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カミソリの刃が送られてきたことも…〈14歳で金メダル〉競泳・岩崎恭子が五輪後に抱えていた“葛藤”「この話をするのは4年に1回でいいかな(笑)」

文春オンライン / 2024年7月27日 11時10分

カミソリの刃が送られてきたことも…〈14歳で金メダル〉競泳・岩崎恭子が五輪後に抱えていた“葛藤”「この話をするのは4年に1回でいいかな(笑)」

岩崎恭子さん ©深野未季/文藝春秋

「今まで生きてきた中で、一番幸せです」

 1992年のバルセロナ五輪。当時14歳の少女の言葉に、日本中が沸いた。競泳の史上最年少金メダリストである、岩崎恭子さん(46)。世間が興奮に包まれる一方で、本人はどう感じていたのか? あらためて話を聞いた。(全3回の1回目/ つづきを読む )

◆ ◆ ◆

未だに覚えていただいてありがたい

――五輪シーズンになると風物詩のように、「今まで生きてきた中で、一番幸せです」という言葉が紹介されます。32年経っても変わらず伝えられることをご本人はどう思っているんですか。

岩崎恭子さん(以下、岩崎) ありがたいですよ。これまで競泳だけでなく、五輪で活躍した選手はたくさんいるのに、未だに覚えていただいているんですから。でも、時には、「岩崎宏美ちゃん」と呼ばれたりもしますが(笑)。「人生で一番幸せ」と言ったよね、と確認されるので、やっぱり覚えていただいているんだな、って。幸せなことですよね。

 ただ、私自身はあの時の金メダルに執着することはないし、過去は過去と割り切っているんですけど、話題を提供できているのは嬉しいことです。

競泳選手の言葉が注目される理由

――14歳の中学生が、「今まで生きてきた中で……」という言葉を発したことは、かなり衝撃的でした。

岩崎 何も考えないで、咄嗟に出たんです。不意に出た言葉は、嘘がないから多くの人に伝わるのかもしれません。北島康介さんがアテネ五輪の時に発した「チョー気持ちいい」はその年の流行語大賞に選ばれましたし、北京五輪で口を突いた「なんも言えねぇ」も多くの人の記憶に残っていると思います。

 ロンドン五輪の時に、松田丈志さんが言った「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」という言葉もかなりクローズアップされましたよね。

 なぜ、競泳選手の言葉が注目されるのか。これには理由があるんです。競泳は五輪では、試合が終わった瞬間にマイクを向けられるんですよ。だから、泳ぎ切ったばかりで考えがまとまっていないし、現実の成績を受け止めるので精いっぱい。何を喋ろうかなんて思い浮かびもしないから、本能のまま言うしかないんです。その時の魂が語るみたいな……。だから、多くの人の心に突き刺さるのかも。

冷静に振り返ったいい発言はメディアには使われない

――パリ五輪でも、試合直後の選手の言葉に注目ですね。

岩崎 ぜひ、耳を傾けてみてください。選手の個性がモロに出ると思います。実はメダリストは、試合直後だけでなく、ミックスゾーンや公式記者会見、表彰式の後にもインタビューされる機会が設けられていて、その場ではみな、冷静に試合を振り返りいいこと言っているんですよ。でも、いい発言はメディアには使われない(笑)。

 一見、競泳選手ばかりが名言を吐くように思われがちですが、それはいつインタビューを受けるかの違い。他の競技でも、試合直後にマイクを向けられる選手の言葉には“素”が出て、なかなか興味深いです。

試合前におにぎりを5個も食べた

――岩崎さんはなぜ、マイクを向けられた瞬間にあの言葉が出たんでしょう。

岩崎 私は3人姉妹の次女で、姉が水泳をやっていたので私も始めたんです。オリンピック選手になろうなんてさらさら思っていなかったけど、小6の時に小学生の部で優勝。そこから平泳ぎでタイムを縮めるのが面白くなり、中2の時に代表選考会で2位になり、バルセロナ五輪メンバーに選ばれました。

