「味わったことのないようなプレッシャーが…」「体脂肪率は1.2%でした」体操金メダリスト冨田洋之が振り返る、アテネ五輪で“栄光の架橋”を決めた瞬間のこと
文春オンライン / 2024年7月30日 14時30分
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冨田洋之さん ©深野未季/文藝春秋
金メダルを獲得した20年前のアテネ五輪体操男子団体総合決勝。日本の最終演技者を務め、“逆転優勝”を決めたのが当時23歳だった冨田洋之さんだ。その姿は「栄光の架橋」という実況の言葉とともに、多くの人の記憶に残っている。
現在は指導者として後進の育成に携わる冨田さんに、五輪のこと、「美しい体操」をキーワードにした理由、さらにパリ五輪・男子団体総合で金メダルを獲得した現在の“体操ニッポン”ついて伺った。(全2回の前編/ つづきを読む )
◆ ◆ ◆
名場面として記憶に残る“栄光の架橋”
――冨田さんと言えば“栄光の架橋”。五輪関連のテレビ番組などでは、「思い出に残る名場面」として、アテネ五輪で体操男子団体が28年ぶりに金メダルを獲得したシーンが1位に選ばれるなど、冨田さんの鉄棒の最終演技は未だに多くの人の記憶に残っています。
冨田洋之さん(以下、冨田) 鉄棒の演技が始まるまで日本は3位で、得点差は稀に見る僅差でした。そんな緊張感のある中で、結果的に逆転劇という形になったので皆さんの記憶に残ったのかもしれません。ですが何より、私が着地を決めた瞬間、NHKアナウンサーの刈屋富士雄さんが実況した「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架橋だ」という言葉が、印象深かったのだと思います。
今は「冨田は知らないけど、“栄光の架橋”は知っている」という人がたくさんいますね。私は今、順天堂大学で教鞭をとっているのですが、器械運動の授業で一般の学生たちに教えていると、「TikTokで“栄光の架橋”の映像を見たんですけど、この人、先生に似ていますよね」とか、「先生この人なんですか」って言われます(笑)。
――なんて返すんですか?
冨田 「そう、そう」と(笑)。体操競技部の学生たちは、私が着地を決めた姿を真似したり、平気でいじってきますね。橋本(大輝)なんかは、大げさにガッツポーズしてみせたりして。
味わったことのないほどのプレッシャー
――10代の学生たちに話題にされるほど、やはり語り継がれているじゃないですか。それだけあの金メダルはミラクルな要素がありました。
冨田 団体では1種目に3人出場し、「ゆか」「あん馬」「つり輪」「跳馬」「平行棒」「鉄棒」の順に演技するのですが、5種目の平行棒まで日本は3位。でも僅差だったので、最後の鉄棒の演技次第で金メダルの可能性があった。
日本は米田功さん、同学年の鹿島丈博、私の順でしたが、最終種目に入る前は今までに味わったことのないほどのプレッシャーがありました。米田さんの演技は見ていたけど、鹿島が演技に入った時はもうかなり緊張していて。「ダメだ、こんな状態ではいい演技ができない」と、演技を見るのをやめて、冷静になって自分自身に集中しようとしました。演技のポイントを振り返ったり、深呼吸をしたり。
冨田 自分の番がきた頃には、「いけそうかな」という精神状態ではありました。演技中は、今まで経験したことのないような感覚で、気持ちがよかった。コールマンという離れ技を成功させたとき、会場が演技中でも分かるほどに沸いていて。オリンピックの最終演者で、しかも金メダルがかかっていて、全世界に注目されている。こんな瞬間って今後一生味わえないだろうなと思っていました。
――本番になって突然、車輪を1回増やしたそうですね。1ミリのズレもないように緻密に計算された演技中に、瞬時に予定外の技を入れられるものなんですか。
冨田 技を追加するのは難しいけど、車輪を1回増やすぐらいは大丈夫です。なんというか……、体操選手にとって車輪を増やすのは、皆さんが歩く距離を少し伸ばすのと同じようなもの、という感じです。
