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面会に行くと目が真っ赤…7000円とリンゴ2個を盗むために高齢者2人を殺害《前橋高齢者強盗殺人事件》犯人男に託された“手記の中身”

文春オンライン / 2024年7月29日 11時0分

面会に行くと目が真っ赤…7000円とリンゴ2個を盗むために高齢者2人を殺害《前橋高齢者強盗殺人事件》犯人男に託された“手記の中身”

土屋和也死刑囚が綴った「直筆の手記」(写真:筆者提供)

〈 “父親の遺産200万円”を被害者遺族に支払おうとしたことも…温厚で礼儀正しい青年が「7000円とリンゴ2個を盗むために」高齢者2人を殺害した謎《前橋高齢者強盗殺人事件》 〉から続く

 高齢者2人を包丁で刺して殺害しながら、盗んだのは約7000円と犯行後に囓ったリンゴ2個――。2020年9月に死刑が確定した土屋和也死刑囚を、不可解な犯行に駆り立てたものは何だったのか。彼が残した「最後の言葉」を、高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「 日影のこえ 」による新刊『 事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編を読む )

◆◆◆

手記に綴られていたのは母との楽しい思い出ばかり

 自分の小さい頃の話は伝えたいと思っていますが、それをまとめて整理する時間をください。ほとんどろくな人生ではないですが、聞いてもムナクソ悪くなる話ばかりです。

 方向転換して和也に生い立ちを整理することを勧めたのは、事件当時の記憶がほとんどなかったからである。事件のこととは一転して明確な記憶が残っていたが、その多くはつらい記憶。犯した罪に弁解の余地はないが、確かに和也には「またあんな思いをするのは…」と、生きることを躊躇するほど安息の地がなかった。

 深い反省には至っていない。自分の事件を母親のせい、その生い立ちのせいにしているフシもある──。和也と面会を重ねた印象はこうしたものだった。彼は自分でも口にするように、両親への憎悪をずっと持って生きていた。東京拘置所で語った言葉だ。

「母親を責める気はない。でも、みんな等しく悪い。俺がいちばん悪いけど、母親も父親も。もっと親に対して言いたいことはあるけど、言いたくない」

 反面、母親に対し特別な愛情も持っていた。以下、幼少期に家族3人で遊園地に遊びに行ったときの手記の記述である。

 お菓子かアイスを買ってもらい近くの人工池の囲いに腰をかけて座り、姉弟並んで食べていた。そのお菓子に、夢中になっている子供の姿を思い出に残そうと、母はインスタントカメラを手に写真を撮った。

「みーちゃーん(姉)、カズー(和也)」と母が呼んだ。
「ん?」と思って声の方を向いたらパチリとフラッシュと音がした。
 カメラを片手にいたずらが成功したようにはしゃぐ母。
 母のしてやったりな顔が「ニシシ」。
 まぶたの裏に浮かんでは薄れていく。
 後輪側にまず姉が座らされ、その次にボクが前輪側に座った。うろ覚えだが「まえ! まえ!」とごねた自分が当時居たのかもしれない。

 幼稚園の帰り、母親が2人の子供を乗せての自転車の操作に慣れておらず転倒し、和也が頭を打った際に自分を気遣ってくれた思い出だ。

 あっちを向けられ、今度そっちを向けられて、せかせかと動き回る母。決して首をコマの様に回された訳ではないが、自分でも確かめたので困った反面、その母の想いが嬉しく感じてボクは目を伏せたんだった。

 手記で綴られたのは、母親への恨みや事件の反省ではなく、母との楽しかった思い出ばかりだったのだ。しかし、手記はそれから2年間、1ページも書き上げることなく2020年4月、最高裁の日程が決まる。「過去を思い出すとつらい。事件を思い出すとつらい」というのがその理由である。

 それでも事実上の死刑確定日となる判決公判が同年9月8日に行われることがその前月に決まると、和也は猛烈なペースで書きはじめる。「自分の半生を世に知ってもらいたい」と5回にわたり断続的に手紙を送り、計160枚の手記を私に託したのだ。

 まずこの手記を書いている理由は、自分の半生を振り返った上で、何が原因でこのような人格、性格となり、何がどう影響し合い、「土屋和也」という男性がどのような環境下において変遷していった過程(プロセス)を経て、その最期には殺人犯までに堕ち果てたそれらを明確にすることが、自分に課せられた使命であると考えている。