 でも、当時の私の記録は、世界トップ選手のアニタ・ノール(米国)とは6秒近くも差があったので、誰にも注目されず、期待もされていなかった。だから、代表合宿では五輪のプレッシャーもなく無邪気に過ごしていたし、私のその時の目標は決勝進出でした。

 そんな状況だったので、予選で2位になり決勝進出を決めたときは「やったー!」ってガッツポーズ。予選で自己記録を3秒30も縮め、代表の先輩たちからも「恭子ちゃん、凄いね」と言われ、達成感いっぱいでした。

 コーチから「もう一回泳ぐんだからね」と言われましたけど、五輪の決勝戦はどんなプレッシャーがかかるのかも理解できず、試合前におにぎりを5個も食べていましたから。

――決勝前におにぎり5個ですか!

岩崎 はい(笑)。他の人が残したものも貰いました。状況を呑み込めていなかったのが良かったのか、会場に入ると、50mプールが小さく見えたんですよね。そして無心で泳いだら、なんと五輪新記録で私が金メダル。咄嗟に口に出たのがあの言葉でしたが、それには訳がありまして……。

 私は全く注目されない選手でしたけど、自分の中では泳ぐたびにタイムを縮められる感覚があり、中一の時に1年間で3秒ぐらいタイムを上げたんです。そして五輪に入ってからも短期間にタイムを縮められたので、1年前と同じだなという思いが自分の中ではあった。でも、金メダルを獲ったからあの時以上と考え、今まで生きてきた中で、という言葉が出ちゃったんですよ。

急に注目され、心がズタズタに傷ついた

――その一方で、五輪後に急に注目され、解離性健忘(心的外傷やストレスによって引き起こされる記憶障害のこと)になってしまったとか。

岩崎 バルセロナ五輪直後から高校1年ぐらいまで、ほとんど記憶がないんですよ。金メダリストになった途端、環境ががらりと変わってしまって……。

 家から一歩出ると、多くの人に視線を向けられるし、学校の行き帰りには知らない人に後をつけられたりしたことも。家の電話は鳴りっぱなしだったし、自宅に剃刀の刃を送られたこともありましたね。

 また、知らない人に「14年間しか生きていないのに、人生の何が分かる」とか「私なんて何年生きていてもいいことがない」と声を掛けられたこともありました。今だったら「幸せを感じるのに年齢は関係ないでしょ」と笑って言い返せますが、まだ思春期になったばかりだったから、心がズタズタに傷つきましたね。
 
 学校でも「校則のスカートの丈が変わったのは、岩崎が要求したからだ」とか、何かあるたびに「岩崎のわがままでそうなった」と噂されているのが私の耳にも届いていました。

「金メダルなんて獲らなきゃよかった」毎日のように後悔

――まだ心が成長していない少女が体験するにはあまりにも過酷な現実です。

岩崎 当時はネット環境もなかったので、今ならSNSなどでバッシングされるようなことがダイレクトに耳に届いてしまって。そのたびに「金メダルなんて獲らなきゃよかった」と思ったし「あんな言葉を言わなきゃよかった」と毎日のように後悔していました。

――記憶を消したのは自分を守るためだったんでしょうね。消さなければ生きていけなかった。

岩崎 後で考えても、何に悩んでいたのかよく覚えていないんです。大学で心理学を専攻し、卒論でその頃の自分を分析してみようと試みたのですが、教授に止められました。「まだ早い。大学生の君は、当時の記憶に耐えられるほどまだ心が出来ていない」って。

 しばらくたってから、友人や家族にあの時はこうだった、ああだったと言われ、微かに記憶は戻りつつありますが、過去を振り返っても仕方ないので、この話をするのは4年に1回でいいかな(笑)。

〈 「金メダルなんて獲らなきゃよかったと…」中学2年で金メダル→直後に記憶をなくし…岩崎恭子(46)が振り返る「生きてきた中で一番幸せ」の“その後” 〉へ続く

(吉井 妙子)

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