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「勝たなきゃダメです」めずらしく大勢の前で涙を流して…意外にも「政界進出に本気だった」堀江貴文の初出馬から敗北まで

文春オンライン / 2024年7月31日 6時0分

「勝たなきゃダメです」めずらしく大勢の前で涙を流して…意外にも「政界進出に本気だった」堀江貴文の初出馬から敗北まで

堀江貴文氏 ©文藝春秋

〈 フジサンケイグループ会長との面談に「一目で分かるほど酔っ払って」現れて…堀江貴文の“フジテレビ乗っ取り計画”失敗の裏側 〉から続く

 2006年1月、ライブドア代表取締役社長の堀江貴文氏(当時)が、証券取引法違反の疑いで逮捕された。虚偽があったとされたのは、2004年9月期の決算報告として提出された有価証券報告書である。

 粉飾決算から逮捕までのあいだにも堀江氏は、ニッポン放送の株を握ってフジテレビを買収しようするなど、様々な形で世間を騒がせていた。

 ここでは、ネット起業家たちの軌跡を追った杉本貴司氏のノンフィクション『 ネット興亡記 』(日経BP)から一部を抜粋。買収騒動でフジテレビから1500億円近い現金を得た堀江氏が、次なる挑戦の舞台に選んだのは意外なことに“政界”だった――。(全3回の3回目/ 最初 から読む)

◆◆◆

「選挙に出たい」

 まとまった資金を得た堀江とライブドアは、次にいったいどんな奇襲をしかけてくるのだろうか――。その出方に注目が集まるなか、堀江が選んだのは、誰もが思いも寄らない選択肢だった。フジテレビとの攻防戦から4カ月ほどが過ぎた8月19日、堀江は唐突に衆院選に出馬すると表明したのだ。

 時代の寵児と呼ばれ、メディアの支配まで目論んだIT起業家の意外過ぎる転身である。

 メディア事業戦略室長兼副社長ながらフジテレビとの攻防戦を経て、すっかり堀江の秘書役のようなポジションとなっていた園田(編注:園田崇。ライブドアの元メディア事業戦略室長兼副社長)には、予感があったと言う。

 それは衆院選への出馬表明から遡ること1カ月近く前の7月25日のことだった。この日、堀江と園田の姿は、東京・味の素スタジアムのスタンドにあった。「銀河系軍団」と称されたスター集団、レアル・マドリードのプレーをひと目見ようと集まった約3万人の観衆の中にいたのだ。堀江のお目当てはレアルのスーパースター、ジネディーヌ・ジダンだった。

 サッカーに関心がない堀江がなぜジダンなのか――。実はこの時、ライブドアはJリーグのベガルタ仙台を買収しようと、水面下で動いていたのだ。

 大株主である宮城県や仙台市とも交渉を進めていた最中だった。前年にはプロ野球への参入が頓挫したばかりだったが、スポーツビジネスが持つ広告の力を目撃して、メジャースポーツへの参入に並々ならぬ執念を見せていたのだ。どうせJリーグに参入するなら、世間にインパクトを残したい。そのためには誰もがあっと驚くようなスター選手を獲得するのが手っ取り早い。堀江がリストアップしたのが、レアルのスーパースターであるジダンだった。

 この試合、明らかにワールドツアーの疲れが見えるレアルは精彩を欠き、東京ヴェルディに3対0で敗れた。ジダンやロナウド、ベッカム、ラウールといったスター選手たちも後半になると次々とベンチに引っ込んでしまった。

 消化不良気味の試合を見届けた帰路の車中でのことだ。ラジオから当時の首相、小泉純一郎が推し進める郵政民営化に関するニュースが流れてきた。沈黙に耐えきれずにいた園田は、なんの気なしに堀江に聞いた。