 情景や心情、人それぞれの表情や言動を可能な限り表現・再現しようとすることで臨場感ある表現になると思いますが、これがなかなか難しいです。

 自分が犯した際、その被害者と遺族らは「償いなどいらない」「極刑だけを望む」との内容を前橋地裁、東京高裁ともに公表し、土屋本人が彼らに直接賠償をするというのは彼らが望んでいないため行おうとは思っていません。

 自分が彼らの愛する大切な人を殺めてしまったのも事実で、反省をしても彼らのもとへは被害者は戻りませんし、反省はしても自分に何の利点はないし、何も環境は変わりません。

「人でなし」「殺人犯」「卑怯で卑劣者」「反省ゼロの殺人犯」「老人狙いのゴミ野郎」……。そう世間から後ろ指さされて、憎たらしい奴の半生を詳しく知りたくないですか? 自分の手記を読んで、トラウマになったり、気分を害したりした場合の責任は負いかねます。自己責任でお頼み致します。

「自分の半生を知ってもらいたい」

 これが死刑確定前からの、和也の唯一の望みだ。面会に行くと目を真っ赤にしていた。おそらく徹夜で書いていたに違いない。だが手記は未完成で、起こした事件や半生を俯瞰で見て整理しきれないまま裁判は進み、2020年9月8日、最高裁で上告が棄却され死刑は確定した。

「死刑」を知った彼の反応

 私はその日も夕方に面会に赴いている。面会室に入ると和也のほうから口を開いた。

「判決を知ってますか?」
「弁護士から聞いてないんですね」
「はい、全然連絡なくて」
「そうですか。残念ながらダメでした」
「ありがとうございます」
「どう感じます?」
「もともと、判例を見ると希望を持ってなかったですから……」

 和也は明らかに落胆していたが、それ以降も手記の執筆は続いた。

 死刑判決が確定し「確定死刑囚」となると、親族以外、面会が認められることはほとんどなくなる。少なくとも私のようにメディアの人間が認められることはない。しかし、最高裁で死刑判決が下されたからといってすぐに確定死刑囚の処遇になるわけではない。

 判決が言い渡されてから10日以内に「判決の訂正申し立て」をすることができる。これは名前などの誤字脱字の訂正を申し立てる制度で、判決自体を変えるものではないが、多くの死刑囚が形式的に確定まで時間稼ぎをするためにこの制度を使う。そして全ての手続きが終わり、棄却の書類が拘置所に届くまで面会も自由に認められる。

 まだ時間は残されている。

記者に残した「最後の言葉」

 私は最高裁での死刑判決から約2週間後の9月24日に、再び拘置所に向かった。

「判決の訂正申し立ては?」
「先週のうちに弁護士に手紙を書いてお願いしました」

 安堵した。少なくともまだ2週間は和也と会える。すぐに半生の聞き取りを再開した。

「改めて教えてください。和也さんにとって母親とはどういう存在でしたか?」
「当時、信頼していた唯一の肉親。いまは良い意味でも悪い意味でも大人になった。現実を知った」
「どういう意味でしょう?」
「親離れしたということ……かな」
「以前は母親への敵意を剥き出しにしてましたよね。いまは?」
「責める気はない。みんな等しく悪いと思っている。自分がいちばん悪いけど」
「みんなとは?」
「母親」
「あとは?」
「父親も入る。父親が親権を持っていたら俺は良い大人になっていたかといえばそうは思わない」
「他にもいますか?」
「もっといるけど今は言いたくない」
「最高裁の判決文は読みました?」
「はい、見ましたけど内容が薄すぎて特に何も思わなかった」
「受け入れられましたか?」
「認めたくない部分もあったけど、追認される社会なので」
「そういえば文章がどんどん上手になってますね」
「ありがとうございます。文法の勉強、もっとしておけばよかったです」
「続きも待ってます。また来ます」

 和也との会話はこれで最後になった。担当弁護士が判決の訂正申し立てを黙殺していたからである。他人の私でさえ怒りを覚えるほどありえない対応だ。ましてや当事者の和也が平然と受け入れられたはずがない。もう和也に直接、話を聞くことはできないが、手元には未完ながら160枚の手記が残った。足りない部分は自分で取材をしよう。読み返し、言葉で交わしたわけではないが、手記の補完を塀の中の和也と誓った。

(高木 瑞穂,YouTube「日影のこえ」取材班/Webオリジナル(外部転載))

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