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1998年の優勝に泣いた父と、突然ベイスターズファンになった私

文春オンライン / 2024年7月20日 11時0分

1998年の優勝に泣いた父と、突然ベイスターズファンになった私

DeNA・牧秀悟 ©時事通信社

※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2024」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】石渡 朋 横浜DeNAベイスターズ

神奈川県座間市に生まれるも地元愛はゼロ。でもベイスターズを好きになったことにより、神奈川も悪くないと思い始めた今日この頃。麻雀仲間の編集者には野球ばっかりで仕事してるの?と心配されるぎりぎりカメラマン。狙うは逆転サヨナラホームラン。

◆ ◆ ◆

 冬に離婚をして、猫を連れて実家に帰った。暖かくなってきたなぁと思ったらテレビからは毎晩ベイスターズ戦が流れ出した。ああ、そうだった。こういう家だった。

 ある日、麻雀から帰ると、試合後にベンチに残った選手が客席から誕生日を祝われていた。「この牧って選手、24歳だけど老けてるから42歳ってからかわれているんだよ」と母が嬉しそうに話していた。

 私の麻雀は負けたけど、ベイスターズは勝ったようだった。

 6月、ひと月ほど謎の体調不良に悩んでいた父に癌が宣告された。

 原発の肺よりも転移先の脳に20数箇所の腫瘍があり、何もしなければ余命は3ヶ月、治療をしても毎日覚悟が必要とのことだった。

 これはきっと無理だな。でも父は生きる気でいる。父の詳しい歴史をもっと聞いておきたかったけれど、もうすぐ終わりだよと言っているようでできなかった。

姉に誘われて久々の野球観戦へ

 父が3度目の入院をしている間、姉にベイスターズのシーズン最終戦に誘われた。母も私も父の介護に疲れ切っていて、息抜きに、と神宮球場に足を運んだ。外苑前駅近くのHUBで姉家族と落ち合い、ビールを飲んで球場に向かう。

 狭い歩道に充満する高揚感にあてられて、すっかりワクワクしている自分が気恥ずかしかった。野球観戦なんて何十年ぶりだろう。

 久々に味わう開放感と楽しさに身をまかせて、立て続けにビールを5杯飲み、気がつけば母の膝枕で寝ていた。

 村上という選手が56本目のホームランを打ったらしい。

 スワローズの3人の選手が引退の挨拶をしているのを寝ぼけ眼で見ていた。

 楽しかった野球観戦の翌月、4度目の入院の間に父は息を引き取った。

牧、ありがとう。こんな気持ちは知らなかったよ

 年が明けて3月、それまでの自分なら見なかったであろうWBCをほんの出来心で見始めた。

 それからは早かった。何かに憑かれたように選手が出ているSNSを見て、選手名鑑を買い、グローブを買い、ベイスターズのファンクラブに入った。

 選手の出身校や交友関係を嬉々として話し出す私を見て、母は慄いていた。

 毎日母と野球中継を見ることが習慣になって、仕事の時や友人と会う時にはトイレに行く度に一球速報をチェックした。

 子供の頃からホエールズもベイスターズも弱いチームだと教えられてきたから、4月に4年ぶりの首位に立つもすぐにその座を明け渡した時には、「ああ、やっぱりね」と、どこか懐かしく、なんだか妙に安心してしまった。だからその後の快進撃で交流戦優勝を果たし、リーグ戦再開後の阪神戦で3タテを食らわせて再び首位に返り咲いた時には信じられないような気持ちだった。私の信じる気持ちが足りなかったせいか、最大で12あった貯金は8月を迎える頃には4しかなくなり、試合を淀んだ目で見ることが増えていた。

 8月4日の阪神戦、5回を終えて0-1の1点ビハインド。たかが1点されど1点。試合は全く動かず、今日もダメかと心が荒み始めた6回裏、牧が村上頌樹から2ランホームランを放った。うなだれる村上、盛り上がる球場、叫びながらハイタッチする71歳の母と40歳の出戻り娘。涙が出そうだった。牧、ありがとう。本当にありがとう。こんな気持ちは知らなかったよ。結局その試合は負けてしまったけれど、8月に牧は7本のホームランを打ち、そのうちの5本は胸のすくような素晴らしい5本で、9月に私は牧のユニフォームを買った。

母が生きている間にはもう一度くらい見れるだろうか

「俺トイレで泣いたよ」と、父は言っていた。1998年、ベイスターズが優勝したその翌朝か、数年後かにその感想を求めた時だったか、記憶はさだかではないけれど。「もう生きてるうちに優勝は見れないかもね」なんて笑っていたら、本当にそうなってしまった。

 母が生きている間にはもう一度くらい見れるだろうか。

 その時はきっと私も泣くだろう。

 小学生の頃に、クラスの男子が遊んでいるプラスチックのバットを私も欲しいとねだったら、父は赤い木製のバットを買ってきた。こういうのじゃないんだよとふてくされていたけれど、そのバットに慣れる頃にはプラのバットは軽すぎて、うまく扱えなくなっていた。そのバットはもう今の私には短くて、姉と参加するようになった草野球にも持って行けない。でも手放すこともできなくて、いつか来る1人で暮らす時に、お守りとして玄関先にでも置こうかと思っている。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム フレッシュオールスター2024」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://bunshun.jp/articles/72201 でHITボタンを押してください。

(石渡 朋)

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