「民営化をどう思いますか」

 どうせ堀江は政治には無関心だろうと思っていた。そもそも堀江はこの年の3月に出したばかりの『僕は死なない』という本の中で「ちょっと頭のいい人は、やっぱり政治家なんか、やりたくないでしょう。損だから。面倒くさいし。少なくとも僕は絶対やらない」とまで書いている。

 ところが、堀江は意外にも熱っぽい口調でこう返してきた。

「そもそもお金は天下の回りものだろ。こんなの絶対に民営化すべきだよ。小泉さんにはぜひ勝ってほしいよね」

 堀江は多くは語らなかったが、「痛みを伴う構造改革」を掲げ、「自民党をぶっ壊す」と言って空前の人気を誇った小泉に肩入れしていることは、すぐに理解できた。

 それから少したった8月初め。堀江とともにCM撮影の現場に向かう車中でラジオのアナウンサーが、小泉がいわゆる「郵政解散」を強行する考えであることを報じていた。すると、堀江は突然、同乗する園田につぶやいた。

「俺、選挙に出たい」

 何となく予感していたという園田は、あっさりと返した。

「出ればいいじゃないですか。だったら僕もお手伝いしますよ」

 なにごともないような口調だったが、園田はこの時の約束を守った。堀江が出馬を表明するとライブドアを休職して、選対本部長として堀江を支援することにしたからだ。

「社長退任」の条件を突き付けられて無所属での出馬に

 堀江の政界進出はすぐに実現に向けて動き始めた。

 8月15日夜10時ごろ、2人の大物議員が人目を忍んで六本木ヒルズにやってきた。 自民党幹事長の武部勤と、総務局長の二階俊博だ。二階は変装のつもりか阪神タイガースの野球帽をかぶっている。

「君は政治家になりたいのか」と、武部がストレートに聞いた。武部の息子は堀江の友人で、出馬の意向は伝わっていた。

「良い機会があればと考えていました」

 堀江が前向きな思いを伝えると、武部は自民党公認による出馬を打診した。

「まあ、でも政治家は大変だよ」

 会談は1時間半にも及び、武部と二階がヒルズを後にした頃には、日付が変わる直前になっていた。この堀江の出馬情報はすぐに報道陣の知るところとなった。翌日午前中、記者に囲まれた堀江は自民党から出馬を打診されたことをあっさりと認めたが、今度は民主党代表の岡田克也にも会いに行った。

 結局、岡田とは全く意見がかみ合わず、堀江は自民党から出馬する意向を固めた。だが、ここで一悶着があった。

 小泉の秘書官だった飯島勲が公認の条件としてライブドア社長を降りて会長となるよう求めたが、堀江は「それは受け入れられない」と反論した。この応酬は怒鳴り合いになったというが、やりとりを隣で聞いていた園田は「堀江さんは『株主は自分を信じて株を買ってくれている。だからここで辞めるなんていう無責任なことはできない』と、かなり熱い口調で突っぱねていました」と言う。結局、自民党による公認は諦めて無所属での出馬を決めた。

尾道での敗北

 堀江が相手に選んだのが、自民党を離党して国民新党を結成した亀井静香だった。自民党の公認は得られなかったが、小泉が掲げる郵政民営化に賛成する立場は変わらない。そもそもこの選挙は小泉のキャンペーンによって、すっかり郵政民営化に焦点が絞られていた。

 それなら小泉が郵政民営化への「抵抗勢力」とのレッテルを貼った反対派のボスと目された亀井を破ることができれば、ポスト小泉への最短ルートに乗ることになるのではないか―。

 そう考えた堀江が立候補したのが、縁もゆかりもないように思われた広島6区だった。尾道から北側の山あいにかけて広がる選挙区だ。亀井の地盤である。尾道を中心とする瀬戸内海に面する静かな町並みが、堀江貴文という異端児の出現に沸くことになった。

