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「それでいいのよ、と言われて…」下ネタを酷評され続けた清水アキラが明かす“ブルースの女王”淡谷のり子の素顔〈朝ドラ『ブギウギ』で再注目〉

文春オンライン / 2024年8月21日 17時30分

「それでいいのよ、と言われて…」下ネタを酷評され続けた清水アキラが明かす“ブルースの女王”淡谷のり子の素顔〈朝ドラ『ブギウギ』で再注目〉

淡谷のり子 ©文藝春秋

80年代、人気番組『ものまね王座決定戦』(フジテレビ)で、下ネタに厳しい評価を下す審査員がいた。NHKの朝ドラ『ブギウギ』でも注目を浴びた“ブルースの女王”淡谷のり子(1907〜1999)だ。中でも、特に酷評されていた清水アキラ氏が、その素顔を語る。

◆◆◆

「あんた帰りなさい」

 新しいネタを披露するたび、「淡谷先生はなんておっしゃるだろう」と気になっていました。ものまねを知らない世界の人から評価されてこそ、価値があるからです。

 審査員の持ち点は1人10点ですが、淡谷先生は僕にはいつも8点。よくて9点しかくれません。たまに真面目にやると、いつもの仏頂面がニコニコ顔に変わって「ちゃんとやればできるのよ」と褒められました。

 下ネタなしで研ナオコさんの『夏をあきらめて』をやったら、「それでいいのよ」と言われて、10点満点を頂戴しました。淡谷先生は機械が苦手ですから、いつも隣に座っている女優の生田悦子さんが、代わりに採点ボタンを押していました。あのときは、生田さんが間違えて10点を押してしまったという説もあるんですが、真相は違います。

 あとでお礼を言いに行ったら、淡谷先生は「間違えちゃった」とおっしゃった。ご自身がそう言うことで、話を面白く膨らませていたんです。本当は優しい人だけど照れ屋ですから、ぶっきらぼうなキャラを演じていらしたんですよ。

 本番前にスタッフもいる場所で、「先生、清水です。今日もよろしくお願いします」と挨拶したら、「あんた帰りなさい」と言われたこともあります。僕との関係性を踏まえて、厳しく振る舞っていらしたんでしょう。僕もその関係を保つために親しくお話しすることは控えました。

一緒にディナーショー

 でも実は、2人だけでディナーショーをやったことがあります。神奈川県の相模原でした。ところが、絡む場面がありません。お客さんは当然、僕がものまねをして淡谷先生からコテンパンにやられるところを観たいわけです。興行主も「ちょっとでいいから、お二人で話してください」とお願いしたんですが、先生は「それなら帰ります」。

 お考えはわかりませんが、馴れ合う姿を見せたくなかったのかもしれませんね。2回公演でしたけど、1回目のステージは僕が先にやって淡谷先生が後。2回目は「私が先にやる」とおっしゃったのは、早く帰りたかったんでしょう(笑)。

『ものまね王座決定戦』には、淡谷先生と僕の二人三脚みたいな面があったと思います。全員が笑っているままだったら、どんどんやり過ぎてしまい、ものまねというジャンルが飽きられて終わっていたかもしれません。厳しい淡谷先生が審査員にいて、初めて成り立っていたんです。お葬式に伺ってお別れをしながら、「淡谷先生との掛け合い漫才も終わったんだな」と感じました。先生が亡くなって、僕を𠮟って芸を磨いてくださる方もいなくなりました。

 昭和のテレビは、前例がないから全て手探りでした。ところが平成になる頃から、何をやってもパターンが見えてしまうようになった。みんなで面白いものを目指す時代を過ごせたことは、本当に幸せです。

本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています( 淡谷のり子 あんた帰りなさい )。
 

「文藝春秋 電子版」では、大特集「 昭和100年の100人 激動と復活編 」を展開中。昭和の忘れがたい人物100人の「本当の姿」を、意外な著名人、親族が紹介しています。

 

「 三島由紀夫 あそこだ、空飛ぶ円盤だ! 」横尾忠則
「 宮本常一 土佐源氏をアニメに 」鈴木敏夫
「 井伏鱒二 すげぇ小説 」町田康
「 力道山 俺の笑顔は千両だろ 」田中敬子(妻)
「 淡谷のり子 あんた帰りなさい 」清水アキラ
「 美空ひばり 錦之介さんの口紅 」石井ふく子

(清水 アキラ/文藝春秋 2024年8月号)

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