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湘南新宿&上野東京ライン“ナゾの終着駅”「高崎」には何がある?

文春オンライン / 2024年7月22日 6時0分

湘南新宿&上野東京ライン“ナゾの終着駅”「高崎」には何がある?

湘南新宿&上野東京ライン“ナゾの終着駅”「高崎」には何がある?

 東京の人は、北関東といったら宇都宮と高崎が二大都市だと思っている。

 どちらも誰もが聞いたことのある都市だし、それぞれ宇都宮線と高崎線という路線があるし、ともに新幹線のターミナル。だから、北関東の町を挙げろといわれたら、だいたいの東京人が宇都宮か高崎と答えるに決まっていると思う。

 で、それは別にまったく間違いではなくて、宇都宮市は人口約51万人、高崎市は約37万人。北関東の都市ではトップ2だ。宇都宮市はいうまでもなく栃木県の県庁所在地である。そしてナンバー2の高崎市ももちろん群馬県の県庁所在地……といいたいところだが、さにあらず。群馬県の県庁所在地は、前橋市なのだ。

 前橋市とて約33万人の人口を抱えているのだが、高崎のほうがどうにも印象が強い。新幹線のターミナルということ、また高崎線という路線があることが大きな理由だろうか。おかげで、高崎が群馬県の県庁所在地だと勘違いする向きもある。とにもかくにも、高崎という町は、かなりの存在感を持っているのだ。

 そういうわけで、県庁所在地でもいいのになぜかそうではない町、高崎にやってきた。

湘南新宿&上野東京ライン“ナゾの終着駅”「高崎」には何がある?

 東京駅から高崎駅までは、上越・北陸新幹線(どちらに乗っても大丈夫)で50分ほど。ちなみに、上野東京ライン直通の高崎線、つまり在来線だと2時間はかかる。新幹線の威力というのは、それほどの長距離でなくても充分に感じられるものなのだ。

 ともあれ、高崎駅だ。さすが新幹線のターミナル、そして北関東第二の都市の玄関口。実に立派な駅舎を持っている。新幹線は高架に、在来線は地上にホームを持ち、改札口を抜けた先ではそのまま駅ビルの商業施設に通じている。出入口は東と西にあるが、どちらも大きな駅前広場を取り囲むようにペデストリアンデッキが広がっている。

 高崎駅の東と西、どちらが中心市街地なのかと地図を見ると、市役所があるのは西口だ。ということは、きっと西口が“正面”に違いない。

そういうわけで西口に出る。まっすぐ延びる大通りの先にひときわ高いビルが…

 そういうわけで西口に出ると、ペデストリアンデッキからはアパホテルやオーパ、高島屋といったホテルや商業施設に直結している。高島屋がある町というのは大都市だと相場が決まっている。その上駅直結のオーパまであるのだから、やはり高崎はビッグな町にまちがいないのだ。

 高崎駅西口の駅前広場から、まっすぐ西に延びる大通り。この目抜き通りをしばらく辿ってゆくと、右にグイッと大きくカーブする。その先にひときわ高いビルが見えてくる。

 地上21階、高さ102.5m、高崎市役所の庁舎だ。なんでも、前橋市にある群馬県庁舎153.8mに次ぐ、群馬県では2番目に高いビルなのだとか。さらにいうと、政令市を除けば日本で一番背の高い市役所でもあるという。このあたりからも、高崎という町の大きさがうかがえるというものだ。

 高崎市役所の周りには、音楽のホールから大きな病院、保健センターに郵便局、裁判所と、文化・行政・医療機関が集まっている。ザ・シビックセンターといったところだ。イベント会場にでもなりそうな広い公園もある。

 少し高崎駅側に寄れば、地場の百貨店であるスズラン百貨店。百貨店の周辺が、高崎ではいちばんの繁華街、ということなのだろう。ここに県庁舎が置かれていてもなんの違和感もなさそうだ。が、あいにく高崎は県庁所在地ではない。

ショッピングセンターまわりの「お城の気配」

 高崎市役所周辺のシビックセンターは、かつて高崎城があった場所だ。周囲を歩くと、高崎城の痕跡がところどころに残っている。

 お堀の跡とおぼしき水路があったり、その脇には石垣のようなものもあったり。乾櫓もあるし、そもそもスズラン百貨店の脇道は「お濠端通り」という。シビックセンターの西側には碓氷川が流れているから、往時は碓氷川もお濠がわりになっていたのだろうか。

 現在の高崎市内を含む周辺一帯は、戦国時代には武田・上杉・北条による領土争いの最前線。武田と北条が滅亡してからは、家康の重臣・井伊直政が入っている。このとき、直政は榛名山の南麓にあった箕輪城から拠点を移し、高崎城とその城下町の整備に取り組んでいる。これが、高崎の町の興りといっていい。

 直政は関ケ原の戦い後に軍功を評価されて彦根に移り、以後の高崎は譜代の有力大名が入れ替わり立ち替わり。加えて中山道の宿場街という機能もあり、参勤交代をはじめとして多くの人が行き交う町だった。高崎周辺からは草津や日光に向かう道筋も分かれていて、北関東きっての要地になっていたようだ。

 明治に入ってもそうした要所としての役割は変わらない。それどころか、さらに存在感を高めてゆくことになる。

 1872年には、高崎の郊外、現在の富岡市内に富岡製糸場が開設される。1884年には、西南戦争に伴って歩兵第15連隊が編制され、その根拠地になった。連隊が置かれた場所は、いまの市役所一帯、高崎市役所の跡地だ。