 8月19日、堀江は昼ごろに永田町の自民党本部を訪れて小泉との面談を済ませると、その足で尾道へと向かった。新幹線と在来線を乗り継いでJR尾道駅に着いた頃には午後8時を回り、すでに日は暮れていた。目の前に尾道水道の海を望み普段は落ち着いた雰囲気の駅前に、1000人ほどの人だかりができていた。堀江が改札を抜けて姿を見せるとやじ馬がわっと周囲を取り囲む。

 こんなこともあろうかと手配されていた車に乗り込むと、運転手が群衆を見ながらあきれたように言った。

「こりゃあ、尾道じゃあ、たのきんトリオが来て以来のフィーバーじゃねぇ」

 その様子を堀江の隣で眺めていた選対本部長の園田は「インターネットでは感じない熱気でした。亀井さんに勝つのは難しいと思っていたけど、負ける気もしなくなりました」と振り返る。

 この日は尾道駅の近くにあるホテルで記者会見を開いたが、堀江ら一行が選挙期間中に陣取ったのが、瀬戸内海を望む高台にあるリゾートホテルの「ベラビスタ境ガ浜(現ベラビスタスパ&マリーナ尾道)」だった。実は堀江がここに来るのは初めてではない。

 堀江は福岡県八女市の出身で、東大に進んで以来、東京で暮らしている。先ほど尾道には「縁もゆかりもないように思われた」と書いたが、実は全く無縁だったわけではない。

 現地で堀江を迎えたのが神原眞人だった。明治時代に神原勝太郎が創業した汽船会社を前身とする老舗造船会社、常石造船(現ツネイシホールディングス)の3代目社長である。

 当時は息子の勝成が社長となってすでに8年がたっていたが、この地で絶大な影響力を誇っていた。

 常石造船の登記上の所在地は福山市だが、地理的にはちょうど福山と尾道の間くらいに本拠がある。ベラビスタも常石が運営するホテルだ。

 神原は元首相の宮澤喜一を支援し続けてきたことで知られている。ベラビスタにも足を運び、堀江には「宮澤さんのように天下国家を語れる政治家になってくれ」と激励した。

 これには個人的な縁があった。神原眞人の娘である末松(旧姓・神原)弥奈子は、堀江とは古くからの起業家仲間で、共著で本も出したことがあった。

 ただ、常石造船の地盤は広島県の東側に広がる福山市を中心とする広島7区だ。一方、堀江が出馬した広島6区は、ちょうどベラビスタがあるあたりから西側に位置する尾道を中心に、北側に広がる中国山地の山あいへと延びる広大なエリアとなる。選対本部長を務めた園田によると、実際の選挙戦では神原家や常石造船による組織票の提供など表だった支援はなかったという。集会や演説には常石造船や取引先の社員が駆けつけることもあったというが、それでも支援の範囲は限られたものだったようだ。

「結果がすべて。勝たなきゃダメです」

 堀江自身がすっかりのめり込んだ夏の選挙戦――。結果は11万票を獲得した亀井に対して、堀江は8万4000強で敗退した。おおかたの予想を覆す大接戦と言ってよかった。

 投開票が行われた9月11日。ライバルである亀井の当選確実の速報を、NHKをはじめテレビ各社が続々と流し始めると、すし詰め状態の選挙事務所には落胆のため息が流れた。

 堀江が支援者を前に敗者の弁を述べた。

「もうひと踏ん張りが足りなかった。結果がすべて。勝たなきゃダメです」

 堀江の出馬はおおかたライブドアのアピールのためだろうという見方が強かった。ただ、後々になっても堀江は本気で議席を取りに行ったことを何度も強調している。これは園田をはじめ、堀江の選挙を間近で支えてきた者たちに共通する見解だ。

 敗戦の夜、いつもは勝ち気の堀江が珍しく大勢の前で涙を流したことが、なによりも堀江の本気度を表していた。

 徒手空拳で政界の大物、亀井静香に挑んだ堀江は善戦の末、敗れた。それは堀江がライブドア社長として過ごした最後の夏だった。

(杉本 貴司/Webオリジナル(外部転載))

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