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日本人はなぜ山本五十六が好きなのか? “名将”に感情移入してしまうこれだけの理由《半藤一利×保坂正康特別対談》

文春オンライン / 2024年8月10日 6時0分

日本人はなぜ山本五十六が好きなのか? “名将”に感情移入してしまうこれだけの理由《半藤一利×保坂正康特別対談》

©文藝春秋

 最後まで開戦に反対し続け、昭和18年、前線視察の際ブーゲンビル島の上空で戦死した山本五十六。日本人はなぜ悲運の名将に惹かれるのか。ここでは『 昭和の名将と愚将 』(文春新書)より一部抜粋。その理由を半藤一利、保坂正康のふたりが解き明かす。

◆◆◆

なぜ日本人は山本が好きなのか

保阪 しかし、これだけ、戦後、山本五十六が有名になったのも、ヒーローとして語られていくうちにいろんな逸話が神話化されていったからだと思うんです。実際にリアルタイムでの山本の評価というのは、どんなものだったんでしょうか。

半藤 真珠湾攻撃の時点では、国民はそれほど知らなかったはずですよ。大戦果の発表後に「連合艦隊司令長官は山本五十六大将なり」とラジオで聞いた覚えがある。

保阪 すると、その頃から山本の名前が国民に浸透していくわけですね。

半藤 国民レベルでいえば、稀代の名将ですよ。何せ、ミッドウェー海戦だって負けてないですから。ガダルカナルだって転進と言ってごまかされた。

保阪 そうやって国民レベルでは伏せられていたわけですね。

半藤 後に言われる山本と天皇がツーカーだったというのも作り話のようですね。12月1日に御前会議で開戦が決まり、3日に山本が呉から上京してくるんですが、このときの「小倉庫次侍従日記」によれば、山本の拝謁は、10時45分からの5分間だけです。これでは肝心なことは何も伝えられませんよ。

保阪 しかし、真珠湾攻撃のあとしばらくは、天皇が勅語を出しつづけますよね。そのなかでも連合艦隊に対しては、特によく出しています。だから、天皇が山本を信頼していた様子はあるように思いますが……。

半藤 これは、推定の域を出ませんが、もし、天皇が山本を信頼していたとすれば、それは、昭和14年に米内光政、山本、井上成美のトリオが三国同盟を潰したというのが非常に印象に残っていたんだと思います。この三国同盟が一度立ち消えになったことを、天皇は非常に評価しています。

保阪 ひいては、現在における山本の評価にも結びついていますよね。やはり、アメリカの国力を把握した上で、対米戦を避けようとしたという点が大きい。彼は、大正14年にアメリカに駐在武官として赴いたときに、その工業力に圧倒されて、こんな国と戦争するべきではないと言ったそうですね。

陸軍の中からでてきた「山本を切れ」という意見

半藤 これは、長岡中学の講演で言ったと、地元の人からも聞いたことがありますよ。山本は、三国同盟に反対したので右翼なんかにも相当脅されたようです。米内海相は、ああいうおおらかな人ですから、陸軍に喧嘩を売るようなことはいわない。井上軍務局長はもっぱら海軍部内をしっかりと抑える。もっぱら平気で陸軍を悪しざまにいうのが次官の山本なんです。だから、山本が一番憎まれた。

保阪 陸軍の中にも、山本を切れという意見が出て、護衛がついて、もしものときのために遺書も認め、金庫に入れていた。

半藤 それが、「あに戦場と銃後とを問わむや」という有名な遺書です。つまり、戦場で死んでも、ここで死んでもおんなじだと。それだけの決意で対米戦争を回避しようとした。もし、対米英戦をやるのであれば、海軍軍令部がなんと言おうと自分のやり方で戦争をしようとしたのが、真珠湾攻撃なんです。

保阪 原則的な立場で言えば、軍令部が作戦を策定して、連合艦隊はそれを遂行するべきところ、連合艦隊が勝手に作戦を立てて実行しているのですから違反行為といわれても仕方ない。軍令部総長の永野修身のOKがあったとはいえ、長期的視野に立ってなされるべき戦争が、こういう形で始まったことは、非常に問題ですね。

半藤 山本さんの悲劇は、自分の反対する戦争の陣頭に立たねばならなかったことです。ですから、早期終結のために真珠湾攻撃をあえて言えば失敗を覚悟して考えたのです。

保阪 でも、これだけ中枢部に反対派がいて、連合艦隊長官の作戦が採用されたというのも不思議な話ですよね。

半藤 それも山本の悲劇で、瓢箪から駒で、どうせ軍令部が反対しているからつぶれると思っていた。9月の図上演習の段階ではまだまだもめている。それで、10月に東條内閣が成立したのと同じ頃に、やっと承認される。そうなると軍令部が命令書を出して一気に準備が始まる。

保阪 海軍は以前からアメリカを仮想敵国にしていましたが、それは、南洋での戦闘を考えていたんですよね?

山本五十六に日本人が感情移入しやすい理由

半藤 そうです。最初はフィリピンの北方あたりで、大海戦をやるつもりだったんです。それが、船や飛行機の性能があがったため、マリアナ沖で決戦するという想定になった。いずれにしても迎え撃つ作戦で、積極的攻勢作戦ではありませんでした。

保阪 日本では、真珠湾まで乗り込んで叩くという発想自体が、開戦半年前までまったくなかった。黒島の案を採用した山本が、博打好きといわれる所以ですね。

半藤 日本の艦隊は近海での戦闘しか想定していないから、航続距離もそんなに長くない。とりあえず出撃してきた敵艦隊をバーンと日本の近海で叩いて一気に講和に持ち込もうと。

保阪 しかし、緒戦の勝利でそのまま戦い続け、分水嶺となったミッドウェーでも結局失敗して責任を取れないまま死んでしまった。途中で死んでしまったというのも、また日本人にとって感情移入しやすいんでしょうね。

半藤 山本が死んだとき、新橋の元芸者さんで恋人だった河合千代子さんという人がいるんですが、この人が山本五十六が書いたラブレターを持っていたんです。海軍省はこれは表に出してはならないということで、沼津にいた千代子のところへ行って、強制的に焼かせたんですが、とくによい手紙は無事だった。千代子が隠したんですね。これらがまことに人間味があって面白いんですよ。千代子と一緒に出かけたことのある安芸の宮島から、山本が手紙を書いているんですが、「鹿がクウクウといっとったからウンヨシヨシと言ってやりました」とか何とか(笑)。国運を賭して戦っているときに何事だという気もしますが、こういうところがまた受けて、一段と名を上げたわけです。

保阪 山本のそういうところをまた人間らしいという人もいる。女遊びが人間らしいというのもどうかと思いますが、こういう艶話があると、またどうも人気があがるようですね。

(半藤 一利,保阪 正康/文春新書)

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