いよいよ駅がやってくるも、県庁所在地には一瞬しかならず…

 そして、この年1884年には鉄道がやってくる。高崎駅の開業である。

 高崎線と高崎駅は、当時の私鉄、日本鉄道の第一期線とその終点として開業した。富岡製糸場を中心に、古くから養蚕業や製糸業が盛んだった上州一帯。鉄道を通じて横浜から生糸を輸出し、外貨を獲得しようという国家的な大目的に資するための鉄道だった。

 その後、高崎駅からは信越本線や上越線が分かれ、さらなる交通の要衝に育ってゆく。というよりは、江戸時代からの要衝が形を変えて近代以降もますます栄えた、というほうが正しいのだろう。高崎という町は古くから上州一帯の中心的な都市であり、物資の集積地であり続けていたのである。

 ただし、県庁所在地という立場は得られなかった。

 明治のはじめ、つまり鉄道が通ったり連隊が置かれたりしている時期に、県庁舎の場所は群馬と前橋を行ったり来たりしている。1871年に最初の群馬県が成立した時点では高崎に。しかし翌年に前橋に移り、さらに1873年には熊谷県になってしまう(熊谷県の県庁は熊谷だ)。

 1876年に再び群馬県ができると、このときも県庁はまず高崎だった。ところが、1881年にまたも前橋へ。高崎の人々は県庁移転の知らせに憤怒し、訴訟にも発展している。その後も何度か高崎に県庁を、という動きはあったようだが、いまに至るまで実現していない。

 県庁所在地を巡る隣町同士の軋轢というと、埼玉県の浦和VS大宮が思い浮かぶ。が、似たようなことは群馬県でも起きていた、というわけだ。

 ともあれ、高崎は県庁所在地であろうとなかろうと、存在感が薄れることはなかった。鉄道の要衝になったことも大きいし、それによって物資や人が集まってくることも大きかった。

 おかげで、駅の西口から歩兵連隊の置かれた旧高崎城までの一帯(ここを中山道も通っている)は、商業エリアとして発展する。そんな往年の賑わいの面影は、いまも高崎の町のあちこちに残っている。

 駅前のオーパや高島屋、中心市街地のスズラン百貨店も商業都市・高崎の一面を教えてくれるし、スズラン百貨店脇の道を北にゆくと「中央銀座通り」というアーケードも待っている。

「とてつもないほどレトロ」なアーケード街を歩く

 中央銀座通りのアーケード、これがまたとてつもないほどにレトロだ。シャッターが下ろされたままの店が多いのはどこの地方都市でも見られるおなじみの光景だし、ところどころにスナックやクラブの類いがあるのもまあ時代の流れ。

 ただ、営業を続けているいくつかの店は、まるで昭和の中ごろで時間が止まっているかのようなオーラを放つ。レトロ一徹のアーケード。北側に進むと、「TAKASAKI Retro Avenue」と掲げられていた。レトロさは、古くささとは一線を画する魅力なのだ。

 レトロなアーケードから脇道に入ると、高崎電気館というこれまたレトロな映画館があった。1913年、高崎市内ではじめての常設映画館として開館したのがはじまりだという。場所の移転や建て替えを経て2001年にいったん閉館したが、2014年に高崎市地域活性化センターとして再オープン。いまや、高崎の文化発信基地になっている。

 高崎電気館からさらに進んで路地に入り込めば、こちらには小さなスナックや、ちょっぴりいかがわしい方面の店がひしめくザ・昭和の歓楽街。その先のメイン通りには柳の木が植えられていて、その名も「柳通り」という。

 この一帯は柳川町といい、江戸時代には武家屋敷だったが近代以降には遊郭が建ち並ぶような遊興地だったという。群馬県は全国ではじめて公娼制度を廃止した県だが、柳川町には私娼として遊郭が残って営業を続けた。

 兵隊さんがたくさん暮らす軍都であり、物資が集まる商業都市でもある。そういう背景から、往年の柳川町の賑わいは相当なもので、「北関東の吉原」などと呼ばれていたそうだ。

 さすがにいまでは、遊郭街というにはムリがあるが、こうしたレトロなアーケードや歓楽街も、高崎という町の偉大なる存在感をうかがい知ることのできる、いまに残る街並みのひとつといっていい。

「高崎は群馬県の、そして前橋の玄関口でもあるというわけだ」

 高崎をいまだに北関東第二の都市たらしめている大きな要素のひとつ、高崎駅。今年で開業140周年を迎える。駅ビルには、誇らしげに「140周年」と掲げられていた。

 開業以来、高崎駅は群馬県の玄関口であり続けてきた。県庁所在地の座は前橋に明け渡したが、その前橋とて高崎を通らなければ行くことができない。言い換えれば、高崎は群馬県の、そして前橋の玄関口でもあるというわけだ。

 だから、というわけでもないのだろうが、高崎駅は群馬県のキャラクター・ぐんまちゃんと大コラボを展開していた。新幹線のコンコースではぐんまちゃんのグッズショップが出ているし、東口の駅舎にはぐんまちゃんが描かれて「ぐんまちゃん駅」などと掲げられている。

 まるで、高崎こそ群馬と言わんばかり。でも、これって前橋の人から見たら、心穏やかではいられないのではなかろうか……などといらぬ心配をしてしまうのであった。

写真=鼠入昌史

(鼠入 昌史)

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