1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

「仕切ってはいませんよ(笑)ただ…」大谷翔平や羽生結弦もいる“94年組”が集まる会をバドミントン奥原希望(29)が調整していた理由とは?

文春オンライン / 2024年8月2日 17時0分

「仕切ってはいませんよ(笑)ただ…」大谷翔平や羽生結弦もいる“94年組”が集まる会をバドミントン奥原希望(29)が調整していた理由とは?

奥原希望選手(29) ©AFLO

〈 「腫れて曲げられなくなって、ヒザから水を抜いて」世界ランク1位からまさかの代表落ち…バドミントン奥原希望(29)が語る“どん底だった”パリまでの記憶 〉から続く

 リオ五輪では日本人で初めてシングルスでのメダルを獲得するなど、前人未到の道を歩んできたバドミントンの奥原希望(のぞみ)選手(29)。東京五輪の前後はケガに悩み、出場権を逃したパリ五輪までの日々は「本当にどん底だった」という。そこから再び立ち上がった“背景”、自身のプレーを作ってきた考え方、錚々たるメンバーが揃う「94年度生まれのアスリート」達との関係とは?(全2回の後編/ はじめ から読む)

◆◆◆

「試合の時はだいたい3手先まで考えてショットを打ちますね」

――パリ五輪までの辛い期間に、同じ思いを共有する仲間はいなかったのですか。

奥原希望選手(以下、奥原) 他の競技にも友達はいっぱいいますけど、ネガティブな思いを共有するって凄く難しいんですよ。その選手にネガティブな思考が移ってしまう可能性があるし、弱音を吐いても聞いている方はどうなんだろうと考えると、一人で抱え込むしかなかった。

 私はもともと、深く思考するクセがあるんですよ。このクセは、いい時は上手く回転していくのですが、悪くなった時に何も見えなくなってしまう。先読みせずシンプルに、今目の前で起きていることに対処しようと自分に言い聞かせないと、どんどん深みにはまってしまうんです。

 ただ、この考えるクセがなかったら、ここまでの成績を出せなかったのも事実。私は156cmと海外の選手に比べ身長には恵まれていないので、戦術・戦略を緻密に立てたり、瞬時に的確な判断をしなければならないときに、私の武器になるんです。

 私は力強いショットで一発逆転できるタイプではないので、色々な配球を考え徐々に相手を追い詰めていくしかない。だから将棋ではないけど、試合の時はだいたい3手先まで考えてショットを打ちますね。

――理系科目がお得意と聞きましたが、その考え方がプレーにも活きている印象です。

奥原 数学は大好きですね。問題があって答えが1つだけど、そこまでたどり着く方法は幾通りもあって……。その時の状況を整理して、順序を立てながら、自分に合う道はどれかって探していくのがすごく好きなんです。

同学年「94年組」には錚々たるメンバーが揃う

――奥原選手と同学年にはバドミントンの桃田賢斗をはじめ、ドジャースの大谷翔平、カブスの鈴木誠也、プロスケーターの羽生結弦や村上佳菜子、水泳の萩野公介、瀬戸大也、新体操の畠山愛理、スピードスケートの髙木美帆……など錚々たるメンバーがいます。彼らに相談することはなかったのですか。

奥原 今はそれほどないですね。以前は、みんなで集まってああでもない、こうでもないと他愛もない会話をすることもありましたけど、今はもうそれぞれの道を確立しているし、引退してセカンドキャリアを歩み始めた人もいるので、私が知っている彼らの情報は皆さんとほとんど同じで、SNSをフォローしているくらいです。

「仕切ってはいませんよ(笑)。ただ…」奥原選手が日程調整をしていた理由

――その頃、同級生たちを仕切っていたのは奥原選手だと聞いたことがあります。

奥原 仕切ってはいませんよ(笑)。ただ、それぞれがご飯に行こうとか、会って話そうよ、と言い出すことがあって。わたしはそういうとき、曖昧にするより決めておきたいタイプなので、日程を調整したり、集まる場所を手配したりしていましたね。今は全然会えていないので、みんながひと段落付いたら、また集まりたいとは思っていますけど。

――大谷選手をお祝いするということで集まればいいじゃないですか。

奥原 そんな理由だったら、毎日お祝い会を開催しなきゃならない(笑)。毎日のように何か新しい記録を樹立したり更新したりしていますから。

 私たち同学年は、お互いに刺激し合ってはいるけど、変なしがらみで繋がったりはしない。そのバランス感覚はいいと思います。競技は競技、プライベートはプライベートと割り切っていますし、お互いをリスペクトする気持ちが凄く強いと思います。他の人の立場になって考える能力も高いですし、距離を上手く取りながら付き合っていますね。

――だからみな、その競技の第一人者になれたのかもしれませんね。

奥原 みんな自分を持っているし、競技に取り組む姿勢は半端ないですからね。だからお互いに刺激を受け、頑張れたんだと思います。でもそれは、アスリートの世界に限ったことではなく、一般社会でも同じ年というだけで勝手にエネルギーを貰っている人はいるんじゃないですか。世代エネルギーってあるような気がします。

 特に私たちの世代は大谷君や羽生君が引っ張ってくれているので、たとえばビジネスの分野とか、芸術のジャンル、研究やスタートアップなどといった別のジャンルでも、エネルギーを貰っている人は少なからずいるんじゃないかなと思います。

五輪はアスリートを大きく成長させてくれる舞台

――あらためて、奥原選手にとって五輪はどんな舞台でしたか。

奥原 リオ五輪の時は怖いもの知らずでした。言ってしまえば、まったく周りが見えていなくて自分中心主義なところもあった。自分の理想に向かって結果を出すことだけにフォーカスしていました。だから、シングルスで日本女子初の銅メダルを獲得したことを周りの方は喜んでくださっているのに、私は負けたことが悔しくて、表彰台でも仏頂面でした。今考えれば、アスリートとしては未熟だったと思います。

 東京五輪はアスリートの存在価値、あるいはスポーツの持つ力を改めて認識した大会でした。コロナ禍に見舞われた当初は世の中がこんな大変な時期に、出場を願うのはアスリートの単なるエゴではないかと悩んだこともありましたが、実際に開催されると、アスリートの活躍はこんなに世の中にエネルギーを与えられるんだということが分かったし、その一方で、スポーツは世の中に支えられている、ということも分かりましたね。

 そしてパリに向かった3年間は、挑戦する過程にも大きな意味があることを知った大事な期間でした。それまでは結果至上主義で、アスリートである以上結果を出さなければ価値はないと考えていて。

 でも、パリに向かう過程をコミュニティサイトで包み隠さず発信するようにしたところ、たとえ自分の弱さを見せたとしても、こんなにも賛同し応援してくださる人がいるということに気づかされました。

 五輪はやはり、アスリートを大きく成長させてくれますね。パリもみんなを必ずジャンプアップさせてくれると思います。

――これからはどんな競技生活を?

奥原 まだラケットを置くつもりはないですよ(笑)。ようやく体のコンディションも上がってきたので、ここからまた世界のトップに食い込めるか挑戦したい。

 東京五輪を終えてからパリまで、特に最初の2年間はまさに絶望で、ずっとどん底でもがいていました。何度も逃げられるタイミングはあったけど、振り返ってみれば、逃げなくて本当によかった。今の私には新しい希望が溢れています。

(吉井 妙子)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください