大阪府で“たったひとつの村”「千早赤阪村」には何がある?
文春オンライン / 2024年7月29日 6時10分
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大阪府で“たったひとつの村”「千早赤阪村」には何がある?
〈 関西空港のすぐ根元…“ナゾのふるさと納税の駅”「泉佐野」には何がある? 〉から続く
今年の大河ドラマは、『光る君へ』。平安貴族の愛憎渦巻く人間関係が濃密に描かれている。これまでの大河ドラマとは雰囲気こそ違うが、なかなかの名作のひとつではないかと思う。
で、過去の大河ドラマの名作となると、何があるだろうか。それこそ答えは人の数ほどありそうなテーマだが、個人的には1991年に放送された『太平記』は名作と呼ぶにふさわしい作品のひとつだろう。
鎌倉幕府滅亡から建武の新政、室町幕府の成立と南北朝時代が舞台の作品だ。鎌倉幕府の終焉を描いた「鎌倉炎上」や、足利尊氏が弟の直義を毒殺する場面など、記憶に残るシーンが多い。
そんな『太平記』で、キーパーソンのひとりが武田鉄矢が演じた楠木正成だ。鎌倉幕府と戦う前半では、河内の山中に城を構え、大軍で押し寄せる幕府軍をきりきり舞い。目を見張るような大迫力の合戦シーンだったことを覚えている。
そんな大合戦の舞台が赤坂城や千早城。かつての河内国、いまでいう大阪府南東部、奈良県との県境に近い、金剛山地の山の中の城だ。そしてその山城の跡があるのは、大阪府南河内郡千早赤阪村。大阪府内では、ただひとつだけの村である。
大阪府で“たったひとつの村”「千早赤阪村」には何がある?
大阪府には、大阪市と堺市という、ふたつの政令指定都市がある。他にも、それら二大都市のベッドタウンたる衛星都市がいくつもある。まさに、圧倒的な文句のつけようのない大都市だ。
が、そうした中にあっても、村はある。古くは楠木正成が活躍し、時代が下っていまも金剛山の山の中というのは変わらない。そして、大阪府唯一の村、千早赤阪村。いったいどんなところなのだろうか。
そういうわけで、千早赤阪村にやってきた。
といっても、鉄道が通っていないので富田林から1時間に1本ほどのバスで目指す
といっても、千早赤阪村には鉄道は通っていない。公共交通でのアクセスとなれば、バスを使うほかない。玄関口になるのは、近鉄長野線の富田林駅だ。
大阪阿部野橋駅から準急に乗って30分弱。コロナ禍以降中止が続いているが、かつてはPLの花火大会が夏の風物詩だった富田林。そのターミナルの駅前広場には、「楠氏遺跡里程標」と書かれた大きな石碑が立っている。
楠氏とは、言うまでもなく楠木正成とその一族。石碑の古めかしさから察するに、昔から富田林が千早赤阪村の玄関口なのだろう。
さっそく、バスに乗ろう。富田林駅前と千早赤阪村を結ぶバスは、だいたい1時間に1本ほど。駅前から終点の千早赤阪村立中学校前まで、20分ほどで結んでいる。富田林市と千早赤阪村、そして太子町と河南町の4市町村によるコミュニティバスだ。
実は、このバスはもともと金剛バスという地元のバス会社によって運行されていた。しかし、運転手不足といういまの日本の現状を象徴するかのような理由によって昨年に廃業。
バス路線もそのまま消滅してしまっては公共交通がなくなるという一大事に直面した4市町村が、コミュニティバスに引き継いで運行を維持したというわけだ。
このあたりはメディアも賑わしていたから、記憶にある人も少なくないのではないか。いずれにしても、存亡の危機に瀕した千早赤阪村への大動脈は、かろうじて命脈を保ったのである。
そんな蜘蛛の糸のようなバスに乗る。なんのことはない平日の真っ昼間。だからお客は少なくてとうぜんだ。そのわずかなお客も富田林市郊外の住宅地を走っているうちにパラパラと降りてしまい、千早赤阪村まで乗り通すお客はほかに二人だけ。そのうちひとりは、ハイキング姿に身を包んでいた。千早赤阪村を起点に、金剛山の山登りをするのだろうか。
バスに揺られること20分…いよいよ村が見えてきた
そうして20分ほどバスに揺られ、ゆったりと坂道を登っていくと千早赤阪村だ。村の北西端、金剛山西麓のなだらかな傾斜地から、いよいよ本格的な山道に入らんとする、その境目あたりの村の中心市街地をバスは走る。
これまで、東京や神奈川での唯一の村をはじめ、いくつかの村を訪れてきたが、それらと比べても心なしか市街地の密集度が高いような気がする。まさに村の本質はもっと奥まった山奥にあり、ということなのだろうか。
バスも最後は市街地を離れ、ひとけのない山の中のバスロータリー、千早赤阪村立中学校前で終点だ。そこから先に登ってゆく小さなコミュニティバスもあるようだが、ここでは終点でバスを降りて市街地の中を歩くとしよう。
坂道を登ると“ピカピカの役場”が見えてきた。ちらほらあの人の気配も…
バスが登ってきた坂道を、今度は歩いて下ってゆく。ほどなく見えてくるのが、千早赤阪村役場。2023年に完成したばかりの、新築ピカピカの村役場だ。その前には、騎馬武者姿の楠木正成像があった。皇居前広場にも騎馬武者姿の楠木正成像。あれとよく似たものが、正成のふるさと・千早赤阪村にももちろん鎮座しているのだ。
村役場の前を抜けてゆくと、ほどなく中心市街地だ。密集度が高い、なんてことを言ったが、それはもちろん他の村と比べてのお話。数万人の人口を抱えるどこぞの都市の中心市街地と比べたら、圧倒的にのどかな町だ。
そうした中にも自動車整備工場の類いがあったり。公共交通に恵まれない山の中の村だから、クルマへの依存度は高い。自動車整備工場は、欠くことのできないインフラなのだ。
中心地から脇道に入って進んでゆくと、郷土資料館や「くすのきホール」と名付けられた文化施設、また道の駅などが集まっている一角に出る。その一角にあるのが「楠公誕生地」。楠木正成の生まれた場所である。
本当に楠木正成がこの場所で生まれたかどうか、となると心許ないところもあるが(というより生年や誰の子かなど、確たることは諸説あってわかっていない)、少なくともいまの千早赤阪村の中心地一帯に拠点を置いていたことは間違いなさそうだ。
歴史の表舞台に登場するのは後醍醐天皇が倒幕の動きを明らかにしてからのこと。1331年に笠置に入った後醍醐天皇に従うようになり、正成は赤坂城に立てこもって幕府軍を迎え撃った。
その赤坂城は、千早赤阪村の中心地から南側、金剛山の裾野にある。赤坂城は奮戦むなしく幕府軍に落とされるが、正成はその後再起。赤坂城を奪還し、さらに山の上の千早城に籠城し、幕府軍を釘付けにして戦った。
その間、足利尊氏や新田義貞ら、幕府の有力御家人が幕府に反旗を翻し、鎌倉幕府が滅亡する。つまり、その大きなきっかけを作ったのが、楠木正成というわけだ。
この山奥のどこかに「お城」があるかと思いきや…
千早赤阪村の山の中にあった赤坂城や千早城。その城というのは、一般的にイメージされるような天守閣を持っている類いとはまったく違う。最低限の設備を有するだけの砦のようなものだったという。
そして、長年金剛山地を庭として暮らしてきた正成らにとっては、山に不慣れな幕府軍をいなして大軍を釘付けにすることくらいはお茶の子さいさいだったのではないか。少なくとも、村の中心から山の上を見上げれば、そうそう容易に落とせる城ではなかろうということが実感できる。
この村は、いまもほとんどが山の中だ。その北西の端っこのなだらかな傾斜地が中心地。どことなく手作り感満載の道の駅から国道309号を歩いて東に行けば、建水分神社という由緒あるお社が鎮座する。
本殿が重要文化財というこの神社の周囲には、鳥居前町というべきか、小さな集落が広がる。飲食店の類いもあるから、観光シーズンには行楽客で賑わうのかもしれない。
そこから再び国道を歩いて下ってゆく。山の傾斜地に広がる村だから、ところどころの田んぼはそのすべてがいわゆる棚田だ。下赤阪の棚田という、日本の棚田百選にも数えられる棚田が有名らしいが、それでなくても棚田だらけ。見上げる棚田も、そこから見下ろす棚田も、日本人にとっての原風景といっていい。
見晴らしの良い棚田の合間から見渡す“700年前から見えたもの”
そんなところを歩いて抜けて千早川沿いに出れば、歴史のありそうな入り組んだ路地のような住宅密集地があったり、立派なお寺があったり。川沿いには古い廃旅館もある。金剛山登山の拠点にもなりそうなこの村には、山登りを控えて宿をとる人も少なからずいたのだろう。
見晴らしのいい棚田の合間に立って周囲を見渡すと、東には山の上に開けたレジャー施設・ワールド牧場が見えるし、西には富田林、そして遠くは大阪の市街地がうっすらと浮かぶ。
もっと空気が澄んだ季節なら、あべのハルカスくらいは見えるのかもしれない。少なくとも正成の時代には、山の上から古市・道明寺の古墳群くらいは見下ろすことができたに違いない。
コンビニもない人口約4800人の村の「大河ドラマ」
千早赤阪村は、1956年に千早村と赤阪村が合併して誕生した。以来、ずっと単独で村のまま。最近には富田林市や河内長野市との合併が取り沙汰されたこともあるが、いまのところ実現せず、大阪唯一の村という立場を守っている。
人口は4800人ほどで、もちろん大阪府下最小だ。一時期は7000人台後半にまで増えたことがあるが、近年は減少傾向。このあたりは、村に限らず日本全国共通するお話である。村のほとんどが金剛山地の山の中ということから、よほどの開発が行われない限りは人口の大きな増減はあまり想定できないのかもしれない。
ちなみに、この村にはコンビニがひとつもないという。だから、村の人々が日用品の買物をしようと思っても、わざわざクルマで富田林市内などに出なければならない。多くの山間集落に共通している悩みなのだろうが、そういう意味でも富田林駅前と村を結ぶ路線バスは、村にとっての命綱なのだ。
ともあれ、千早赤阪村である。実際の村域はめちゃめちゃ広く、そのほぼすべてが山だ。市街地は、北の端のごくわずか。そこにお寺や神社、そして楠木正成の生誕地までが揃っている。よくよく見ると、マンホールにも楠木正成。そして、町中には「楠木正成を大河ドラマに」といったポスターもあった。
楠木正成が大河ドラマになれば、だいぶ物語としては『太平記』と重なるところが多い。が、主人公を入れ替えながら年がら年中戦国時代をやっていることを思えば、さしたる問題もなかろう。
『太平記』の時代が大河ドラマで描かれたのはこの作品だけだ。それからもう30年以上がたった。だから、そろそろ楠木正成が主人公の大河ドラマを見てみたい。のどかな棚田と古い集落が入り組んだ千早赤阪村を歩いていると、そんな気持ちにさせられた。
写真=鼠入昌史
(鼠入 昌史)
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