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「彼も被害者」「セーフティネットがあれば違った人生を送っていたはずだ」高齢者2人を包丁で殺害…それでも26歳犯人に同情が集まった《前橋高齢者強盗殺人事件》の特異性

文春オンライン / 2024年7月28日 17時0分

「彼も被害者」「セーフティネットがあれば違った人生を送っていたはずだ」高齢者2人を包丁で殺害…それでも26歳犯人に同情が集まった《前橋高齢者強盗殺人事件》の特異性

土屋和也。生活保護を受けていた20代前半、就職すべく履歴書に貼った写真(写真:筆者提供)

〈 「盗んだものは7000円とリンゴ2個だけ」高齢者2人を包丁で殺害…26歳・犯人男に“同情が集まった”ワケ《前橋高齢者強盗殺人事件》 〉から続く

 裁判員が「社会のセーフティネットがあれば違った人生を送っていたはずだ」と語り、現場の捜査員が彼の生い立ちを知り「彼も被害者」と匿名でコメントを寄せる異例の事態…。高齢者2人を殺害したにもかかわらず、「前橋高齢者強盗殺人事件」犯人男(当時26歳)に同情が集まったのはなぜか? 事件後の加害者や、その家族を追った高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「 日影のこえ 」による新刊『 事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

殺人犯に同情の眼差しが向けられる裁判

 和也の存在を初めて知ったのは、2014年11月と12月、前橋市内で起きた2件の強盗殺人事件の容疑者として和也が逮捕されたことを報じる、新聞の片隅に載っていたベタ記事だと記憶している。そこには、逮捕事実が淡々と記されていたほか、近隣住民の「大人しい印象だった」「逮捕されてほっとした」という声が載せられていたが、事件の背景を感じさせる記述は皆無。被害者人数からして死刑判決を予感させるが、まだこの段階ではさして気には留めていなかった。

 殺人に至るような凶悪事件など、各地で毎月のように発生している。事件記者なら誰しもそうだと思うが、同じ殺人事件でも、殺された人数の多さや容姿端麗な女性が被害者などの話題性がありそうなものに飛びつくものだ。

 逮捕の数日後には、現場検証に同行する和也やゴミ屋敷と化していた自宅アパートの映像がテレビで流されはじめたが、いちいち深掘りなどしていられない。26歳の屈強な男が、金品を得るため高齢者を殺害するなどよくあることだ。盗んだものはわずかな現金とリンゴだけだが、おそらく金目の物が他になかったのだろう。なんと太々しい奴だ。

 ところが、こともあろうに和也には、逮捕から1年半経った2016年7月に裁判員裁判で行われた前橋地裁での一審の死刑判決後に同情の声ばかりが集まった。和也の死刑判決を伝える新聞記事で、裁判員が「社会のセーフティネットがあれば違った人生を送っていたはずだ」と語り、現場の捜査員が彼の生い立ちを知り「彼も被害者」と匿名でコメントを寄せる。通常とは真逆の反応が自然、事件の特異性を物語っていたのだ。

 私自身、過去に死刑判決が下された裁判を何回も傍聴したことがあるが、経験からして法廷に漂うのは明らかに被告として立たされる殺人犯に向けられる敵意だ。裁判員にしても、自分が社会の代表として死刑判決を下すことに酔ってしまっているとしか思えない高揚感に支配されている者ばかり。少なくとも、遺族も立ち会う法廷で、これほどまでに殺人犯に同情の眼差しが向けられる裁判を、私は知らなかった。

 記事を何度も読み返し、そして思った。和也の半生とは──。

 すぐに国会図書館に行き、事件発生からこれまでの和也にまつわる記事を調べた。が、裁判の経過を報じるものばかりで、彼の半生に向き合う記事はなかった。

 このままでは和也の人生が埋もれてしまう。判例からすれば、2件の強盗殺人を犯し、被疑者がその事実を認めているため、この先、高裁・最高裁で減刑される可能性がほぼなく、その場合、マスコミが取材を打ち切ることも知っていたのだ。

 とりあえず和也に会ってみたいと思い、居場所不明のまま、東京拘置所に移送されているはずと予想し、手紙を書いた。事件や判決で感じたこと、そして何か必要なものはないかなどの旨を便箋3枚ほどに手書きし、返信を待った。

 しかし、結論からすれば、和也から返信を受け取るまで半年を要した。ただし、経験からこんなことは珍しいことでもなんでもなかった。死刑判決を受けた立場の人間からしたら、大マスコミに属しているわけでもなく、名のあるジャーナリストでもない私と交流を持つメリットなどないからだ。

死刑判決を受けた「和也からの手紙」

 たとえ刑事施設に収容されている人物から手紙が返ってこなかったとしても私は、何度かは送るようにしている。最初は無反応でも二度目、三度目で返信があることは少なくない。だから和也に対しても1ヶ月空けて2通目を送り、次は2ヶ月空けてまた送ることを繰り返した。彼が気まぐれで返信をくれることを待っていた。

 自宅のポストに筆ペンでしっかりと記名された茶封筒が届いたのは、年を跨いだ2017年4月のことである。死刑判決が下されてから9ヶ月が経っていた。

 手紙を手に「ついに根負けしたのか…」と淡い期待を抱きつつ開封した。三つ折りされた1枚の便箋にはこう書かれていた。

 (事件に至った経緯など)言いたいことはありますが、生来の口べたな自分には少しばかり難しいです。思い考えているものを内に抱えていても話せない人もいます。また、それらを他人に伝えられてもその人が耳を傾けて聴こうとしない、もしくはその言葉に対して正しく理解や共感、納得しなければ聞き流しているだけでムダに終わります。
 

 手紙うんぬんは発信者の判断でそれに返信するもしないも受信者の勝手だと思います。つまり手紙を寄こすのはイイけど、あまり多く送られても困るのは読む自分とココ(東京拘置所)でそれなどを点検する職員(刑務官)です。

 気まぐれでも、根負けしたわけでもなかった。明らかな拒絶だ。行間には「迷惑だ。もう送ってくるな」と書かれている。しかし同時に、この短い1枚の便箋には和也が事件を起こすまで生きていた社会での孤独を投影しているような気がしてならなかった。

親でさえ理解してくれなかった「和也の人生」

 それは、このあとの取材で確信を得るのだが、口下手な和也と腰を据え、彼の言葉に耳を傾ける者は塀の外で生きた26年間、おそらく誰ひとりとしていなかったのだ。事実、最初の理解者になるべきはずの親ですらそうじゃなかった。

 和也自身も理解者を求めていた時期があったはずだ、特に母親に対しては。が、どれだけ追い求めても叶わず、便箋に「他人に伝えられてもその人が耳を傾けて聴こうとしない、もしくはその言葉に対して正しく理解や共感、納得しなければ聞き流しているだけでムダに終わります」と書かれていたように、いつしか自分を押し殺し、あきらめに似た愚痴をこぼすだけに終始してしまっていたのだろう。

 取材者のエゴかもしれないが、そんな和也のジメッとした胸の内を覗いてみたい、そして最初の理解者になりたいと思ったんだからしょうがない。私は手紙の礼を言い訳に、和也の“拒絶”に気づかぬフリをして、和也が収監されている東京・小菅の東京拘置所まで直接会いに行った。2017年6月のことである。

(高木 瑞穂,YouTube「日影のこえ」取材班/Webオリジナル(外部転載))

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