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《本人インタビュー》東京オリンピックの開幕8日前に炎上、そして辞任 小山田圭吾(55)は「空白の5日間」に何をしていたか「3人での家族会議は4時間に及びました」

文春オンライン / 2024年7月26日 11時0分

《本人インタビュー》東京オリンピックの開幕8日前に炎上、そして辞任 小山田圭吾(55)は「空白の5日間」に何をしていたか「3人での家族会議は4時間に及びました」

©文藝春秋 撮影・三宅史郎

 ジャーナリストの中原一歩氏が出版した 『小山田圭吾 炎上の「嘘」』 には、小山田氏が「人生で精神的に一番辛い期間だった」と語る“空白の5日間”が克明に描かれている。あの時、本当は何が起きていたのか、小山田氏本人に話を聞いた。

 東京オリンピックの開幕を4日後に控えた2021年7月19日、開会式の音楽を担当していた小山田圭吾氏が辞任を発表した。

 4日前の15日からインターネット上で、過去に音楽誌やサブカルチャー誌のインタビュー記事に掲載された学生時代のイジメについての発言をきっかけに炎上状態となり、小山田氏の所属事務所には殺害予告まで届く事態に――。

▼▼▼

――3年前の東京オリンピックで、開会式直前に小山田さんが辞任したのは本当に衝撃的でした。あの時、小山田さん自身には何が起きていたんでしょう。

小山田 開会式のスタッフとして名前が発表された次の日でした。僕は昼からバンドのリハーサルで家を出ようとしていたのですが、息子がスマホを見ながら「パパやばいよ、すごい炎上してる」と声をかけてきたんです。

「息子が中学生くらいの頃に『これ何?』と聞いてきたので」

――息子さんはどんな様子でしたか? 

小山田 息子は当時20歳で、音楽もやっているので割と友達のような関係なんですが、その時はとてもシリアスな雰囲気でした。普段ならそんなことは言ってこないし、わざわざ声をかけてくる時点で息子が事態を深刻に捉えていることはすぐわかりました。聞いた瞬間に僕も「あの雑誌の話だろうな」と察し、すごく不安な気持ちで家を出ました。

――炎上のきっかけになった「2つのインタビュー記事」について息子さんはすでに知っていたんですか?

小山田 息子が中学生くらいの頃に、ネットで雑誌のインタビューについてのブログか何かを見つけて「これ何?」と聞いてきたので、一度話をしたことがありました。

――それが、オリンピックの8日前に炎上という形で現れた。

小山田 雑誌が出た1994年から、20年以上ずっとあのインタビュー記事のことは心に引っかかっていました。それでも3年前のあの日に炎上を聞かされた時は「このタイミングで来るのか」とショックを受けました。

――うろたえて何も手につかなくなりそうです。

小山田 一応スタジオには向かったんですが、到着したらメンバーもすでに炎上のことは知っていました。みんなそわそわして落ち着かない雰囲気だったので、「自分のことでお騒がせしてすみません」と謝りました。僕自身もかなりテンパってはいましたが、とにかくリハーサルに集中するしかない、とあまり考えないようにしていました。

――そうこうしているうちにも、炎上は広がり続けていました。

小山田 リハーサルが夕方に終わったタイミングで、マネージャーに声をかけられて、「オリンピックの運営委員会から電話があった」と聞きました。炎上のことをとても心配していたこと、夜にまた打ち合わせをして今後の対応を協議することになったと話していました。

「まず家族に説明をしないといけないと僕は思っていました」

――その時点では小山田さんも辞任は考えていなかったんですね。

小山田 その前に、まず家族に説明をしないといけないと僕は思っていました。朝に息子とちゃんと話ができなかったことも心残りでしたし。とりあえず現物が必要だと思い、当時のインタビューが載った雑誌のコピーを友達からもらって、それを持ってパートナーと息子と話し合うために家へ帰りました。

――ご家族はどんな雰囲気で待っていたのでしょう。

小山田 息子は一日じゅう炎上の様子を調べていたようで憔悴していましたが、起きていることを詳しく教えてくれました。パートナーとはあのインタビュー記事について話をしたことがなく、彼女もかなり狼狽した様子でした。

――インタビュー記事には「全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップして…」(「ロッキング・オン・ジャパン」1994年1月号)など衝撃的な表記があります。改めて記事を見て、どう思われましたか。

小山田 雑誌が出た当時読んでショックを受けて、僕はそれ以来ちゃんと見たことはありませんでした。家にもなかったですし。あらためて対峙するのは怖かったですが、家族と話すにしても、まず1回実物と向き合う必要がありました。でも、やっぱり記憶以上にひどいことが書いてあって……。

――家族に見せた時の反応はどうでしたか?