回転している時に目が回らないのかとよく聞かれるのですが、鉄棒を見ながら体を動かしている感じなので、目が回ることはないですね。鉄棒で一番難しいのは着地。鉄棒から手を放す瞬間、回り過ぎたとか足りないとか分かるので、それを空中でどれだけ修正できるかにかかっています。
どんな体勢でも着地を止めたいと思っていた
アテネの時は鉄棒から手を放し、空中動作に入るときにちょっとずれた感覚があったんです。それで、空中で回転力を活かしつつ、無理やり着地に持っていった。だから見る人が見れば、完璧な着地ではないのが分かる。本来なら片足が出てしまうような着地なんです。私はどんな体勢でも着地を止めたいと思っていたけど、実際は会場のみなさんの歓声が止めてくれたんだと思いますね。
あの瞬間というのは、重くのしかかっていた重圧が一挙に外に噴き飛んだようで、着地した瞬間の解放感は、言葉では表現できないものでした。
ただ、団体金メダルの興奮を、そのまま引きずることはなかったような気がします。帰国してもフィーバーは続いていたけど、どこか冷静でした。団体の後に行われた個人総合、種目別でも金メダルを狙っていたので、それが達成できなかったことの悔しさの方が大きかったのかなと。
――それでも、周りは「栄光の架橋」について沸きに沸いていたとも思いますが……。
冨田 どこか他人事のように聞いていた記憶があります。
「美しい体操」をキーワードにした理由
――体操ニッポンが追及する「美しい体操」の源流は冨田さん。冨田さんから内村航平さん、橋本大輝選手に受け継がれているように見えます。
冨田 受け継がれているのではなく、進化していると言った方がいいと思います。そもそも、「美しい体操」を言い出したのは私かどうかも分かりません。
私が「美しい体操」をキーワードにしたのは、高校時代にベラルーシのビタリー・シェルボの演技を知ってからです。バルセロナ五輪で6つの金メダルを獲得した彼のビデオを見たとき、「なんて美しいんだ」と。
動きに無駄がなくて、指や足の先にまで神経が行き届いていて、演技全体にまとまりがあって。そういうのを全てひっくるめて感動したんです。こういう体操を自分は目指すべきなんじゃないかなと思って、「美しい体操」という表現を使うようになりました。
内村の体操は美しさがあって、さらに難しい技を追求して、国内外の個人総合で40連覇という前人未到の記録を樹立しました。
橋本にもその路線を追い求めてもらいたいと思いますが、彼が記者の方から「内村さんのように難しい技に挑戦するのか、それとも冨田さんのように美しさを追求するのか」というようなことを問われた際に「僕はハイブリッドで行きます」と答えたそうです(笑)。
「誰かを超える」ではなく、新しい路線を見つけていく彼の姿には成長を感じますし、本来の良さが出ているなと思って見ています。
体脂肪率は1.2%だった
――ただ、美を追求している選手たちの筋肉量は半端ないですよね。
冨田 私が現役の頃は、体脂肪率が1.2%でした。でも、筋肉が多すぎると日常生活で不便なことも。水の中では筋肉の重さで沈みやすいですし、腕がとても重いので、少し歩いただけで疲れます。今でも歩くのは苦手ですね……。
――アテネ五輪の選手だった方々は今でも体操関係の仕事をしています。
冨田 鹿島は日本体操協会の副会長、水鳥寿思は代表監督、そして米田さんは徳洲会体操クラブの監督だし、私は順天堂大学体操競技部の監督。今回、代表に選ばれた5人のうち岡慎之助と杉野正尭は米田さんが監督を務める徳洲会体操クラブで、橋本、萱和磨、谷川航は順天堂大学出身ですね。
〈 橋本大輝は「すべての経験を成長へと繋げてくれている」冨田洋之が語る体操男子“逆転金メダル”をつかんだ5人の“強さ” 〉へ続く
(吉井 妙子)
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