエッセイ『 【さり】ではなく【さいり】です。 』(KADOKAWA)を読むと、けっこうワイルドな人なんだなと思う。例えば、「仲間はずれ」の章には、誰かに悩みを相談したとき、「もっとほかに苦しい人もいるよ」的なことを返されると「知るか」と思うと書いている。これについての彼女なりの真摯な考えは、エッセイをちゃんと読んでほしいのだが、「私は私のキャパで生きている」「苦しいって思っているんだから苦しいんだよ」という、相対化ではなく、つねに自分の物差しで生きるという考え方には大いに共感する人も多いのではないだろうか。

 この伊藤のエッセイを読んで筆者は、『虎に翼』で寅子が妊娠中もがんばって仕事をしていたら、恩師・穂高(小林薫)にいったん休むことを提案され、ものすごく絶望したエピソードを思い浮かべた。穂高はよかれと思って言ったことを、そんなに激しく拒否することもないのでは、という視聴者の感想もあった。しかしエッセイを読むと、寅子は自分がやりたいことをできないことに苦しんでいるのだから、「仕事は一旦休めばいい」という一般論では片付けられないのだ、それが個人の尊厳を守ることなのだと理解できる。

 モデルとなった実在の人物がここまで主張する人だったかはさておき、伊藤が演じる寅子が「わきまえない女」だと支持されるのも納得だ。

女性の役割から解放された「新しいヒロイン像」

 我道をゆく姿が似合う伊藤沙莉は、どのようにして朝ドラヒロインまで上り詰めたのか。人気に火がつきはじめたのも、実は朝ドラがきっかけだった。2017年の『ひよっこ』で演じた米屋の娘・米子役で注目された。恋のひとり相撲をとり続けるコメディリリーフ的存在で、非モテキャラを痛々しくなく、ほどよく愛らしく演じきった。その後、2021年の『いいね!光源氏くん』(NHK)では、転生してきた光源氏(千葉雄大)に恋する、地味で自尊感情の低い現代人のヒロインに抜擢され、新しいヒロイン像を求める時代のロールモデルとなった。

 伊藤沙莉に重ねる新しいヒロイン像とは何か。例えば『ミステリと言う勿れ』で伊藤が演じた風呂光は、主人公に心酔するような、原作といささか違うキャラになっていた。原作の風呂光は主人公に「おじさんたちって 特に権力サイドにいる人たちって 徒党を組んで 悪事を働くんですよ(中略)でもそこに 女の人が一人混ざっているとおじさんたちはやりにくいんですよ 悪事に加担してくれないから(後略)」と言われ、でも女性は個人だとおじさんたちに取り込まれたり脅されたり排除されてしまうので、「男でも女でもないもう一種類の生き物――おじさんたちを見張る位置にいてください」と言われる。

 いわゆる、これまで女性の役割と思われていた様々なことから解き放たれること。場に彩りや花を添える、みたいなことでは決してない存在。やりたいことをやりたいように自由に言ったりやったりできる人――それが伊藤沙莉に求められているのではないだろうか。その究極の存在・寅子についにたどりついたのだ。伊藤沙莉が2003年にデビューしてから21年が経っていた。

俳優デビュー時の印象は「近寄りがたいほどの天才子役」

 伊藤沙莉が連続ドラマ『14ヶ月 妻が子供に還っていく』(03年、日本テレビ系)で俳優デビューしたとき、まさに天才子役の出現といった印象で、ちょっと近寄りがたいほどの才能やムードを発していた。原作者の市川たくじは、DVDのインタビューで「存在感がある」と褒めている。もうひとりの子役・菅野莉央と並んで「大人の役者がたじたじ」となりそうなほどの演技で、このふたりの「2ショットを生み出したのは価値ある」「年季の入った女優さんの一騎打ちのようだ」と大絶賛だった。ほんとうに、このふたりは神童のようであったのだ。

『14ヶ月』で伊藤が演じたのは、単なる等身大の9歳の少女役ではない。心は大人、身体は少女という難役であった。

 主人公・裕子(高岡早紀)の友人・ナツキは若返りの薬を開発中に9歳の子供に若返ってしまう。そして、その薬を裕子も飲んでどんどん若返ってしまう。はたして元に戻れるのか? という寓話的なドラマだが、若返ったナツキを演じる伊藤の存在感はファンタジー感がなく妙に乾いている。

 当時9歳の伊藤は、当然、少女なのだが、セリフまわしがいまと変わらない。ちょっとかすれた声も、わりとぶっきらぼうな言い方も、表情をあまり変えない冷めた顔つきも口ぶりも、小さく寄せた眉間のシワもすでに21年前に確立されていた。まるで、いまの伊藤沙莉が少女の伊藤沙莉に憑依しているようなのだ。子役は大人に演技を教わるから、大人びた口調になりがちとはいえ、ここまで個性を作りあげていたとは末恐ろしい。

 子役のときに凄まじすぎると、成長したときに、ありがたみがなくなってしまうというのか、子役から大人にうまくシフトする俳優は多いとはいえない。だが伊藤沙莉はそのジンクスにはまらない。媚びない、大人びた子供のような、どこか妖精のような、性別や年齢に囚われていない唯一無二の存在になった。

『ミステリと言う勿れ』の主人公の言う“別の種類の生物”的な存在として。子供でも大人でも、いつだって、「私は私」なのだという覚悟を、9歳のときから備えていたのだ。これからもっとおばさん、そしておばあさんになっても、伊藤沙莉には何もこわいものはないだろう。

(木俣 冬)

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