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「被災者の役で7キロくらい痩せてしまいました」瀧内公美(34)の進む道を決めた“代表作との出会い”《思い出すだけで涙が出る壮絶な撮影》

文春オンライン / 2024年7月27日 11時0分

「被災者の役で7キロくらい痩せてしまいました」瀧内公美(34)の進む道を決めた“代表作との出会い”《思い出すだけで涙が出る壮絶な撮影》

〈 《大河ドラマ「光る君へ」で源明子役を熱演》「今日もうまくいかなかったの繰り返しで…」瀧内公美(34)がブレイク前夜に感じていた“社会へのいら立ちと反発” 〉から続く

 2016年『日本で一番悪い奴ら』で注目を集め、着々と地歩を固めていた 瀧内公美(34) はその後、代表作とも言うべき『彼女の人生は間違いじゃない』に出会うことになる。そこで彼女が感じたこと、そして得たものとは……。「思い出すだけで涙が出てくる」という壮絶な撮影現場を振り返る。(全3回の2回目/ 第1回 、 第3回 を読む)

◆◆◆

「インプットもアウトプットも足りない」と必死に勉強した日々

――2016年の映画『日本で一番悪い奴ら』は、瀧内さんが注目を浴びるきっかけになった一作ですが、このころはどんな時期でしたか?

瀧内 アルバイトをしながら一生懸命やっていた時期で、まだなにが正解かわからないままやっていました。『日本で一番悪い奴ら』は抜擢していただいた作品です。でも脚本の読解力も、現場での瞬発力も、本当にまだまだだなって。感受性がただ強いだけで、技術が伴わなかったから、このころは駄目だったんですね。やっぱり現場が少ない、だからインプットもアウトプットも足りないんだと思いました。

――それでインプットを意識的に補っていった、と。

瀧内 はい。『月刊シナリオ』を買って熟読するとか、そのころから必死に勉強するようになったんです。『キネマ旬報』や『映画芸術』を読んだり、舞台挨拶で監督の話を聞いたりして。気になる作品を観て、シナリオ集を読んで、そのあと作品を観返す、ということをひたすらくり返していた時期もあります。この部分がこういう演技になるんだ、自分ならどうするだろうって、シナリオと作品を見比べて考えたりしていました。

代表作『彼女の人生は間違いじゃない』との出会い

――それは根気がないと、なかなか続かないことですよね。

瀧内 悔しかったんだと思います。そのころはもっとできると思っていたので。25、26歳ごろだったと思いますけど、女優はその年齢で淘汰されはじめて、30歳ごろにキャリアアップできずにいると引退することが多い気がするんです。そうならないために、さあ、どうすると思ったとき、私は大人になってからでもできる表現をしようと。

 だから学生服を着る役は絶対にしないでおこうと決めていました。制服を着ると、子役からやってきた方には経験値でかなわないし、20代は群雄割拠だから埋もれてしまう。制服が着られなくなった瞬間に、キャリアが終わってしまうような気がしたんです。

――そして2017年に代表作『彼女の人生は間違いじゃない』と出会います。

瀧内 『日本で一番悪い奴ら』の助監督だった方がテレビドラマを撮ったとき、私を呼んでくださったんです。そうしたらその現場の監督のひとりが、今度『彼女の人生は間違いじゃない』の助監督をするということで、オーディションに声をかけてくださって。

 でもオーディションというより、面談みたいな感じでした。私は廣木隆一監督に根掘り葉掘り聞かれて、どんどん暗い気持ちになり、泣きだしてしまった。終わって外に出た瞬間、やっと息が吸えると思うと嬉しくなって、スキップして帰りました(笑)。そのスキップする姿をマンションの屋上から見て、廣木さんは私にしようと思ったそうです。

「しんどかったしか出てこない」思い出すだけで涙が…

――福島の仮設住宅から、渋谷のデリヘルにアルバイトに行く主人公を演じた瀧内さんの演技は、すべてを振り絞ったような素晴らしい演技でした。

瀧内 それが廣木組のあり方だと思うんですけど、カメラが回らない日もありますし、どんどん追い詰められていくんですね。撮影中に7キロくらい痩せてしまって、これではシーンが繋がらないよって。それくらい追い詰められた現場でした。

 いちばんしんどかったのは実際の仮設住宅でロケをして、お隣にも被災した方が住んでいるようななか、自分の取り繕った感じが拭えなかったことです。私たちは宿泊先から仮設住宅に行き、撮影をして、また宿泊先に帰る。それが自分には耐えられなかったです。

 仮設住宅のおばあちゃんが「嘘をつかずに生きてくださいね」と言ってくださったのが忘れられません。でも映画は作りものじゃないですか? 私たちが撮影をする一方で、仮設住宅には自死する方もいらっしゃいました。しんどかった……しんどかったしか出てこないです。思い出すだけで涙が出てきます。

――やっとつかんだ主演作で、なんとか結果を出したいという気持ちもありましたか?

瀧内 そんなことを考える余裕はなかったです。普通は映画の主役だと、なんとしてでもこの作品でがんばろうと思いますよね。やってやるぞみたいな。でもこの作品に入ったときに、そういうことではないなと思いました。当事者にはなれない、でも当事者のように見せないといけない。毎日、死にもの狂いでしたね。

監督から「演技をするな」と言われて

――そんな状況だったからこそ、あの演技が生まれたのかもしれません。

瀧内 廣木さんからは「演技をするな」と何度も言われました。でも演技をしないということがわからない。「そのままでいればいい」「ちゃんと聞いて」と言われるけど、その意味がわからない。その役としてちゃんと聞くという感覚が、私のなかにはまだなかったんです。

 あらためて考えると、あの映画にはあのときの自分が映っていると思います。演技をしたというより、映し出してもらったというほうが近いかもしれません。むしろ演技は必要ないと、削ぎ落とされていったんでしょうね。カメラはずっと回りつづけていて、私はどこを切り取られているのかわからない。生身の自分が動物のようにそこに映っていただけだと思います。

事務所を辞めて新たなフェーズへ

――『彼女の人生は間違いじゃない』は絶賛を受けましたが、その後、高い評価を得る2019年の映画『火口のふたり』まで少しブランクがあります。なにがあったんですか?

瀧内 『彼女の人生~』のあと、当時の事務所を退社したんです。仕事がうまくできなくなってしまったんですね。現場でどうセリフを言えばいいのかわからない状態になってしまって。たぶん恐れとか、いろいろなことがあったんだと思います。

 それで演技の面白さを再び味わいたいと思って、アクティングコーチの方に付いて、イチから勉強しなおしました。現在の事務所に移籍したのも、新たにキャリアを重ねていこうと思ったからです。

『彼女の人生~』は内省的な作品でしたけど、アクティングコーチの方が心をこじ開けるようにして、解放することの喜びを教えてくれました。そして解放する喜びを覚えたあとの、第1弾の作品が『火口のふたり』だったんです。

――そこでフェーズが変わったんですね。

瀧内 はい、とても健やかになりました。もしあのまま行っていたら、ずっと自身の演技に悩み、鬱々としていたと思います。

撮影 丸谷嘉長
スタイリング 後藤仁子
​ヘアメイク 佐藤寛

INFORMATION

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〈 「濡れ場の悔しさは濡れ場で晴らすしかない」瀧内公美(34)が自らの身体で証明したかった“新たな道”《大胆な女優で終わりたくない》 〉へ続く

(門間 雄介/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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