小山田 パートナーも息子も実物を見るのは初めてで、やはりショックを受けていました。特にパートナーは、なぜ僕がこんなことを言ったのか、本当に言ったのかと混乱しているようでした。

――小山田さんからはどんな風に話をしたのでしょう。

小山田 3人で雑誌を見ながら「この部分は事実」「これはやってないけど、取材の時に盛って話してしまったかもしれない」「これは僕は言っていないと思う。本文で書いてあることと見出しも食い違っている」と、書いてあること1つ1つについて細かい話をしました。自分の失敗について話をするのは苦しいことでしたけど、今まで逃げてきたというか、避けてきた部分もあったので、今度こそちゃんと説明しなきゃいけないと思いました。

深夜4時まで続いた家族3人での話し合い

――お2人はその話をどんな風に聞いていましたか。

小山田 とても不安そうでした。でも僕のことを心配もしてくれて、我慢強くずっと話を聞いてくれました。

――家族に嫌われてしまうかも、という不安は感じましたか?

小山田 それは……あまり考えませんでした。僕がした悪いことも、バカなこともとにかくちゃんと説明して、わかってもらいたいという気持ちでした。

――本には、家族3人での話し合いが4時間続いたと書かれています。

小山田 気づいたら深夜4時だったので、そのくらいは話をしていたと思います。3人で出した結論は「僕が自分の言葉で説明するしかない」というもので、眠れそうになかったのでそのままパソコンに向かって声明文を書きはじめました。書く前にパートナーから「とにかく言い訳しないで、本当のことを書いて」と言われたのは覚えています。

――やってしまったことについては謝罪し、やっていないこと、言っていないことについては否定しよう、と。

小山田 そうですね。自分が学生時代に何をしたか、何をしなかったかということは覚えていても、取材で何を話したかはかなり記憶があやふやなのも事実でした。「本当にこんなことを言っただろうか」と思う部分もありますが、録音が残っていないので自分でもわからないんです。当時の僕が露悪的に話してしまった部分もおそらくあり、その責任は間違いなく自分にあると思っています。

「これだけで分かってもらえることではないだろうな、と思っていた気がします」

――それでも、翌日の夕方には小山田さんの声明文が発表されました。

小山田 深夜4時に書き始めて、一通り終わった時には朝の8時でした。それを家族に見てもらって、マネージャーと相談して、夕方にHPにアップし、SNSには自分で投稿しました。

――「これで分かってほしい」というような気持ちですか?

小山田 分かってほしい……というよりは、これだけで分かってもらえることではないだろうな、と思っていた気がします。ちょっと一言では言い表せない状態でした。

――この時の声明文では、辞任には言及されていません。その選択肢は頭をよぎっていましたか?

小山田 人に一番迷惑をかけないようにするにはどうすればいいんだろうとは考えてましたが、もう次の週にオリンピックが迫っている状況だったので、その時は僕が勝手に「辞めます」と言う方が迷惑をかけるという気持ちが強かったです。辞めるという選択肢自体が無いと思っていました。

――確かに残り8日で音楽が使えなくなったら開会式をどうするんだろう、と。

小山田 僕が作ったのは最初の5分20秒ぐらいでしたけど、やっぱりそれなりに時間はかかりましたからね。自分が辞めて、それから作り直して間に合うとはとても思えない状況だったので。

――しかし現実には、声明文を出しても事態は全く落ち着きませんでした……。

小山田 テレビでもこの話がニュースで流れ始めて、いよいよ精神的に追い詰められていきました。

〈 《本人インタビュー》東京オリンピック開会式の翌日、小山田圭吾(55)は殺害予告を受けた自宅でなぜ餃子を作っていたのか「僕も周りも精神的に少しおかしくなっていた」 〉へ続く

(「文春オンライン」編集部)

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